『無音の叫び声』予告編
フェイクドキュメンタリーの上映は、ヤマガタの精神のデフォルメだ!
「やまがたと映画」日下部克喜さんに聞く
——「やまがたと映画」というのは、いつ頃からあるプログラムなのですか。
日下部 2007年からですね。映画祭がNPO法人として山形市から独立した時に、地元の人が楽しんでいないという指摘に対して何らかのアクションをおこしてくれ、という条件がついて、山形をテーマにプログラムを立てることになって今回で5回目です。いくつかの企画を、私も含めた山形事務局のスタッフや、前回もコーディネーターを勤めた、作家の斉藤健太さんなどが持ち寄って、「やまがたと映画」班というかたちで進めています。
これまでの傾向ははっきりしていて、山形出身の映画監督や女優さんの作品や、古い山形の映像記録の発掘をやってきたわけですけど、年配の方にしか響かないような残念な状況もありまして。今年は趣向を変えて、若年層から20代、30代の働き盛りまで、幅広い年齢層にコミットできるようなプログラムにしたいと思ったんですね。
——具体的には3つのベクトルがあります。まずは『天に栄える村』の原村政樹監督が農民詩人の木村迪夫さんを追った新作『無音の叫び声』(12日に本邦初の上映)が気になります。これはどのような映画ですか。
日下部 市民プロデューサーといって、市民の出資者をプロデューサーと呼んで募り、それを制作資金にして映画を作りました。中心となっているのは、かつて小川紳介の声にひかれて映画祭に集った桝谷秀一さん(映画祭理事・日刊紙『デイリーニュース』編集長)を中心とする「YIDFFネットワーク」の人達です。彼らの呼びかけで、木村迪夫さんが主人公の映画が作られたんです。
——木村さんはドキュメンタリー映画史的には、小川紳介監督を山形に呼び寄せた人ですが、山形における木村迪夫さんは、どのような存在なのですか。
日下部 山形の地元文学界の中では非常に名の通った人で、4年前に小川プロを随想した「山形の村に赤い鳥が飛んできた」(七つ森書館)という本が出版された時は、大きな話題になりました。「農」というところにこだわり。生活の中から生まれる文学や芸術を実直なかたちで突き詰めている中心的存在ですね。作品では、小川プロを引き入れる経緯ももちろんありますが、日本の農政ということの中に抗い、苦しみつつそれを文学表現として昇華させていった迪夫さんの精神の軌跡を描いています。
木村さんは戦争中の中国で亡くなったお父様に対する思いが強く、この映画で、お父様の亡くなった場所とお墓を探す旅に出るのです。いろんな方向でアプローチしては頓挫していたのですが、フォン・イエンさん(今回のコンペ部門の審査員。小川紳介の本を翻訳し、中国で出版した映像作家)がコーディネートしてくれた結果、お墓がみつかったんですよ!「やまがたと映画」の縁と運命でつながった感じがしましたね。
——山形の映像の発掘、という部分では、どのような作品がありますか。
日下部 今回、小テーマとして「やまがたと戦後」というのがあるのですが、山形は空襲など戦争の直接的な被害を受けていない事もあって、住民の心にどのようなダメージがあったのか、見えづらい部分があるんです。しかし満蒙開拓団などで、ものすごく多くの人たちが山形から大陸へと渡っていて、そのようなところで同時代性を共有していたんですね。そんな「やまがたと戦後」というテーマの映像を探したら、30年前に山形放送が製作し、当時大きな評価を得た作品がみつかりまして。それが今回クロ−ジングで上映される『セピア色の証言 ~張作霖爆殺事件 秘匿写真~』(1986)ですね。
——「嘘つきはドキュメンタリーのはじまり?」という、フェイクドキュメンタリーの企画があります。これは日下部さんの企画と聞きましたが、どのような意図があるのですか。
日下部 僕は20代〜40代の、劇映画は好きだけどドキュメンタリーと聞くと敬遠してしまうお客さん、というのは、潜在的に山形映画祭のコアなファンになりうると思っているんですね。オタク的な趣味を持つとか、感覚的に近いんじゃないかという期待もあって。
山形映画祭はこれまで、ドキュメンタリーの枠組みを時に解体するようなことを、実際に作品を見せる事でおこなってきました。僕自身、映画好きの映写ボランティアとして地元山形の映画祭に絡んでいた頃に、忘れもしない2001年、ペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』にガツンとやられたわけですよ。今回、僕は「デフォルメ」と呼んでいるんですが、「ドキュメンタリーとは何か」「映画とは何か」という問題を、ある種分かりやすく、アカデミックにならない人達にも触れる機会はないかなと考えました。それで「フェイク」という切り口なら、手を伸ばせると思ったんですね。そこからインターナショナル・コンペティションなど、本祭のプログラムに入っていければいいなと思っています。
——3本の作品の振れ幅がすごいですね。今村昌平の『人間蒸発』(1967)から白石晃士監督の『戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ! FILE-02【暗黒奇譚! 蛇女の怪】』(2015)、そしてテレビ東京の問題作『森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」』(2006、通称『ドキュ嘘』)とは!
日下部 フェイクドキュメンタリーの歴史を辿る方法もあったのでしょうが、ものすごく膨大だし、海外では「モキュメンタリー」というジャンルである種、確立されてしまっているところもありますよね。入りやすさというところで国内に目を転じると、『人間蒸発』は外せないと思いました。今村昌平の映画で描かれる真実に暴力的に近づいてガンと殴る、ところをまず押さえて、じゃあ今はどうなの、というところで、ある種モキュにこだわりつつ、お約束を解体してどこかにいこうとする志向が感じられる白石晃士さんの最新作を入れました。『オカルト』『ある優しき殺人者の記憶』に繋がるような問題意識を『コワすぎ!』に入れてきて、こういうのは今までなかった、と。そして、両者を繋げて、何かをみせる為にはどうしたら良いのか考えたら、やはり『ドキュ嘘』かなと。
——『ドキュ嘘』の重要なポイントとして、松江哲明さんや村上賢司さんもそうですが、原一男や佐藤真、森達也など、日本の主要なドキュメンタリストが一斉に加担していますよね。そこは見逃せないと思います。
日下部 山形にゆかりのある作家たちがたくさん出てくる、というのもあるんですけれども、実は『ドキュ嘘』をフェイクでやろうと思った時に、森さんとプロデューサーの替山茂樹さんがその事を考えるきっかけになったのが、1999年の山形で上映された『ハッピー・バースデー、Mr.モグラビ』(1999 アヴィ・モグラビ監督)なんですよね。そこでようやく山形とダイレクトにつながりましたね。
映画祭とは「映画とは何か」を考える場でもあるんで、その問題を何度も揺り戻して考えられるような企画が『ドキュ嘘』だと思うのですが、それをテレビでやっていた、という変なねじれがあるのも面白いですよね、なによりキャッチーですしね。
——あれから10年たって、森達也さんはじめ、出演された監督たちが新たな一歩を踏み出している側面もありますしね。上映後のディスカッション(10/12)が楽しみです。
日下部 そうですね。ドキュ嘘の皆さんが大挙してやってきて。今村さんのご子息の天願大介さんも加わって、もうカオスになればいいなと(笑)。とんだサプライズがあるかもしれませんしね。
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