【Review】東海テレビドキュメンタリー特集② その火が絶えることのないように ~『ふたりの死刑囚』~ text 髙木愛

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学生時代、冤罪に関する講義を1年間受けたことがある。日本における数々の冤罪事件にふれ、そこに誰かの人生が見えるたびに、言葉にならない感情に襲われた。

そんなとき、決まって先生がつぶやいた。

「愛が、ないんだよなあ」

 『ふたりの死刑囚』は、静岡の味噌会社で4人の焼死体が見つかった「袴田事件」(1966)と、三重の小さな村でぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」(1961)、それぞれの犯人とされ死刑囚になった2人の男性と、その家族を追ったドキュメンタリーである。どちらも半世紀ほど前に起きた事件だが、有罪の決め手となった物的証拠の不自然さから冤罪を疑われ、現在も裁判のやり直しが求められている。

 「袴田事件」の犯人とされた袴田巌(はかまだ・いわお)は、2014年3月に再審の開始が決定したことを受け、48年ぶりに釈放された。しかし検察の即時抗告により、再審は未だ始まらない。現在79歳の彼は、姉の秀子とともに、故郷の浜松で暮らしている。

陽が差し込む静かな家の中を、彼は、幾度も幾度も往来する。独房にいた頃から続くこの行動は、長年の拘置所生活による拘禁反応[i]だ。儀式を行うかのような迷いないその姿に、今でも独房に囚われている彼を見る。

人の感情には温度があるのだと、彼の眼が語る。意思が呼吸することを許されない世界で、感情を持ち続けるには、どれほどの苦痛が伴うのだろう。感情に殺される前に、彼は感情を殺したのだ。

再審が開かれ、無罪の判決が下されない限り、彼は死刑囚である。年金も、選挙権も、パスポートもない。好きなものを食べ、将棋を指し、かつて自身が熱中したボクシングを観戦する彼の自由は、明日にも奪われてしまうかも知れない。

部屋から部屋へ、向こうからこちらへと歩いて来る彼を見ていると、そこはかとない恐ろしさが画面に満ちてゆくのを感じる。広々とした家の中に潜む何かが、ぽっかりと口を開けて彼を飲み込む機会を窺っている、そんな気がしてならないのだ。

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「名張毒ぶどう酒事件」の犯人として逮捕された奥西勝(おくにし・まさる)は、2015年10月4日、54年間の拘留の末に亡くなった。享年89歳であった。2012年に八王子医療刑務所に移されてからのこの3年間、彼は、塀の中のベッドで寝たきりだった。

逮捕当時35歳であった彼は、死刑が確定した後も、獄中から無実を訴え続けた。

事件の後、村八分によって故郷を追われた彼の母は、借家でひとり、息子の帰りを待っていた。内職をしてお金を貯めては、名古屋の拘置所へ毎月通った。自身が84歳で亡くなるまで、969通もの手紙を息子に送った。その手紙のコピーが、支援者の手元に残っている。

「勝へ。あけましておめでとう。おっ母は、今年も1人きりの正月です。あずきを炊き、ぜんざいを食べて、勝のことを思い出して泣いているのです。もう一度、目の黒いうちに、一晩でも勝と一緒にモチを食べたい」[ii]

彼の妹の美代子は、年老いた母を連れ、名古屋へ通った。母が亡くなり、奥西氏が八王子へ移送された後も、嫁ぎ先の奈良から片道5時間かけて通い続けていた。塀の向こうのベッドで寝たきりの兄と、数分間をともに過ごすために。

母と妹の顔に刻まれていた皺に、奥西氏への想いの深さと、この家族が闘い続けて来た年月の重さを見た。母が息子を思いながらひとりで食べたぜんざいは、どんな味がしただろう。痩せ細った腕に手錠をかけられ、晩年は声も失った兄に、妹は何を話していただろう。2桁を超える囚人の処刑を見送った独房で、日々衰えていく自分の身体からなお自由を奪う刑務所のベッドの上で、彼は何を思っただろう。

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本作の制作を手掛けた東海テレビによる「名張毒ぶどう酒事件」のドキュメンタリーシリーズは、1987年に放送された「証言~調査報道・名張毒ぶどう酒事件~」に端を発する。この作品のディレクターであった門脇康郎氏(本作では監修を務める)が事件の取材を深めたのちに、本作プロデューサーの齊藤潤一氏が引き継ぎ、「司法シリーズ」として確立した。

12年に渡り「名張毒ぶどう酒事件」の取材を続け、事件をテーマにしたドキュメンタリーを数多く制作して来た齊藤氏は、「奥西さんは犯人ではないと確信しています」と語る。

門脇氏から齊藤氏へ渡されたバトンは、当時司法担当の記者であった本作監督の鎌田麗香氏へと受け継がれる。「とてつもなく重たいバトン」を受け取った理由と、『ふたりの死刑囚』に対する想いを、監督は次のように語っている。

「……その中で『引き継ぐ』という道を選んだのは、奥西さんは犯人ではないと確信し、司法も過ちを犯すかもしれないということを一人でも多くの人に伝えたかったからだと思います。『ふたりの死刑囚』では、門脇や齊藤が撮影したシーンも含まれています。名張事件の真実を知るために情熱を注いできた歴史を感じていただけましたら幸いです。

そして、今回は新たに袴田巌さんを取材しました。(中略)死刑囚からおよそ半世紀ぶりに釈放された袴田さんの暮らしを追うことで、奥西さんに思いを馳せてほしいという狙いがありました」[iii]

この映画には、冤罪で苦しむ人々を救おうとする多くの人の――弁護団ら支援者たち、制作者たち、家族――そして当事者の、渇望がある。その想いは今も踏みにじられ、今も消えずに燃え続けている。これは愛のない社会で作られた映画であり、愛によって作られた映画なのである。

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冤罪の講義を受けていた学生時代の自分にとって、冤罪の当事者やその家族は、他人だった。彼らに、自分や自分の家族を重ねて想像しては、実体のない恐怖に襲われていた。

この恐怖は、『ふたりの死刑囚』によって実体を伴ってしまった。当事者を自分に置き換え漠然と想像する余地など、与えられない。この映画が描いているのは、とある死刑囚と、とあるその家族ではない。国民の8割以上が死刑制度を容認するこの日本に生きる、私であり、私の家族である。[iv]

 冤罪の講義では、資料などで事件の記録を辿ることが主だったが、「布川事件」[v]の再審判決公判が行われるときには、土浦へ出かけて行った。裁判傍聴の抽選には外れたが、短時間ながら当事者たちと会話をする機会があった。1996年に仮釈放され、ほぼ確定の無罪判決を待っていたふたりの受刑者は、塀の外で生きているように見えた。支援者や傍聴希望者といった周囲の人たちと同様、他人の中の1人にしか見えなかったのだ。

『ふたりの死刑囚』に映っていたのは、自分の知らない場所に生きている人の眼であり、その眼と向き合いながらこの社会で生きなければならない家族の生活であった。資料上の顔も声も分からない誰かではなく、この社会に復帰しつつある人でもない。カメラの向こうの人たちは、他人と呼ぶにはあまりに近く、あまりに遠かった。学生時代に冤罪を知った私は、この映画を通して冤罪に出逢ったように思う。

 間違いなく潔白であるはずの自分が、家族が、大切な人が、死刑囚となるかも知れない。死の恐怖に毎日苦しみながら独房で一生を終えるかも知れないし、ある朝声がかかって、死刑台に立つかも知れない。その瞬間を、見届けなくてはならないかも知れない。

「自分」が直面しているとは信じがたい現実を、『ふたりの死刑囚』は突き付ける。この現実に立ち向かうため、多くの人々が燃やして来た生命が、今、日本司法の闇を照らす。

愛のない社会で、しかしたくさんの愛を糧にして、30年以上前から受け継がれて来たこの火は、私に小さな灯りをともした。また闇の中へ飲み込まれていく、死刑囚たちの――否、自分の存在を、忘れてしまわぬようにと。


[i] 拘禁反応(こうきんはんのう):刑務所や拘置所、あるいは強制収用所や人質としてある場所に拘禁されることによって生じる精神障害のこと。

[ii] 本作試写会にて配布された資料より引用。

[iii] 同上。

[iv] 2015年1月に内閣府が公表した、「基本的法制度に関する世論調査」より。

[v] 1967年8月、利根町布川で独り暮しの老人が自宅で殺害されているのが発見され、その犯人として桜井昌司氏と杉山卓男氏が逮捕された事件。ふたりは無期懲役の判決を受け、29年間の拘留の末、1996年に相次いで仮釈放となった。2011年5月、水戸地方裁判所で行われた再審公判にて無罪判決が下され、その後検察側が控訴を断念したことにより、無罪が確定した。

【作品情報】

『ふたりの死刑囚』
(2015年/85分/HD/16:9/日本)

ナレーション:仲代達矢 プロデューサー:齊藤潤一
音楽:本多俊之 音楽プロデューサー:岡田こずえ
撮影:坂井洋紀 音声:福田健太郎 音響効果:久保田吉根
題字:山本史鳳
監修:門脇康郎
映像協力:テレビ静岡、フジテレビ、アニドウ・フィルム 写真協力:中日新聞社
編集:奥田繁
監督:鎌田麗香

製作:配給:東海テレビ放送
配給協力:東風

【執筆者プロフィール】

髙木愛(たかぎ・あい)
東京都多摩在住。映画と観客と作り手を、ことばで繋ぐことを夢見ている。『ことばの映画館』第3館にて執筆。映画好きの人にウケるギャグを、母と研究&練習中。

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