【Interview】講談は日本語の芸ですから。若い人に伝わらないはずが無いんです~ 『映画 講談・難波戦記 -真田幸村 紅蓮の猛将-』旭堂南湖インタビュー

テレビの中継録画番組はもちろん、落語の高座収録、稲川淳二の怪談DVDなど。話芸は意外と映像と相性がいい。そこにきて、講談がなんと映画になった。上方の講談師・旭堂南湖が出演し、勝呂佳正が監督した『映画 講談・難波戦記 -真田幸村 紅蓮の猛将-』。

「難波戦記」は、大坂夏の陣での真田幸村、徳川相手の奮戦をヒロイックに脚色したものがたり。江戸時代は取締りの対象だったが、豊臣びいきの大阪の民衆に好まれ、語り継がれてきたという人気演目だ。

 講談と映画は、実は最初っから縁が深い。日本映画史上最初のスター、尾上松之助は大石内蔵助、水戸黄門、国定忠治などなど……を何でも演じて人気を博した人だった。草創期の日本映画は大抵、講談の「劇場版」だったりする。

しかし、講談師の語りそのものを映画と銘打ってスクリーンにかける試みは、極めて珍しい。おそらく本邦初。しかも見ていると、いつものように映画に接する自分と、高座で演目を聞く、ライブの場にいる自分との、互いの習慣性が次第に融合されていく感覚がとても面白い。

南湖さんの語りを見ている/聞いていると、合戦のさまが実に活き活きと目に浮かぶ。同じ場面を今のメジャー大作ならば、VFXで相当な手間と時間をかけて視覚化するだろう。講談師ひとりがこんなに合戦を臨場感たっぷりに描いて空想力を刺激する前で、現代映画の表現は本当にベストなのか? この映画は巧まずして、そんな挑発的な問い掛けさえ孕んでいる。

上方講談の継承者である南湖さんは、話芸と映像との違いについても認識の鋭い方だった。
(取材・構成=若木康輔)


 長大な「難波戦記」の中で、特に人気のある話を映画にしました

――初めて映画化のお話を聞いた時はいかがでしたか?

南湖 ああ、騙されてる……と思いました(笑)。近頃は新手の詐欺が増えてきましたから。「劇場公開までには、あと5万円必要なんです」とか、いつ言ってくるのかと待ち構えているうちに、完成しましたね。

――2016年度のNHK大河ドラマは、真田幸村を主人公にした三谷幸喜脚本の『真田丸』です。映画のための演目に「難波戦記」を選んだのは、こちらが話題になっているのと関係ありますか。

南湖 (同席した企画・制作プロデューサーの上田暁子さんを伺い)はい、あるそうです。我々はずっと「難波戦記」をやってきていますから、たまたま、時代のほうが追いついたと言いますか(笑)。

でも昔から真田幸村は人気がありますし、面白い人物ですから、なぜ大河ドラマでやらないんだろうとは思っていましたけどね。大阪が舞台になっていて、教科書に載っている歴史とは違った結末になっていますから、大阪では「難波戦記」は特別に人気のある演目です。

 ――『映画 講談・難波戦記 -真田幸村 紅蓮の猛将-』は96分ほどの上映時間ですが、講談「難波戦記」は続き物ですよね。

南湖 「難波戦記」は実は非常に長いんですよ。映画で語っているのはほんの一部分。どこからをスタートと考えるかにもよるんですが、秀吉の誕生から始まる「太閤記」からだとする方もいますね。秀吉の立身出世があって、晩年に跡継ぎの秀頼が生まれ、この子を家来に託して秀吉が亡くなる。それから家来たちの後継争いが始まり、映画で語っている大坂冬の陣に至る。でも、それを全部やろうとしたら1年かかります(笑)。

昔の講釈場は、一年ほぼ毎日やっていたんです。なので「この続きはまた明日でございます」とすれば、「じゃあ、また明日行こ行こ」とお客さんもなるわけです。今で言うと朝ドラみたいなものですね。人気があるのは冬の陣です。夏の陣になると、お客さんが減っていくんです。みんなが好きな武将が討死してどんどんいなくなりますから。

ただ、秀頼が実は生きていて、軍船に乗って薩摩に落ち延び、琉球の王になる……という話も残っています。天下統一に比べて、スケールが小さくなる ので、今はやる人はほとんどいませんけど。講談は〈ネバーエンディング・ストーリー〉なんですよね。聞きたいお客さんがいる間は終わらないんです。

――『映画 講談・難波戦記 -真田幸村 紅蓮の猛将-』で語られる分量は、高座では何回分になるのでしょう。

南湖 30分1席として3席分くらいですかね。

――正面左右、複数のカメラで収録されていますね(※トータルで5台とのこと)。30分ずつカメラを一気に回したのでしょうか、それともカットを割りながら?

南湖 大体15分位ずつ一気に回していましたね。でも完成を見たら、カットを細かく割っていたので、もう少し細切れにやっても良かったんじゃないかと思いました(笑)。暗記したあの苦労はなんだったんや、と。

――でも、一気に語るのを後で編集しているものだから活き活きとしていて、見ている側は快い。

南湖 カメラの前にカンニングペーパーを置くことも、可能だったんですよね。でもそうすると目が上下に動いて、字を追っているのがバレてしまうんです。ですから、ちゃんと覚えてやっていることが、観客の方にも分かっていただけると思います。

――カメラの前で語るのは、いつもと勝手が違いましたか。スタジオでの収録だと、カメラの後ろにスタッフがチラホラといますよね。

南湖 あれはやりづらいですね。ホントに(笑)。

普段は、お客さんの反応をみながらやるんですよ。演劇などお芝居は客席の電気を落として暗くしますけど、寄席は客席を真っ暗にしないんですよ。お客の顔を見ながらしゃべりますから、「あ、眠たそうにしてるな。ちょっと大きめに張り扇を叩こうか」、「ここで笑っているから、今日はこういう感じが好きなお客さんが多いな」、「年配のお客さんが多いから、ゆっくり目にしゃべろうか」なんてやり取りをします。それが出来なかったんで、馴れない環境ではありましたね。

――お客さんは、カメラのレンズの向こうにいる。そういうイメージでやられるのかと。

南湖 そう思ってやっていたんですけど、いつも笑うところで誰も笑わないんですよね。ああ、スベッたー……って(笑)。なんかちょっと傷つきました。

『映画 講談・難波戦記 -真田幸村 紅蓮の猛将-』より©2015 flag Co.,Ltd.

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