――『映画 講談・難波戦記 -真田幸村 紅蓮の猛将-』を見て改めて、講談そのものが映像的な要素を持っていると気付きました。語りが状況をナレーションやト書きのように説明して、セリフになったら登場人物の言葉になる。映画のつくりに意外と近いんですよね。
南湖 旧来の講談は、違ったんですよ。目線も一点凝視だったんです。映画が人気になると同時に、映画の表現を取り入れて、次第に立体的な表現に変わってきたんじゃないかと。講談は伝統芸能でありつつ大衆芸能でもありますから、映画の影響は大きいと思いますね。
――江戸時代の初期、失業した武士が当時としてはインテリに属するため、軍談を大道で人々に語って聞かせて生活の糧を得た。これが講談の始まりだというのが、僕などの基本認識です。
南湖 はい。講談師を「先生」と呼ぶのはその名残ですよ。落語は「師匠」ですけど、講談は「先生」。昔はこういう戦があったとか、こういうことを勉強しなければいけない、といった講義・講釈をするところから始まったんです。
――実際にあった合戦を語って聞かせ、人々に知らせたわけですから、ルポルタージュの原型のような役割も担っていたと考えてよいでしょうか。
南湖 そうですね。講談は明治時代が全盛期で、大正、昭和と色々な講釈師が現れますが、昔からの「難波戦記」「太閤記」「太平記」などの軍談を話す人もいれば、新しい話を始める人もいたんですよ。殺人事件が起きたりすると、取材に行って調べたことを話にするんです。「近所の人に話を訊きますと、こんな噂がありまして、あの婆さん実に悪い奴」など、取材したことに脚色も加えて、見てきたように話をする。まあ、一種のドキュメンタリーでもあったんです。日清日露の戦争の時には「いま露西亜ではこれこれこうなっておりまして、我が大日本帝国の陸軍はこんな状況で進軍しております」なんて調子でお客さんにしゃべっていた。ニュースの役割もあったわけですね。
一方で講談は大きな娯楽でもあって、おなじみの水戸黄門や猿飛佐助なんか、みんな講談師が命を吹き込んだと言っていいかと思いますね。実在の水戸光圀公は、水戸の御領内から外にほとんど出ていない。そこでもしかしたら全国を漫遊したかったんじゃないかなと想像を膨らませ、助さん角さんという人物も作って、ああして全国を歩かせたのは講談師なんですよね。
つまり明治の頃は、講談が第一のメディアでした。まだラジオもテレビもない、新聞も高価で買えない時代は、庶民が知識を得たり、歴史を知ったりする場は講釈場だったんです。耳学問という言葉がありますよね。人々は講談師の話を聞いて「ああ、なるほど日本にはこういう歴史があったのか」「生きるにはこういうヒントがあるんだ」「道徳とはこういうものなのか」などを学んだんです。
当時の講談師は、台本も書けて自らしゃべる、一流のタレントでした。歌舞伎の名優が講釈場をこっそり見に来て「上手いなあ」と唸って帰った、という記録もあります。よほど才能が揃っていたんでしょうね。それが集まって切磋琢磨していたわけです。
――そのマルチタレント的なあり方は、現在ではニュースキャスターに近い。
南湖 だから講談は、ナレーション主体なんですよね。落語は登場人物になり切る部分が多いんですが、講談はあくまで「旭堂南湖が語ります」というのが基本軸なんです。登場人物のセリフも、講談師の考え、解釈に則って語られる。
今、女流講談師がずいぶん増えていますが、それに比べて女性落語家の数は少ないのは、その違いも関係あるかと思っています。
ひとの心はいつになっても変わらないのではないでしょうか
――かつては衰亡の危機にあったという上方講談ですが、現在は?
南湖 まだまだ苦戦はしていますねえ。良さが知られていないんです。
大阪はご存じの通り、笑いの文化です。一番の人気が吉本新喜劇で、次が漫才、その次が落語で、さらに下がって講談。もっともっと笑わせてくれとなると、どうしても吉本新喜劇になるんです。そういう土壌なんですね。講談はオッサンがひとりで物語を語る、地味ですからね。うちの師匠の時代は、もっと苦労されたと思います。
一度聞いてさえもらえれば、講談って面白いな、となるんですよ。先日もある大学で2席やらせていただいたんですけど、学生さん達が一様に「こんなものがあるって知らなかった、でも聞いてみたら面白かったです」と言ってくれるんです。日本語でしゃべっているわけですから、伝わらないはずがないんですよね。
――ただ、昔ながらの義士伝や忠孝訓での、儒教的精神の強調が講談のアップ・トゥ・デートを阻害した面はありますでしょう。僕自身、若い頃はそこにヘキエキして講談に近づけなかった。
南湖 いわゆる“お涙頂戴”の面が嫌われた時代はあったと思います。でも今の若い人はその感覚を全く知らないから、逆に新鮮なんですね。一周回っているんですよ。
大学で話したのは「忠臣蔵」と「孝子伝」という、もうベタベタな2席だったんですが、ちょっと驚いたことに、今の学生はまず「忠臣蔵」とは何かを知らない。吉良上野介という人がいて、浅野内匠守が松の廊下で刃傷に及び切腹して、大石内蔵助率いる赤穂義士47人が仇となった吉良を苦労して討ちに行く……この大筋を知ってもらう、前提条件をクリアするまでに時間がかかるんですが、いざそこからやってみると、学生が聞いていて涙を流すんですよ。
今は忠義なんて時代ではありませんけど、根底にある心は通じるんでしょうね。それは私にとっても新鮮でした。未だに講談が無くならないのは、いつになっても人間の心は変わらないからではないか、と思いますね。
――確かに、若い女性が落語などの伝統芸能に強く反応してブームになっているのは、もう一過性ではない、本物の欲求だと感じます。『映画 講談・難波戦記 -真田幸村 紅蓮の猛将-』は、講談全体の入門編として見てもらえるものですね。
南湖 ただ、自分が講談の人間ですから90分以上聞くことには慣れているんですが、全く初めての方だとどうなのかなあという不安も正直あります。
――映画をきっかけに、講談を新たに発見する人は必ずいると思いますよ。
南湖 見たお客さんが、講談の世界に入ってきてくれたら嬉しいですねえ。「この程度なら私にも出来る」って(笑)。
【作品情報】
『映画 講談・難波戦記 -真田幸村 紅蓮の猛将-』
(2015 年Blu-ray/カラー/16:9/96分)
原作:講談・難波戦記(旭堂南湖口演)
出演:旭堂南湖
監督:勝呂佳正
製作・配給:株式会社フラッグ
協力:武蔵野エンタテインメント
公式サイト:http://yukimura-movie.com/
11月21日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
【プロフィール】
旭堂 南湖(きょくどう なんこ)
1973年生まれの講談師。古典講談の継承、探偵講談の復活、新作講談の創造に意欲的に取り組んでいる。日本全国の講談会、落語会で活躍中。平成二十二年度「文化庁芸術祭新人賞」受賞。平成十四年度「大阪舞台芸術新人賞」受賞。4歳児の父親で、イクメン講談も大評判。脱原発講談「祝島 原発反対三十年」が朝日新聞、毎日新聞で話題になる。
公式サイト→http://www003.upp.so-net.ne.jp/nanko/index.html