【Interview】「死」に隣接する「生」を描く 『フリーダ・カ—ロの遺品 石内都、織るように』小谷忠典監督インタビュー

©ノンデライコ 2015

はじめて­ プロジェクトを追うドキュメンタリーに挑戦する

——今回『フリーダ・カーロの遺品』を撮る際に、この作品で果たしたいチャレンジや目標のようなものはありましたか。

小谷 チャレンジという意味では、活動的な対象を追う、ということをはじめてやりました。

——LINE』にせよ、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』にせよ、これまでの小谷監督の作品は、画角やトーンなど世界を作り込む映像の印象があったので、今回は、オーソドックスなドキュメンタリーの手法も取り入れている感じがしました。

小谷 プロジェクトを撮る、ということをはじめてやって、インタビューなんかも入れたんですけど、それだけでは自分の映画にはならないなと思いました。石内さんの目に見えない仕事を映像にするのが自分の仕事である、と思って、それが何であるかを常に考えていました。

——インタビューは、どういう基準で人を選んでいかれるのですか。

小谷 例えばメキシコで話を聞く時は、その人がどういうバックボーンを持っているかが分からないから、見た目でいいな、と思った人ぐらいしか、選択の基準がありません。そこは本当に試行錯誤ですね。

——インタビューでは、フリーダ・カーロに対する一般的な評価や、石内さんに対する批評など、観る側の、作家に対する多様な声を映画に取り込んでいるのが印象に残りました。

小谷 映画の入り口を拡げたい、という思いはあったんですけど、話を聞くと、必ず入り口以上に、その人が持つアイデンティティのようなものが出てきます。中学生のフリーダの感じ方や,メキシコの人たちの温かさみたいなものが入ってきたり……。

「見た目」というと少し語弊があって、インタビューをする相手の身体性というか、身体を含めて映像で捉えたいという意識はあって、それを大切にしているかもしれません。時に、インタビューに応えてくれる人の言葉よりも、その人の身体がフリーダ・カーロを語ることもあるので。

——編集は『阿賀に生きる』(04、佐藤真監督)や、『沈黙を破る』(09、土井敏邦監督)や『みんなの学校』(14、真鍋俊永監督)など、様々なドキュメンタリーの編集を手がけられている秦岳志さんです。今回、どのような経緯で秦さんと組まれたのですか。

小谷 僕は30歳の時に東京に出てきたんですけど、出てきてすぐの頃に、アテネ・フランセ文化センターの佐藤真監督作品連続上映に通っていたんですよ。佐藤さんが亡くなって、1年ぐらい経った頃です。

その時に、佐藤監督と仕事を共にされていた編集の秦さんの講演を聴いて、いつかこの人と仕事がしたいと思ったんです。今回、念願かなって、とても嬉しかったです。秦さんとお会いした時、「小谷さんは佐藤監督がつなげてくれた人だね」と言ってくれました。

——編集作業は、どのような形で進められましたか。

小谷 編集のやり方としてはオーソドックスで、付せんをペタペタ貼って、それを入れ替え紙上で構成を組んで、その後実際に映像を当てて入れ替える作業だったんですけど、とにかく秦さんは面倒見が良くて、話をよく聞いてくれるんです。撮影と関係ないような話も聞いてくれたり、一緒に家族でスーパー銭湯に行ったり、親密に関わってくれました。

秦さんは、この監督は何を感じ、何を大切にしているのかを、編集作業が始まる前に汲んで下さるんです。僕も秦さんにアイデアを引き出されたところがあります。

——小谷監督からみて、秦さんの編集術、という部分で、何か印象に残ったことはありますか。

小谷 ノイズを大事にされます。それを映画表現の核に置いているようにも感じました。一見、なんの関係も無いカットやシーンでも、そこにある意味を、流れの中で見いだしてくれたりするんです。最後の最後まで、秦さんはノイズを残すか残さないかを大事にしてくれました。石内さんが友人の死を電話で知るシーンは、本編の流れとは関係がないのですが、最後の最後であの位置に入ったのは、秦さんの力が大きかったと思います。

——あのシーンは、観ていて、強く印象に残りました。どうしてあのシーンが、映画に必要だと思われたのでしょう。

小谷 あのシーンは、反射的に撮影しましたが、どう映画として受け止められるのか、長い間悩みました。悩んだ末に思ったことが、作品の中できちんと死を受け止めることで、生を導き出す石内さんとフリーダを扱っている映画である以上、あのシーンを残すことにしました。構成の流れとしては、個人の死から、メキシコの死生観が反映された「死者の日」に繋がっていきます。

石内さんご自身も、あのシーンの扱いに関しては気にされていたのですが、「亡くなられた友人も、撮られることが分かっていたのかもしれないね」と、肯定的に受け止めていただきました。

©ノンデライコ 2015

 「お葬式」のような でも生を描く映画

 ——映画では、メキシコ人のアイデンティティにも言及されていますが、それを知るために撮られたイベントは「死者の日」のお祭りでした。どうして「死者の日」のお祭りだったんですか。

小谷 映画自体を、お葬式みたいなものにしたかったところはあるんです。フリーダ自身の遺品は石内さんが撮っているので、映画の方は、いろんな生者がフリーダを語る、という意味合いの、お葬式のようなイメージにしたいというのはありました。

——でもその「お葬式」は、モノトーンではなくて、メキシコの原色の世界がてんこもりな、ある種華やかな世界でしたね。

小谷 それはやっぱりメキシコで撮った、というのが大きいですね。

死生観、ということでいうと、前作の『ドキュメンタリー映画100万回生きたねこ』でもチャレンジしているんですが、あの時は自我が崩壊していくような苦しさがありました。今回は本当にニュートラルというか、外からあるものを自分の中に吸収している感じはありました。

みんなが骸骨のメイクをして街に出て唄ったり踊ったりするあの感じって、実際にメキシコに行くと、死んだ人が生きているように感じるんです。生きている人と死んでいる人の境目のなさを、僕も肌身で感じていましたね。撮影中にはほんとうに、生と死のうねりの中にいたんです。

——最後に、小谷監督は劇映画からドキュメンタリーに入って、これで3本目の劇場公開作品を撮りました。ドキュメンタリーを撮ることに対して、考えが変化した部分などはありますか。

小谷 宮沢賢治に「雨ニモ負ケズ」という詩がありますよね。あれは賢治が自然になろうとして、最後に「私はさふいふ人間になりたい」と言うんですけど、「なりたい」ということは、ある種永遠になれないことの現れでもありますよね。ドキュメンタリーを撮る、というのは、それに近い感覚がありますね。決して自然にはなれないんですが、自然であろうとすればするほど、ドキュメンタリーは鋭い表現になってくると思うんですよね。次回もドキュメンタリーを撮りたいと思っていますが、そこはこだわっていきたいな、と思います。

©ノンデライコ 2015

【作品情報】

『フリーダ・カーロの遺品 −石内都、織るように』
(2015/日本/89分/HD/日本語、スペイン語、英語、フランス語)

監督・撮影:小谷忠典
出演:石内都
録音:藤野和幸、磯部鉄平 撮影助手・スチール:伊藤華織
制作:眞鍋弥生
メキシコロケコーディネーター:ガブリエル・サンタマリア
編集:秦岳志 整音:小川武 音楽:磯端伸一
アソシエイト・プロデューサー:光成菜穂
コ・プロデューサー:植山英美
プロデューサー:大澤一生
宣伝:テレザとサニー 宣伝美術:小口翔平(tobufune)
DCP制作:ダイドウシネマパッケージ
助成:文化庁文化芸術振興費補助金/後援:メキシコ合衆国大使館
製作・配給:ノンデライコ

渋谷・シアターイメージフォーラムほか、順次全国公開
公式サイト→http://legacy-frida.info

【監督プロフィール】

小谷忠典 (こたに・ただすけ)
1977年大阪府出身。絵画を専攻していた芸術大学を卒業後、ビュジュアルアーツ専門学校大阪に入学し、映画製作を学ぶ。『子守唄』(2002)が京都国際学生映画祭にて準グラン プリを受賞。『いいこ。』(2005)が第28回ぴあフィルムフェスティバルにて招待上映。

初劇場公開作品『LINE』(2008)から、フィクションやドキュメンタリーの境界にとらわれない、意欲的な作品を製作。『ドキュメンタリー映画100万回生きたねこ』(2012)は国内での劇場公開だけでなく、第17回釜山国際映画祭でプレミア上映後、第30回トリノ国際映画祭、 第9回ドバイ国際映画祭、第15回ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭、サラヤ国際ドキュメンタリー映画祭、ハンブルグ映画祭等、海外映画祭に多数招待された。

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