【連載】ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー 第13回『NHK放送50年 1925~1975』

ノンストップでどこを切っても昭和、昭和、昭和!

60分のランニングタイムの中に、80以上の要素がぎっしり。今まで紹介した聴くメンタリーは、中身が濃ければ濃いほど聴いていてしんどくなる場合が多かったので、これは大変だぞ、とまずは覚悟した。
ところが、すごくスムーズで聴きやすかった。

放送史や昭和史のトピックを語るナレーション(北出清五郎アナウンサー)がかなり多く挿入されていて、それが上手く機能している。
例えばこんな具合。

NA「昭和3年11月、即位の御大典の実況放送によってラジオは一段と普及し、日常生活の中に欠かせぬ存在となりました」

こういう端的な解説があった後、

○天皇即位御大典・京都行幸の実況 約50秒
大群衆の万歳三唱が地響きのように、ものすごい。サッカーの欧州チャンピオンズ・リーグ決勝でも、スタジアムはここまでどよめかない。

○『ラジオ体操』 約40秒
毎朝の恒例で人気だったという江木理一アナウンサーのかけ声、「全国のみなさあん、おはようございまーす。さあ今日も元気で体操を始めて頂きましょう」が聴ける。

田中登監督『実録阿部定』(1975・日活)の、朝の場面で流れるラジオ体操は、これと同じ音源だ。

○大相撲実況 約50秒
朝潮と武藏山の取組。1930(昭和5)年初場所の千秋楽だと思われる。


○徳川夢声の映画説明『アッシャー家の末裔』 約50秒
これは、当時の映画人気を表現するために入っているのだろう。戦後に録音されたもののようだが、活動弁士時代の夢声の、独特で異彩を放ったという語りがどうだったか、その一端を教えてもらえる。
「ハッと気付いた時には、館一面の炎……もう一刻の猶予もありません。さあ、君達、何をしてゐるんだ早く出給へ!危ない!……」
ジャン・エプスタインが監督した名品(1928-1929公開/仏=米)のクライマックス。

○♪「洒落男」榎本健一 約20秒
この歌を1930年に最初に吹き込んだ(アメリカの曲なので日本語カバー)のは二村定一で、エノケンが映画で歌ったりしたのはもう少し後のはずだが、舞台では早くから歌っていたのかも。それに広く知られているのはエノケンのヴァージョンだから、時系列の厳密さよりも、リスナーの実感を取ったのだろう。

と、途切れなく続く。ナレーションが当時の音に近づくための心の準備を手伝ってくれるので、たくさんの音を聴いても疲れないようになっている。そこが巧い。

こうして抜き取った3分半位の要素だけでも、何千字も費やして咀嚼したい情報量が埋まっている。戦前の『ラジオ体操』はメロディが違ったんだあ、とか。双葉山以前の相撲ブームを作った名勝負の実況が聴けるなんて、相当に凄いことじゃないか、とか。
さすがに今回は、全部の要素の解題はムリ。諦めます。やり出すと、このLP1枚だけで何ヶ月も連載が中断してしまう。


時代の変化は、アナウンサーの口調で分かる

せめて一つだけポイントを挙げるとしたら、アナウンサーの口調の変化。
戦前のアナウンサーは堅く、きっちりと原稿を読み、戦後は実感や親しみやすさを重視するよう徐々に変わっていく。常識に近いことが、走馬灯のような構成を耳にして、改めてよく分かる。

1935(昭和10)年に名古屋から全国に放送した、鳳来寺山・仏法僧の鳴声中継(ラジオ史上初の大型中継として放送史に名を残している)だと、
「ここは海抜2,300……(聞き取れず)……鳳来寺山の中腹で御座います。天雲の断崖において建てられた、鳳来寺本堂の離れ座敷から、問題の霊鳥・仏法僧の鳴き声を、皆様にお伝えしやうと存じます」

タイヘンに丁寧。これが放送メディアの主役がラジオからテレビになり、1970(昭和45)年の日本万博開会式実況になると、
「いやあ、大きなくすだまが割れました。さあ、パカッと広場が明るくなりました」

庶民派アナウンサーのパイオニア、宮田輝の口調は品を保ったまま、ずいぶん耳に柔らかくなっている。「パカッと」なんて、開局間もない頃に言ったら叱られていたのでは。戦前はそれ位、唯一の放送メディアからの情報の伝え手として、社会的責任の大きな仕事だったから。
ただ戦前でも、スポーツ中継の実況に関しては別だった。

「……前畑わずかにリード、ガンバレ、前畑ガンバレガンバレ、前畑ガンバレ、あと25(m)、あと25、わずかにリード、わずかにリード、わずかにリード、前畑、前畑ガンバレ、ガンバレ(歓声で聞き取れず)ガンバレ、ガンバレガンバレ、ガンバレガンバレガンバレ、ガンバレガンバレ前畑リード、前畑リードしております、前畑リード、前畑ガンバレ、前畑ガンバレ、まえ、あ、リードリード、あと5メーター、あと5メーター、あと5メーター5メーター5メーター、さあ前畑リード勝った勝った勝った、勝った勝った勝った前畑勝った、勝った勝った勝った勝った、前畑勝った!前畑勝った!……」

つとに有名な「前畑ガンバレ」。1936(昭和11)年、オリンピック・ベルリン大会女子200m平泳ぎ決勝での、前畑秀子金メダル獲得の瞬間。
開催国ドイツの選手との1秒差のデッドヒート、日本人女子では史上初のメダル、とウルトラ級の名勝負だったにしても、起こしてみると、よくもまあ……である。数年前、サッカー日本代表の試合で「ゴール!」を連呼し過ぎて大批判を浴びたアナウンサーがいたが、戦前も大概だ。


『アナウンサーたちの70年』NHKアナウンサー史編集委員会編(1992・講談社)によると、淡々・平易を旨とする当時のアナウンサーの中でもふだんは特に冷静で、「面白くない」と投書が来たほどだった河西三省が、「前畑ガンバレ」と叫んだ回数は計38回だという。実況者の興奮が勝利の喜びを増幅させる、その先例として名高い放送になったわけだが、そこには軍の存在感・発言力が日に日に増していくことの影響があった。中国での軍事衝突が始まると、戦果を伝えるアナウンスに、軍からだけでなく、聴取者からも、高揚した調子が求められていくようになったことが上記の本に詳しく書かれている。

国民はラジオで、経緯や分野は(スポーツだろうと武力行使を含む国際外交だろうと)なんでもいいからとにかく「勝った!」と熱狂してスカッとしたかった。
どんな政治信条を持つ方にも、ここは気に留めて読んで頂きたい。
ただ、熱狂してスカッとしたかったんだよ、わしらの二代前、三代前は。わしらと同じだね~!

……本盤に物足りないものがあるとしたら、リスナーのご意見を伺いながら日々の放送業務をコツコツ行っていたら、いつの間にか、なんとなくカーキ色の加担者になっていた、その辺りを自省することに尺を割いていないことかな。

アナウンサーについて、もうひとつ。
戦前でも初期の幾つかの放送は、レコード製作当時の現役アナが[復元]している。放送された頃のイントネーションを、プロ中のプロが再現してみせているのだが、あいにく大体は、当時のものではないと見当がつく。どうしても口吻の違いが分かってしまう。それほど人間を規定する、時代の空気。少し怖い気さえする。社会的動物としての頼りなさを考えてしまう。

そもそも[復元]とはあるが、録音技術が発達する以前の、電波に乗れば消えるものだった放送に、オリジナルの概念は通用するのか。原稿が残っていれば、その原稿こそがオリジナルで、[復元]だと価値が減ずるわけではないのか。ここらへんは……宿題にしたい。


戦後の曲がり角、過去が初めてエンタテインメントになった

高濃度の要素が切れ目なく続く内容なのに、意外なほど流れるように聴ける。そこに話を戻そう。

確実な裏は取れていないのだが、どうも本盤のもとは、放送50周年記念特番のようだ。90分あった番組からスタジオでの収録部分を抜き、ア-カイブ紹介部分のみをレコード化したもの、という情報だけは得た。
ただ、そうだったとしても。再編集は、けっこう凝ったのではないか。メドレーのように聴けるつくりには、音源やナレーションをサウンドとして捉え直し、音楽的に再構築した演出の意図を強く感じるのだ。

お手本になったのではないかと僕が想像するのが、発売年と同じ1975(昭和50)年の3月に公開されたMGMミュージカルのアンソロジー『ザッツ・エンタテインメント』(74)……の、同題サウンドトラック盤。
2枚組LPを前から持っていて、映画のDVDを購入した後も、たまにターンテーブルに乗せている。映画の、往年のスター達が登場して証言する場面の音声をサントラでは大胆に省いているので、MGMの主題歌集&名曲集&台詞の音声による名場面集として、独立して楽しめる魅力がある。本盤とそこがよく似ているのは、偶然ではない気がしている。

『ザッツ・エンタテインメント』は、もともとテレビの特番用に作られたが、試写での反響があまりに良いので小規模の劇場公開に切り替えてみたところ、ムーブ・オーバーの大ヒットになった映画だ。
1974(昭和49)年といえば、長引くベトナム戦争やウォーターゲート事件などで、アメリカの世相はすっかり暗くなっていた時期。当初は古き良き時代の郷愁がテーマの“なつかしのプログラム”だったのだが、予想以上に古びていなかった歌とダンスによって、娯楽映画の価値再発見へと明るく楽しくいざなう、前向きな意味に作品全体が変わった。そんな、なかなか数奇な成り立ちを持っている。

日本も74年は、オイルショックで景気が冷え込み、戦後初めてマイナス成長になった年だ。オカルト・ブームに日本沈没、ノストラダムス……楽天的な将来のビジョンを持ちにくくなった時代を迎えた、その次の年に出たレコードが本盤。

急成長が止ったところでやっと、昭和のあゆみを振り返ってみる心境及びニーズが世に生まれた。この感じは、当時ローティーンだった僕にもうっすらと分かる。報道写真を網羅した毎日新聞社のシリーズ本『一億人の昭和史』(75~)なんかを親が毎号買い、テーブルや机に置いてあった。そんな風景に思い当たる同世代の方、けっこういるのではないかしら。


ただし本盤の製作者に、放送50年史づくりを後ろ向きな姿勢でやるつもりは、サラサラ無かったろうことも聴いていてよく分かる。戦後30年って、気分自体はまだまだ若いから。あゆみを振り返ることで現在を生きることに自信を得ようとするムードのほうが強い。
いや、むしろ、古い音を探して見つける作業はかなり新鮮で面白かったんじゃないかな。今よりもずっとずっと、古いもの=唾棄すべきもの、の価値観のほうが強かったんだから。

ここまで書いて気付いた。いたずらに回顧趣味ではないし、前へ前への急成長時代の視野の狭さからも、上手く距離を置けている。そこも、本盤の大きな美点だ。べたつかず、偏ってもいないので、発売から丸40年たった今でもズレてしまった箇所がほとんど無い。懐かしさを得たいのか、明日へのヒントを求めるかは、個々のリスナー次第。自分から探しにいける作りになっている。

大正モダニズムの延長、軍靴の響く非常時、敗戦後の混乱と虚脱、建設の時代と高度経済成長。
いろいろあったが、とにかく、いつも人がいて、懸命な暮らしがあった。不安があり、慰安があった。そしてNHKはそれをひたすら記録していた。つまるところは以上! そんな明快さのみが、聴いた後にドーンと伝わってくる。聴くメンタリーが伝えるべきテーマとして、これ以上のものは無いかもしれない。

盤情報

『NHK放送50年 1925~1975』
1975年/当時の価格不明

NHKサービスセンター

若木康輔(わかき・こうすけ)
1968年北海道生まれ。本業はフリーランスの番組・ビデオの構成作家。07年より映画ライターも兼ね、12年からneoneoに参加。今回紹介した盤は割とよく市場に出たらしく、ネットオークションにちょくちょく出ています。ご興味ある方はチェックしてみてください。で、先日、音楽関係の人にミックステープについて教わる機会がありまして。そのあり方と本番の構成は実はかなり似てると気付いてワクワクしました。いずれ、連載では紹介しきれない手持ちの聴くメンタリーでミックステープを作ろうか!という欲が出てきてます。

http://blog.goo.ne.jp/wakaki_1968


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