|音楽の静けさ、写真のざわめき
――さっきの話で小谷さんが『コクピット』のOMSBさんに監督の孤独が投影されていると話がおもしろかったんですけど、わたしは静かな映画だと思ったんですよ。逆に『フリーダ・カーロの遺品』は、写真という音のないメディアを映しているんだけれども、そこからいろんなざわめきが聞こえてくる。音楽のなかにある静けさと、写真のなかにあるざわめきみたいなものが、並べてみると交差して、見た後の感覚がすごく近いという印象をもちました。
三宅 編集しているときは、とにかく試行錯誤の時間をていねいに描こうと思っていました。MPCも楽器といえば楽器で、打ち込みというとコンピューターが作っているように思われるけど、そこにも彼の身体がある。そのトライアンドエラーはギターの練習と同じで、それがけっこうぼくは見てておもしろかったんです。そのくりかえしをその時間のまま見せたいというのがかなり大きかったですね。その隙間の時間がたまたま静かだということになったんだなとは思うんです。
いまそう聞いて、確かにフリーダ・カーロの複数の声が響いていて、一方寡黙に、こつこつととか寡黙って言葉があまりにも似合わないけど、でもどう考えてもものすごく仕事を頑張っているというその対称性はたしかに並べてみるとおもしろいですね。
小谷 写真という媒体と音楽という媒体を取り扱うにあたって描き方が違っていて、その違いがおもしろいと思いました。「すべての芸術は音楽の状態に憧れる」っていう言葉があって、ウォルター・ペイターの『ルネサンス』の一節ですけど、いろんなジャンルの芸術があって、でもそのほとんどは具体が必要なんだけど、音楽だけはそれを必要としない。
そうしたときに音楽が主人公である映画はいかにシンプルにするかだと思うんです。ぼくも音楽を映画のなかで扱っていますけど、すごくこわい。強烈な威力を持っていて、映像なんか吹き飛ばすくらいの力を持っている。だからぼくはこの音楽についての映画で、この一室から出ないという方法論はすごく成功しているなと思いました。逆にぼくは、今回写真という動かないし音もないものを使って、いかに時間を表現するかを考えたし、時間や音で作っていかないと成立しないな、というのは工夫したところです。
三宅さんの映画は、あのカットがかっこよかったですね。エンドロールに行く前の、最後のクローズアップ。ラップで何回もテイクを重ねているところの最後にずばっと入る、あれがかっこいいなあと思って。彼が全部俯瞰で見ているというか、自分たちのこれまでの作業のもうひとつの視点として、彼がちゃんと見ている。三宅くんが彼に対して作家として尊敬している、敬意を払っているようなカットに見えてすごくよかった。
三宅 そう見てもらえるとありがたいですね。どうやって終わろうかというのはもちろんあったんですけど、そこではじめて飛躍ができるというか。理由は自分でもよく分からないんですけど、ずっと映像と音がシンクロしているのが、どこかでずれることで違う層が見えてこないかなということは考えていたんです。いろいろ試したんですけど、あんまり理論立てて考えてなかったから全部失敗した。でも最後の最後であの顔をすぽんと入れたところで、納得したんですね。たまたまそこに入れてみたらおもしろかった。これはあとで自分で解釈したことですけど、あのとき観客とOMSBが鏡写しのような関係になると思ったんです。
小谷 この作業をカメラを通してずっと見てた自分として重なる、と。お客さんそれぞれの「自分の映画」になるってことですね。
三宅 そうです。「これはあなたの話でもある」というと大げさだけど、方向としてはそういうことです。あんまりそういう言葉にはせず、入った瞬間に「あ、これだ」と完全に思ったんですけど。
『フリーダ・カーロの遺品』は、見ているあいだ、これは果たして石内さんの撮った写真が出てくるのかどうかというのをすごくこわいなあと思って見ていました。写真をそのまま映画のスクリーンに置くのか置かないかという判断は、自分だったら迷いそうだなと思ったんです。最初から決めていたんですか?
小谷 いや、もう迷いまくっていました。よくある、パシャって撮ったときに写真がぱっと出てくるみたいなのとか、いろいろ試したんです。フリーダ・カーロの肖像写真も使っているんで、石内さんの写真との采配がすごく難しくて。フリーダはやっぱり途中で何回か浮き上がらせたかったので使いましたけど、石内さんの写真は使うなら最後かなという感じになってきて。映画として写真をどう見せるかということをいろんな映画がやってきているから。いろいろ考えたんですけど、自然にただ並べるだけということに落ち着きました。いちばんそれがしっくりきた。単純に、ほんとに最後にしっかり石内さんの写真を、時間をもってちゃんと見てほしいという感じでした。
三宅 最終的にシンプルなところにいくということなんですかね。そこにたどり着くまで時間がかかったりするけど、観客としてもやっぱり見たいというところと結局リンクする。冒頭の3カット目か4カット目でまずフリーダ・カーロの顔がぽんと出てくると思うんですけど、たぶん美術の教科書を開いていたひとはあの顔をたいてい知っていると思うんですよ。新橋駅前でアンケートをやったらほとんどが知っていると思うけど、あまりにも印象が強いから、逆にじっくり見ない。でもああやって映画で見ると、知っているようで知らない。だからぱっと映った瞬間、「いい顔してるなあ」というとちょっと表現が下手くそなんですけど、すごい人だなあって思いましたね。
小谷 それはけっこううれしくて、石内さんの今回のプロジェクト自体もそうですし、その石内さんのまなざしを通してぼくがやろうとしたことなんですけど、フリーダ・カーロはやっぱりイメージがしっかりできているじゃないですか。壮絶な人生であったり、恋愛や不倫をしていたりというところばかりがクローズアップされていて、どうやってそうじゃないフリーダを見つけだすか、新しいフリーダ像を見つけていくかということが今回のプロジェクトだったから。違った面でフリーダを見てもらいたいという思いで工夫したつもりです。
三宅 それはすごくわかります。いままであるイメージのままやっても、それだったらぼくらがやる必要はないですからね。
――『コクピット』のラストは、外の風景に重なることであの曲が全然違って聴こえてきますね。ナイキの箱の上で遊んでつくった曲とはとても思えない現実感がある。外へ出ていくことで、もっと大きな文脈につながっていくという印象を受けました。
三宅 たぶんリリックを書くという行為自体がそうなんですよね。発想の順番としては、はじめから彼ら自身がそれを意識して、比喩として違うかたちにしているというわけではないと思うんですけど。自分がふだん生きているなかで感じていることなどを、そのまま素直に言葉にするという作業だと思うんですよね。だからふだん何も考えていなくてダサく生きていたら出てくる言葉もダサいけど、ふだんまともに何か考えていたら、地に足のついた言葉が出てくると思うんです。結局そこだけで評価されるから、あの遊びのようなところから生まれた言葉でも、きっと彼らはそこに地に足ついた感覚というのが自然にできていて、何にでも通用するようなリリックになっているんじゃないかなと。
――最後に、おふたりとも次の作品の構想というのはありますか。
三宅 ぼくは、劇映画で撮りたいものがあるんで、その準備をしています。
小谷 ぼくはいま画家のドキュメンタリーをつくっています。撮影に、そろそろ入ります。
三宅 楽しみです。
――最後にお互いにこれだけは聞いておきたい、というのはありませんか?
小谷 『Playback』を超える、次の作品を期待しています。
三宅 ありがとうございます。そういう終りになるんだ(笑)。 (了)
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|公開情報
『THE COCKPIT』
監督:三宅唱 出演:OMSB、Bim、Hi’Spec、Vava、Heiyuu
撮影:鈴木淳哉 録音:黄永昌
プロデューサー:松井宏
企画:愛知芸術文化センター 制作プロダクション:PIGDOM
2014/64分/カラー/スタンダード/DCP
公式HP:http://cockpit-movie.com/
★現在渋谷ユーロスペースにて公開中!
『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』
監督・撮影:小谷忠典 出演:石内都
録音:藤野和幸、磯部鉄平/撮影助手:伊藤華織/制作:眞鍋弥生
メキシコロケコーディネーター:ガブリエル・サンタマリア
編集:秦岳志/整音:小川武/音楽:磯端伸一
アソシエイト・プロデューサー:光成菜穂/コ・プロデューサー:植山英美/プロデューサー:大澤一生
製作・配給:ノンデライコ
2015/日本/89分/カラー/16:9/HD/日本語、スペイン語、英語、フランス語
公式HP:http://legacy-frida.info/
★2015年8月、渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開!
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|取材・文
萩野亮 Ryo Hagino
映画批評。neoneo編集委員、立教大学非常勤講師。編著に『ソーシャル・ドキュメンタリー 現代日本を記録する映像たち』(フィルムアート社)、「キネマ旬報」星取評ほかに寄稿。