【Interview】「死」に隣接する「生」を描く 『フリーダ・カ—ロの遺品 石内都、織るように』小谷忠典監督インタビュー

映画『フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように』は、メキシコを代表する画家フリーダ・カーロの遺品を、「ひろしま」などで国際的に評価の高い写真家・石内都が撮影する過程を収めたドキュメンタリー映画だ。監督は『LINE』 (08)『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(12)の小谷忠典。 
フリーダ・カーロの遺品を石内が撮り、それを小谷が撮影し映画にする構造のこの作品は、単に創作プロセスへの密着のみならず、時に表現者同士の共鳴や、旅を通じて新しい対象に出会い、発見や変化を重ねていく様子がおさめられている。しかし同時に、そこには『LINE』以来(もっといえば学生時代の劇映画から)、小谷監督が一貫して追求している世界があるような気がした。それを頭の片隅に意識しながら、新作についてお聞きした。(取材・構成=佐藤寛朗)

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 写真家・石内都の「目に見えない作業」を可視化する

——石内さんがフリーダ・カーロの遺品を撮りにメキシコに行った時、小谷監督はなぜ、同行しようと思われたのですか。

小谷 石内都さんには、表現者として僕はいちばん影響を受けています。大学生の頃、石内さんの「キズアト」という写真と文章が収められた本に出会い、衝撃を受けました。彼女が傷を撮るシリーズで、僕は自分にも傷があるんだと気づかされたんです。それは自分の父親との関係だったんですけど、傷というのは記憶であったり、自分の姿を映す鏡のようなものであったりするのだな、と思いました。それがひとつのきっかけとなって『LINE』という映画を作りました。それで上映後のトークに、石内さんに来ていただいたりしたんです。

その後は特に交流はなくて、2012年に意を決して石内さんに電話をしたら「これからメキシコに、フリーダ・カーロの遺品を撮りにいくのよ。でも2週間後よ」と言われて、大慌てで準備してメキシコに向かいました。

石内さんは常にプロジェクトを抱えているので、何かプロジェクトを追うことをやらせてもらいたいな、と思って電話をしたんですけれども、フリーダの遺品を撮るプロジェクトを撮影することになったのは、本当に偶然ですね。

——石内さんの撮影現場に入ったのは初めてでしたか。

小谷 はい、はじめてです。

——今回のように、表現者として人の表現の現場を撮る時、小谷監督はどのような感覚や距離感で臨まれるのでしょうか。

小谷 石内さんは、何をどう撮ってもいいよ、という感じで、全然オープンだったんですね。向こうも撮影をしているわけですから、最低限、僕らは邪魔にならないようにと、距離を取って撮影していました。だけど石内さんは、僕らがいることを忘れるぐらい集中して撮影をされていたんで、最後の方は、マイクを頭ギリギリのところに持っていっても全く気にもされない、という感じでした。その誰も分け入れない、石内さんの集中力には驚きました。

石内さんが撮影している姿を撮ること自体は、特に問題はなかったんです。それよりも、石内さんの感じていることや、見ている世界観は何だろうか、ということを常に考えていたので、現場では、まずきちんと記録しよう、という姿勢でした。

——石内さんの現場は、どのような感じで進んでいくのですか。

小谷 作品だけで見ると、石内さんの写真は静かで精悍な感じがするので、石内さんがひとりでカシャ、カシャ、と撮るようなイメージがあったんですが、現場は和気あいあいで、チーム感で撮るというか、現地のスタッフも、石内さんサイドの方々も談笑しながら、でも真剣にやっている、みたいな感じでした。

現地のスタッフの人と密にコミュニケーションをとりながら、チームで撮ることで、石内さんは相手の力をを引き出している感じです。それは情報であったりメキシコ人の感性であったりするのですが、素直にいいな、と。できあがった写真にも、それは反映されていると思いました。

©ノンデライコ 2015

——映画では、石内さんがフリーダの遺品を撮るモチベーションが変化していく様子が記録されていますね。

小谷 石内さんも、当初はフリーダ・カーロという定まった評価のある人を、本拠地メキシコで撮ることに対して身構えている感じでした。博物館の人も「石内先生」みたいな感じで動くので、戸惑いもあったと思います。遺品の服に宿るフリーダの修繕の跡、あれを見つけた時に、石内さんがフリーダに対してぐっと親しみを持った感じがしました。

——そのような変化を、どのように感じられましたか。

小谷 はじめフリーダ本人に関心を持って撮っていたのが、メキシコの文化や歴史に神経が行きはじめたり、フリーダという固有の人間から、普遍的なひとりの女性を見始めたり、そういう変化は現場でひしひしと感じるんです。

そこには、こうやって石内さんの写真ができていくんだ、という感動がありました。石内さんの写真は広がりがあるというか,普遍や歴史を踏まえた表現だと思うのですが、いろいろな変化や葛藤の中でそういうものが生まれてくる。その流れをはじめて見たわけですから、新鮮な体験でした。

——石内さんが撮った遺品の写真を見て、フリーダ・カーロに対するイメージは変化しましたか。

小谷 それはありますね。最初は大学で美術史の一環として、フリーダの人生や絵画の説明を受けたことがあるんですけど、グロテスク作風だなと思って、正直、苦手だったんですよ。今回は石内さんのまなざしを通して見た、ということが大きいのですが、彼女の繊細な部分や、女性的な側面に強く触れて、イメージが変わりました。

——石内さんの撮影のあと、あらためて小谷監督は、フリーダの遺品にあったドレスの産地であるオアハカに向かいます。その理由を教えて下さい。

小谷 石内さんの仕事を、映像で可視化したいと思ったのです。

石内さんは、3週間のメキシコ滞在期間中に撮影だけではなく、フリーダに縁のある場所や、メキシコの文化遺産を数多く視察されました。そのことで、フリーダの背景に広がるメキシコの文化や歴史をも写真表現によってすくい上げているように感じました。その目に見えない作業を描き出すことが映画の役目だと思いました。

それから石内さんは、写真によってフリーダ・カーロを描いていますよね。当然ですが、動きのない世界を創るのが写真です。それに対して映画は、動きを創り出さないと作品にはなりません。映画に生命を吹き込むためには、時間を創らなくてはならない。そう考えた時に、遺品である民族衣装に見られる刺繍に動きのヒントを見つけたんです。

——オアハカに足を運んで撮影をしたことで、石内さんの表現とも異なる、新たな映画の世界が作られたような気がしました。撮影プランと実際に撮れたもの間に、差のようなものはありましたか。

小谷 石内さんの撮影している現場を撮っているあいだ、そこに入るイメージは何だろうと、ずっと考えていたんですが、オアハカで出会い、撮影したものは、その時思い浮かんだイメージからそこまで大きく外れたものではないです。

もちろん、現地で発見したイメージもいろいろあります。

最後に踊っている方が出てきますよね。あの人は、もともと刺繍家として紹介されたのですが、ダンサーでもあるということで、ぜひ撮らせて下さいといって、踊りを撮らせてもらったんです。その時に、ちょうど彼女が夕陽に照らされて、その姿がフリーダ・カーロに見えた。映画でも、フリーダの幻のようなものをきちんと描きたい、という思いが僕にはあったのですが、あの場面で、フリーダと出逢えた気がしました。

©ノンデライコ 2015

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