【対談】「表現」を撮るということ――『THE COCKPIT』×『フリーダ・カーロの遺品』特別企画 三宅唱+小谷忠典 12,000字対談

広くはないマンションの一室でMPCに向かい、ひたすらトラックづくりに打ち込むラッパーと、彼を好きずきにとりかこむ男たち。いまはいない女性画家の遺品を、白い部屋で対話するように撮りつづける写真家。音楽と写真という違いはあれ、なにかを表現する人間のすがたが、そこには映っている――。

いま渋谷ユーロスペースで公開中の『THE COCKPIT』は、ラッパーのOMSBとBimによる2日間の曲づくりをつぶさに記録し、8月公開予定の『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』は、死後50年を経てあらわれたフリーダ・カーロが遺したものを、写真家の石内都が撮るそのさまを映画にしている。

5月下旬のよく晴れた午後、『THE COCKPIT』(以下『コクピット』)の三宅唱監督と、『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』(以下『フリーダ・カーロの遺品~』)の小谷忠典監督のはじめての対談が実現した。作品のアプローチはまるで異なりながら、ともに「好きなひとを撮る」ということからはじまったというふたつの作品。そのむずかしさとよろこびからあらためて浮かびあがってくるのは、目の前の現実を尊重するという「ドキュメンタリー」の本質であるかもしれない。たがいの作品について、ふたりの監督に自由に語ってもらった。

聞き手・構成=萩野亮(neoneo)/写真:有田浩介(サニー映画宣伝事務所)

PROFILE

三宅唱 Sho Miyake
1984年札幌生まれ。一橋大学社会学部卒業。映画美学校フィクションコース初等科修了。初長編『やくたたず』(10)ののち、2012 年劇場公開第1作『Playback』を監督(ロカルノ国際映画祭インターナショナルコンペティション部門正式出品)。同作で高崎映画祭新進監督グランプリ、日本映画プロフェッ ショナル大賞新人監督賞を受賞。ほかに『無言日記/201466』(14)など。

小谷忠典 Tadasuke Kotani
絵画を専攻していた芸術大学を卒業後、ビジュアルアーツ専門学校大阪に入学し、映画製作を学ぶ。『子守唄』(2002)が京都国際学生映画祭にて準グラン プリを受賞。『いいこ。』(2005)が第28回ぴあフィルムフェスティバルにて招待上映。

初劇場公開作品『LINE』(2008)から、フィクションやドキュメンタリーの境界にとらわれない、意欲的な作品を製作している。最新作『ドキュメンタリー映画100万回生きたねこ』(2012)では国内での劇場公開だけでなく、第17回釜山国際映画祭でプレミア上映後、第30回トリノ国際映画祭、 第9回ドバイ国際映画祭、第15回ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭、サラヤ国際ドキュメンタリー映画祭、ハンブルグ映画祭等、ヨーロッパを中心とした海外映画祭で多数招待された。

『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』 ©ノンデライコ2015

|好きなひとを撮る

――それぞれ作品の制作の経緯からおうかがいします。まず小谷さんからお願いします。

小谷 写真家の石内都さんが、もう学生のころから大ファンで、いちばん自分の映画づくりに影響をあたえてくれたひとなんです。かれこれ15年くらいずっと追いかけている人なんですけど、いつか石内さんを撮ってみたいと思っていました。自分のなかで石内さんの作品、「石内都」がうごめいているというか、影響をもろに受けて作った作品もあるので、どこかで自分のなかで決着をつけたいということがあったんです。それで2012年の2月にお電話して、「石内さんの映画を撮らせてください」と言ったのがはじまりです。そうしたら、「2週間後にメキシコに行ってフリーダ・カーロの遺品を撮りに行くけど、ついて来る?」って言われたんですね。

三宅 2週間後!?

小谷 そうなんです。さすがにまあ、無理でしょ、みたいな感じだったんですけど、こっちとしてはもうつもりつもった思いがあるわけで、思い切ってプロデューサーの大澤(一生)さんに「お金を出してくれ」と思いの丈を語ったんです。「じゃあいいよ」ということでなんとかメキシコまでの渡航費を大澤さんから出してもらえて、行けることになったんです。

三宅 はああ(!)。

――この夏の公開までに3年かかっているわけですけど、撮影はどんなふうに進んだんですか。

小谷 石内さん自身はフリーダの遺品のメキシコで3週間撮影したんです。その過程はもうほぼ石内さんにベタ付きで撮影して、それでいったん石内さんといっしょに日本に帰ってきました。それからフリーダの遺品だけじゃなくて、もっと石内さんの幅広い活動を映画に反映したいなと思って、日本でもずっと石内さんの活動は追っていたんですね。けど、結果的には編集で落としました。3週間石内さんを撮影していたんですけど、これだけでは映画にならない、と。石内さんの目に見えない仕事みたいなところを映画で可視化するのがぼくの仕事かなと思ったので、もう一回映画クルーだけでメキシコに行って、刺繍のシーンとか「死者の日」のシーンを撮影したので、時間的には3年くらいかかったという感じですね。

――三宅さんにもうかがいます。これは愛知芸術文化センターの映像プロジェクトの一環で撮られたんですよね。

三宅 そうです。愛知芸術文化センターでは、毎年「身体」というテーマでいろんな人が作品を撮っているんですね。その依頼が来たというのが直接のきっかけなんですけど、ぼくも小谷さんの話と同じで、好きなものを撮ろうと思ったんです。ヒップホップはずっと聴いていた。というかそれ以外は全然聴いてこなかった。でも今までは自分のそういう好きなものを映画でやろうというのは考えたことがなかったんですよ。映画は映画かなと思っていたんです。

小谷 なんで好きなものを映画にしたいという発想に行かなかったんですか?

三宅 映画が好きだったから、だったら映画のことを考えていればいいと思っていたのかな。そこに自分の趣味やほかのものを入れちゃうと、ぶれるというか、なにか映画と違うものになってしまうというか。ただただいい映画、純粋な映画を作りたいと思っていたんです。いい映画はそうしなければ撮れないと勝手に思っていて。でも、それはもしかして勘違いかもしれないと。ずっと映画のことばかり考えていてもおもしろくないし、ようやくどうでもいいやと思えて。自分の好きなことを好きな人と一緒にやることが結局のところ一番ハッピーなことなんだと、言葉にすると陳腐ですが、シンプルにそう思えるようになりました。それに、そうすることが映画にとってもいいことなんだと確信できました。

愛知芸術文化センターから「身体」というテーマをもらったときに、身体は何を撮ってもたぶん映るなと思ったんですよ(笑)。でもヒップホップの、とくにOMSBのライブを見ていて、彼らが魅力的な動きをしているなと思っていたから、それをもっとじっくり映画館のスクリーンを通して見られたらと思ったんです。いま小谷さんのお話を聞いていて思ったのは、ぼくはようやくですけど、「好きなものにカメラを向けていいんだ」と思えて、それで実際向けてみたらえっらい楽しかった、ということですね。

小谷 好きなひとだから撮るんだけど、でも撮るってやっぱり、彼らを客観的に見ないといけなかったり、ときにはなんかやってくれとか、嫌われたりとか、そういうおそれもすごくはらんでいるわけじゃないですか。そういうのは、撮る前と撮った後とでどうでした?

三宅 まず一曲作ってくれというふうに最初に物語のゴールラインを決めていたので、その期間に関しては、彼らがつくる曲について、ぼくから何か言うことはほとんどないだろう、と。自分がナーバスになったり、そこまで被写体との関係というのは現場レベルでは意識しなかったと思います。でも小谷さんのように公開まで3年かけるとなると絶対違うだろうなと思いますし、ぼくももしかしたら同じように彼らを3年追うというドキュメンタリーもありえたかもしれないけど……。

小谷 そういう危ない予感みたいなのはあったという感じですか?

三宅 危ないというか、普通に自分が邪魔だなと思うでしょうね。ぼくはドキュメンタリー自体がはじめてで、とくに編集しているときに思いましたけど、自分が好きな人を撮影して、それを観た人が「これなんかちょっと違うな」と思われたらものすごく責任があると思って。劇映画に関しても変わらないといえば変わらないですけど、劇映画の場合は自分の書いた物語とかもあったりしますから。

小谷 俳優は撮られること前提ですからね。

三宅 でも、彼らはそうではない。「あ、ものすごい緊張感あるわ」、というのがはじめての体験でしたね。

『THE COCKPIT』 ©Aichi Arts Center, MIYAKE Sho

小谷 見ていてその緊張感を感じたんですよね。それでちょっと聞いてみたいな、と。照明もけっこう凝っているように見えたんですけど、逆サイドのところとか、うまいなと。部屋をうまく浮かび上がらせている感じがよかったんですけど。

三宅 普段スチールのカメラをやっている鈴木淳哉というカメラマンが撮影をしてくれたんですが、彼は音楽もやっているので、場のノリとしては親しい関係、空気感でできるかな、と思ったんです。ぼくは音楽をやっていないから細かいところのノリは分からないと思ったんで。メインで使っている正面のカメラは、彼によるとはじめぼくが反対していたらしいんですけど、正面にずっとあったら邪魔だろうな、超やりづらいだろうなと思って。ぼくら自身、パソコンでメール打っている前にカメラをずっと置かれたら、たぶん2通も打てない(笑)。ただ、目の前の機材に埋もれていたのでそこまで目立たなかったということと、いちばん大きいのは、彼らがすぐカメラと仲良くなったというか、音楽のほうに夢中だからすぐ忘れてしまったということですね。

小谷 それを聞くと、彼が全然カメラを意識をしていないというか、もちろん意識はあるんだろうでしょうけど、受け止めているというか。度量があるひとだな、というふうに見えます。

三宅 すごいですよね。自分には無理だなと思いますね。音楽をやっているひととか、写真をいままさに撮っているひとに対してカメラを向けると、彼らの集中力さえ持続すれば、ぼくらの「あ、ダメなんじゃないか、ヤバいんじゃないか」みたいなのは、意外と吹き飛ばしてくれる。

――小谷さんは、「好きなひとを撮る」ということについては今回どうでしたか。

小谷 ぼくはもう、石内さんを撮るというのがめちゃくちゃこわくて。大ファンだし、嫌われたくない。でも撮るということは好きとかファンで済まされないわけで、責任を伴うわけじゃないですか。一度石内さんに怒られたことがあって、「あなたのファンだファンだ」と言っていたら、そんな安っぽい言葉を使うなと。やっぱり相手を待っているだけじゃなくて、ときにはぶつかっていかないといけないし、あからさまにいやな顔されるときもある。やっぱり嫌われても仕方ないし、べつに好かれるためにやっているわけじゃない。彼女をきっちり描きたいという覚悟のもとだったとは思います。でも結果的に石内さんも気に入ってくれたんで、それはちょっと救われたなあ、と思いました。

 

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