【特集 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015】 コーディネーターに聞く、今年のヤマガタの傾向と対策① 山形事務局篇

メイン会場の「山形市中央公民館」(通称az)

いよいよ10月8日(木)から、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015が山形市で開催される。今年で14回目を迎えるこの映画祭は、紛れもなく日本を代表するドキュメンタリーの祭典だが、期間中に上映される作品やイベントは実に多岐に渡り、「どれから観たらいいのか迷ってしまう!」読者の方も多いはずだ(それがひとつの楽しみでもあるのだが)。そこで、今回もプログラム・コーディネーターの方々にそれぞれのプログラムの“ツボ”をお聞きして、映画祭を鑑賞するにあたっての“傾向と対策”を教えてもらうことにした。
会場設営など準備に慌ただしい10月の現地・山形事務局。まずは「インターナショナル・コンペティション」の畑あゆみさんと、「やまがたと映画」日下部克喜さんにお話をうかがった。
(取材・構成=佐藤寛朗『neoneo』編集室)

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星のように散りばめられた表現から 自分なりのテーマを探そう!
「インターナショナル・コンペティション」 畑あゆみさんに聞く

——今年の作品の話に入る前に、選考について少し聞かせていただけますか。山形映画祭を代表するコンペティション部門がどのようなプロセスで選考されているのか、気になります。

畑 かつては多数の市民選考委員が選んだり、東京で選ばれたものを山形市民が観て決定するような年もあったのですが、ここ3回は、事務局のメンバーを含んだ東京5人、山形5人の選考委員による予備審査を経て、最後はディスカッションで決まる、というオーソドックスな形態に落ち着いています。「この2015年の10月に、山形で上映する意味は?」という時期的な理由や、映像としての新しさ、監督の熱意が表現として感じられるかなどいくつかの基準があって、最後には純粋に映画としての面白さが議論になります。

あえて言葉にすれば、日本にいると余り感じられない世界の潮流を扱う姿勢が、インターナショナル・コンペティションにはあるかもしれないですね。テーマや地域の問題に対しては、選考委員それぞれの専門の見方があって、例えばヨーロッパでの少数民族の扱いを理解している委員から「かつてこの問題を、この視点で作ったものは無かった」などと指摘が上がったりします。そのような目線で各選考委員がぜひ紹介したいと思うものを出しながら、さらに映画的な視点が加わる、という感じですね。

最終的には、やはり映画的な完成度が問われます。例えば「市民会館や中央公民館の大画面で観るに耐え得るか」とか。映画館と同等かそれ以上の大きなスクリーンですからねえ。それもひとつの重要な基準だと思います。

——コンペティション部門への応募作品は1196本ということですが、今年の潮流、のようなものはありましたか

 南米からの応募が増えて、メキシコから30本近く届いたとか、ヨーロッパの作品は一様に水準が高いとか、細かいことはいろいろ言えますが……

ヨーロッパではロマ(ジプシー)の人々の現状を扱った作品がたくさん作られていて、今回も『トトとふたりの姉』が上映されますが、EUの公的助成や制作会社の支援もあって、ちょっと食傷気味に思えるぐらいいろいろなロマの作品が作られています。ラテンアメリカではヨーロッパで教育を受けた人が母国に戻って作品を撮っていたりして、アジアも含めて、世界的にドキュメンタリーの制作環境が整ってきている印象を受けました。

——今回上映される15本の作品の、表現の振れ幅についてはいかがですか。

 振れ幅は、はっきりいって広いですよ。

基本的には、どの作品もそれぞれの土地の歴史や、土地の記憶みたいなものがベースになっています。でもそのアプローチは作品によって全然違いますね。『祖国―イラク零年』(アッバス・ファディール監督)のような、2003年の米英によるイラク侵攻についてのダイレクトな記録を今の時点で改めて世に出すものもありますし、『戦場ぬ止み』も、現在の沖縄でしか撮り得なかった作品です。一方で『河北台北』(リ・ネンシュウ監督)のように、身近な人物を通して国家の近代史や現代史に触れてしいるタイプの作品もありますからね。

南米の作品を観ると、近代的な軍事独裁政権の影響が色濃く出てくるし、逆に欧米ではそのような歴史が新鮮な目線で捉えられているようです。それぞれの国家の現在というか、そういう部分でのコントラストは出てきますね。

今回はベテランの監督が多く、それぞれ成熟した映画表現を追求している方が多いので、例年以上に見ごたえはあると思います。表現を味わいながら、そこから自分なりのテーマや切り口を発見できると面白いかもしれません。

——切り口と言えば、『ドリームキャッチャー』のキム・ロンジノット監督や、『6月の取引』のマリア・ラモス監督など、女性監督が多いですね。ペドロ・コスタなど、ヤマガタも数回目、といった監督も多い。これについてはどのように思われますか。

 それぞれ作家の強烈な作風をあらためて感じた、というよりは、今回応募されてきた作品の持つ面白さが輝いていた、いうことですかね。

女性監督の作品は7本あって、どの作品も本当に観ていておもしろいんですね。常連キム・ロンジノット監督の『ドリームキャッチャー』は、主人公の性被害者を支援するブレンダというおばちゃんが強烈で、はじめは少し暑苦しく思えるのだけれども、観れば観るほど面白くなって、最後はジーンときたりします。

ドリームキャッチャー(キム・ロンジノット監督)

『河北台北』の監督リ・ニェンシウさんも、実のお父さんをプライベートフィルムっぽく撮っていて、自分のこれまでの人生を亡くなる前に娘に語り、それを娘が辿っていく作品なんですけど、中国現代史と繋がるとかいう以前にこのお父さん自身が面白いんです。かなり苛烈な、恐ろしい経験をしているんですけど、そんな体験もふっとんでしまうような強烈なキャラクターなんですね。

——『祖国 イラク零年』は334分ですか!またまた長尺の作品が選出されましたね。

 5時間観ても全然飽きないですよ。イラク侵攻の前と後で、家族の親しさや温かさをずっとみつめていくけれども、ある日突然悲劇が訪れる、という展開の作品です。10年前の取材ですが、これが今、各地の映画祭でガンガン上映されていて、欧州では配給もついて、世界中の映画館で5時間の映画が公開されるかもしれないという状況になっています。

——配給と言えば、パトリシオ・グスマン監督の新作『真珠のボタン』は、東京でも同時公開されますね。ラテンアメリカ特集との関連もあって、これも話題です。

 今回の「SPUTNIK」という映画祭の機関誌で阿部宏慈(選考委員・山形大教授)さんも触れていますが、「水」というモチーフが中心にあります。チリの先住民が海岸線に住んでいて、ピノチェト独裁政権の時に虐殺された人と「ボタン」でリンクするんですけど、よく練られた構成と、映像がなにより美しい作品です。

——先ほど「土地の記憶を追った作品が多い」という話がありましたが、畑さんご自身はそのことに関してどのように受け止められておられますか。

 ペルーのハビエル・コルクエラ監督作品の『私はここにいる』というタイトルに象徴されるのですが、生まれた土地で変わらず生活をし、家族を築き、伝統を守っていくことの根本的な大事さというか、生活がまさに「そこにあり続ける」ことの尊さを考えましたね。

『戦場ぬ止み』には「沖覇で生きていくこと」の日常への揺るぎない視点があり、『ホース・マネー』またその前のフォンテイーニャス連作の2本(『ヴァンダの部屋』『コロッサル・ユース』)には、移民としてリスボンのスラムで生き続ける事の難しさがある。そこで自分がどう生き抜いていくか、というアイデンティティや、アイデンティティなんていう意識も持たない生活そのものとか、日常へのまなざしが強調されている感じ今回の15本にはあるように思いますね。でもそこで起きるドラマは豊かで、カメラがフィックスで置かれているというだけで、それでも人生は流れていく、ということが面白く捉えられている作品が多いと思います。

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「やまがたと映画」日下部克喜さんに聞く に続く