【Interview】『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』 齊藤潤一監督インタビュー

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今井正の『真昼の暗黒』(56)以来、戦後の日本映画は、冤罪の存在を広く知らしめ、組織優先の精神構造へ疑義を呈することを重要な役割のひとつとしてきた。冤罪事件を扱う作品が継続的に生まれることで、娯楽産業のなかにある精神の健全さを保ってきた。

その系譜に連なるのが、東海テレビ放送製作映画の最新作『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』だ。2012年6月に東海テレビで放送され、2月より劇場公開。

ドラマ部分のかなりオーソドックスな、率直に言えば古めかしさが強い演出に戸惑う声があることはよく理解できる。その上で僕は、これもひとつのネオクラシック・アプローチ、日本映画における<オールドスクール・リバイバル>なのだと積極的に捉えている。作って、公開してくれたこと自体に何よりもまず感謝したい。

さらに前もって添えれば、映画の歴史の当初には、ドキュメンタリーとドラマとの間に境界線は無かった。ジョルジュ・メリエスは、19世紀末のフランスで論議盛んな最中の冤罪事件を映画にして支援運動に加担している。有名な『月世界旅行』(1902)に先駆けた代表作『ドレフュス事件』(1899)は、獄中で苦しむ被告人アルフレッド・ドレフュスの姿を、まさに「再現ドラマ」として描いたものだった。
(取材・構成:若木康輔)


選択肢はドラマしかなかった

― これまでの東海テレビ放送の劇場公開ドキュメンタリーには、観客にテーマの是非を問いかける作りという共通項がありました。去年(2012年)の『死刑弁護人』(齊藤監督)、『長良川ド根性』(阿武野勝彦・片本武志監督)になるともう、世の中や人間のうらおもてを見る目が試される域にまで達していて。

ところが『約束』は、とてもまっすぐです。名張毒ぶどう酒事件のこと、獄中で50年以上も無罪を求め続けている奥西勝さんのことを知ってほしいとストレートに訴えている。ドキュメンタリーから初めて俳優をキャスティングしたドラマ作品になりましたが、それと同質なほどの方向の違いだと感じます。

齊藤 『平成ジレンマ』は確かに、戸塚さんの信念を聞いて、みなさんはどう思いますか? と投げかける作りでした。今回は事件と奥西さんについて自分はこう思う、これは冤罪だ、と伝えています。その違いはありますね。

名張毒ぶどう酒事件は、僕にとってとても思い入れのある題材です。ディレクターになって初めてのドキュメンタリー番組が「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」(06)でした。その時点で、これはとんでもない事件だ、再審請求と取り消しが繰り返されている限り、作り続けなければ駄目だと思いました。

― それから「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」(08)、「毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~」(10)と続き、初めてのドラマ『約束』は4作目にあたるわけですね。

齊藤 2年に1度の間隔で、名張市葛尾の住民を通して、弁護士の鈴木泉先生を通して、と視点を変えながら作ってきましたが、3作目の「毒とひまわり」を作った時に、あれ、4作目はどうしよう……と行き詰まりを感じたんです。視点がなくなってきたこともあるのですが、もっと大きく感じたのは、この題材をドキュメンタリーで作り続ける限界です。

主人公と定めた人にとにかく朝から晩まで密着して、プライベートも関係なしに追ってこそ良い作品ができる。これが原則的なドキュメンタリーのありかたです。しかし名張毒ぶどう酒事件の場合は、主人公が塀の中にいて取材ができないジレンマを抱えていました。奥西さんの心境や苦しみ、今何を考えているのかは、直筆の手紙をお借りして撮る、文面をナレーションにする、あるいは面会を終えた弁護士や肉親の方にどんな様子だったかを聞く、といった間接的な形で伝えてきましたが、「毒とひまわり」まで作った時点で、奥西さん本人の姿を撮れないまま主人公として描くことはもう出来ないなと感じたんです。これだけ長いあいだ独房にいる死刑囚の心境には計り知れないものがあるはずなのに、それを伝えられる表現がない。苦しむうちに、ああ、残された選択はドラマしか無いなと。

― ドキュメンタリーからドラマへは、つまり必然だった。

齊藤 はい。僕はドキュメンタリーしか作ったことがありませんし、ドキュメンタリーが大好きです。どっちが上という話ではありませんが、ドラマは所詮フィクションに過ぎない、ドキュメンタリーのほうが真実を伝えられるという思いを僕自身が持っていました。しかし今回はドキュメンタリーの限界を感じた。だったらドラマの力を借りてみよう。そう思ったのが『約束』を作るきっかけです。

『約束』©東海テレビ放送


仲代達矢さんしかいない

― ドキュメンタリーにも、カメラがその場にあること自体によって被写体を動かしていくところがあります。ドラマに挑戦しても、演出の方法論は意外と違わなかったのでは、と想像しているのですが。

齊藤 そう、現場でやっていること自体はそんなに違わないですね。違ったのは、シナリオの存在があることです。作り方はそれぞれあると思いますが、東海テレビのドキュメンタリーでは台本を用意しません。とにかく取材を重ねていい素材を集めて、そこからどんな料理を作ろうかと考えていきます。取材対象者にこんなことを言ってほしい、こんな動きや表情をしてほしい、笑ってほしい、泣いてほしい……と幾ら思っても、その通りにいくことはまずありません。でも今回は、自分の希望を最初からシナリオとして書ける。これは楽しかったですねえ(笑)。

― しかし俳優さんもまた、齊藤さんがシナリオを書いた時のイメージとは違う演技をするわけでしょう。

齊藤 もちろん。芝居を付けるという意味での演出は、僕は仲代達矢さんに対して一切していません。奥西勝死刑囚は今こういう状況に置かれ、おそらくこんなことを考えていると状況だけをお伝えして、後はお任せしたんです。これは奥西さんの母親役の樹木希林さんも同じです。今日は1年振りに息子に面会できる日で、とても楽しみにしながら塀の前を歩いている状況だと伝えて、「お願いします!」。あとはお2人が自分で自分を演出し、的確な演技を出してくれました。

― 阿武野勝彦プロデューサーはプロダクションノートで、この企画をドラマにすると決めた時に「巨星とも言うべき名優が必須と直感した」と書かれています。

齊藤 仲代さんや希林さんのような方に出演して頂けたからこそ作品ができた、そうでなければ作品にすること自体が無理だったと思っています。

― ここで、「毒とひまわり」と『約束』のどちらにも「司法は、何を狙っているのか」というナレーションがある点についてお聞きします。

「毒とひまわり」では、司法には冤罪の可能性のある高齢の死刑囚はこのまま獄中死させ、面倒を避けたい思惑の可能性が多分にあるのだぞ、と訴える意図がハッキリと伝わりました。しかし、なぜか『約束』では同じナレーションなのにスムーズに入らなかった。例えば「司法は何を守ろうとしているのか」ならばストンと落ちるのに、などと思ったんです。

ここをよくよく考えると、ドラマにする難しさも感じます。仲代達矢という俳優の出すパワーはやはり凄く、ライオンのような覇気があるので……。

齊藤 実際の奥西さんは現在86歳で、がんの手術もし、もっとやせ細っていると思います。仲代さんが演じると元気に見えてしまうというのは、うーん、そこは確かに難しいところですね。

― キャスティングが違っていた可能性はありましたか? 救援活動をする川村富左吉さんを演じているのは名古屋を拠点に活動している天野鎮雄ですが、朴訥な味のこの俳優さんが奥西さんを演じ、仲代達矢が川村さん役になるという。川村さん役なら外で動く場面もいろいろ作りやすいし、<市井のヒーロー>として演じ甲斐もある。これもひとつのセオリーですよね。

齊藤 でも、僕は最初から奥西さん役は仲代さんでと決めていました。奥西さんの風貌は、「毒とひまわり」でも入れている、面会者が描いた似顔絵でイメージするよりなかったのですが、仲代さんに「毒とひまわり」のナレーションをお願いして初めてお会いした時に、ああ奥西さんはこんな雰囲気なのでは! とイメージが重なりました。それに事件当時の映像で見られる、若い頃の奥西さんはけっこうハンサム、いい男でしょう。

ですから、奥西さん役は仲代さんありき。仲代達矢による奥西勝を描きたかったに尽きるんです(笑)。

母親役も、希林さんしか頭に浮かびませんでした。これはもう、ピピッときたとしか言いようがないかな。今から他のキャスティングを考えてみろと言われても、出来ませんね。この2人しかいない、無理なら作れないというぐらいに惚れ込んで出演をお願いしました。

『約束』より ©東海テレビ放送


名前を呼ばれた途端、白髪になる

― ドラマなればこそ、仲代達矢なればこその説得力は確かに横溢しています。死刑囚はいつ刑が執行されるかと、毎日朝が来ることに怯えながら暮らしている。その酷な現実が熟達の一人芝居によって表現されている。

齊藤 午前中は廊下の足音が怖い。ああいう描写は、初めて死刑確定から再審無罪が確定した免田事件の免田栄さんに取材して伺った話がずいぶん参考になっています。

本当に怖かったそうです。死刑執行は午前中なので、昼食が配給されるとやっと、明日の朝までは助かったとホッとできるそうです。しかし、夜になると朝の訪れが怖い。その繰り返しだったという免田さんの話を、かなりシナリオに取り入れさせてもらっています。

もう一人、やはり再審無罪になった死刑冤罪事件である島田事件の赤堀政夫さんにも取材のためにお話を伺っています。赤堀さんは、廊下からコツコツと足音が聞こえてきて「お迎えが来たぞ」と呼ばれた瞬間に、頭髪が白髪になったそうです。実際は刑務官が房を間違えたそうですが。死刑囚はそんな思いを毎朝している。そこまでの恐怖は想像がつきません。

― 映画と直接関係のない、ややぶしつけな質問をします。『約束』という映画はこれから公開されて、観客の審判を受けます。齊藤さんは映画の生みの親であり、同時に映画の弁護人であり、被告本人でもある。今日も多くの取材を受けていますが、疲れていつのまにか微妙に答えが変わってきてしまう、ということは? 冤罪事件は長い取り調べの苦痛から逃れるため自白へ誘導されることが問題なので、齊藤さんにも聞いてみたいのです。

齊藤 なるほど、複数の取材に答えるうちに表現が微妙に変わり、違う受け取り方をされてしまう可能性は確かに付いて回りますね。過去の冤罪事件の被害者に話を伺うと、やっていないことをいったん自白してしまうのは、その事件に対して主体性がないからだそうです。無実の人間には、自白すると死刑になってしまうという発想そのものが無い。

『約束』に関しては、もしかしたら表現する言葉はそのつど変わるかもしれないけれど、言いたいことは全くブレない自信があります。名張毒ぶどう酒事件は、僕のライフワークといっていい位、思い入れを持っている題材だからです。

『約束』はまず東海テレビで放送しましたが、完全に「これは冤罪だ」と言い切り、踏み込んでいる作りですから、NHKではオンエアはあり得なかったでしょうし、他局でも相当の喧々諤々があったと思います。それ位、決断と覚悟を持って作った作品です。

それに今回は初めてのドラマですから、プロデューサーの阿武野には、脚本や演出は手慣れた外部の人に頼む選択肢はあったと思います。全く作ったことが無いのに「絶対に自分でやりたい」と言う僕に任せるのは大きな賭けだったんじゃないかな。プロデューサーとしては社内からお金を集める仕事がありますし、放送の最終責任も担いますから、不安はあったはずです。しかしそれを阿武野は僕の前で全く口にしなかったし、「やるべきだ」と背中を押してくれました。

『約束』より ©東海テレビ放送

― 『約束』は撮影・坂井洋紀、編集・奥田繁と、メインスタッフも「毒とひまわり」に続いて同じですが、スタッフにドラマ経験は?

齊藤 撮影も編集も効果マンも、ドラマを作ったことはありません。普段はニュースを作っているスタッフばかりで作ったんです。美術と照明はドラマ経験がある者が担当しましたが、それにしても相当に特異ですよね。

今、名古屋でドラマを作るということが無いんですよ。東海テレビにも昼ドラはありますが、東京のスタジオで撮っていますし。名古屋でドラマを作る文化は、NHK名古屋制作の「中学生日記」が終了したことで途切れてしまったんです。ですからスタッフは大乗り気でしたね。美術さんも照明さんも、かつてはNHKやCBC(中部日本放送)でドラマを作ってきた人達だから、久し振りにやれるぞと。なんでも東京一極集中のなか、名古屋でもドラマ制作の地盤を作りたいと願っているスタッフが集まってくれました。

― そんな良い話を伺うと改めて、よくドラマにしようと決心できたな、と思います。

齊藤 根が楽観主義者ですから、なんとかなるだろうと。それでも、シナリオを書き始めてから完成までの間に、いつのまにか体重は5キロ落ちていました。楽しい思いをしながら作りましたが、やはりプレッシャーはあったんでしょうね。ちょうど人間ドックで体重を注意されていたので、いい減量ができました。今年の人間ドックでは誉められたんですよ。「よくがんばって落としましたねえ」って(笑)。


無罪を信じていないと作れない

― 『約束』に対して僕は、今井正『真昼の暗黒』(56)や山本薩夫『証人の椅子』(65)などといった、かつての独立プロの社会派映画の系譜を継いでくれているという感謝の念があります。映画ファンの感傷でもあるのですが。

齊藤 冤罪を取り上げたそのあたりの映画は、1本目の「重い扉」を作る時に手当たり次第に見ました。自覚はありませんでしたが、今言われてみると、頭の片隅に影響は間違いなくあると思います。ああ、昔はこんな日本映画があったんだと新鮮で、どれも強く印象に残りましたから。「まだ最高裁がある!」とか(笑)。独房の様子をドラマで再現したいというアイデアも、無意識のうちに過去の映画を見たことと結びついているんでしょうね。

― 『証人の椅子』は、まさに『約束』と同じように再審請求のただ中で作られ、無罪を主張する映画でした。

齊藤 こういう題材は、無罪を信じていないと作れないです。中立の立場ではメッセージを伝えきれない。僕も冤罪だと信じたからこそ番組を4本作れました。だから、言い切ることのプレッシャーは当然のようにありますね。反対意見はあると思います。司法のほうが正しいのではないかと、多くの方が思っているかもしれない。実際、「では真犯人は誰なんだ」とよく言われてきました。

― 奥西さんの無罪が証明されることは、すなわち、あの村に真犯人がいたということになる。

齊藤 そういうことになるんです。真犯人探しが始まれば、あの村を崩壊させかねない。放送するたびに覚悟がいりました。ただ、村の人の証言も、パッと行って撮れたものかというと違う。人間関係を構築してから、ようやくカメラを向けました。向こうにも、ひょっとしたら伝えたい思いがあるかもしれない。だとしたら、そこはしっかり引き出さなければいけない。

村人の供述が変っていくのは先輩が撮ったものですが、「自分も自供させられた」と語る会長のインタビューは僕が撮りました。最初は「帰れ!」と門前払いだったんです。あの村にとってマスコミは敵ですからね。家に入れてもらえるまでに何度も何度も通い、家の中で話を聞けるようになっても、撮影は何度も断られ。あのインタビューが撮れるまでに2年近くかかりました。

『約束』より ©東海テレビ放送

― 「毒とひまわり」は、弁護団の特別抗告を受けた最高裁が名古屋高裁へ審理を差し戻した2010年春までで終わっています。『約束』の企画がスタートしたのは、2011年の夏だそうですね。ところが、2012年5月に、再審開始の取り消しが決定された。

齊藤さんがシナリオを書かれた時には、前向きな結果を想定していたと思うのですが。

齊藤 していました。2011年の段階では、再審は通るだろうと。最高裁が差し戻したということは、その判決を間違ったものと考えるのが司法の常識ですから。普通ならここで覆ると思ったんですよ。

裁判所の決定は、具体的にこの日にやる、と事前に知らされることはありません。しかしこういう重要な決定は年度末や年度初めに出ることが多いなどがあり、タイミングからすると来年(2012年)の春だろうなと読んで企画を進めました。シナリオの最後は空白にしていましたが、放送の頃にはおそらく再審開始決定が出て、再審裁判はすぐ始まらないにしても、もう間もなく奥西さんは外に出られるだろう。そういう期待のイメージのもとで作ったんです。良い結論で終れるだろうと。

なので、再審開始の取り消し決定には、ガクッときましたね。まさかと思いました。しかし、これまでも何度も何度も棄却を繰り返してきた事件ですから、その可能性があることは覚悟していました。いずれにせよ、奥西さんが再び外の空気を吸っている場面は描いておきたかった。それが、仲代さんが河原を歩いているイメージ場面です。

本当は、『約束』を名張毒ぶどう酒事件へのこだわりの集大成にしたかった。作る側としてはネタも尽きてきて、息切れしている(笑)。しかし今は、獄中死で終るものにはしたくないと祈りながら、もう1本は作らないとアカンだろうと思っています。

【作品情報】
『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』

(2012年/120分/HD)
出演:仲代達矢 樹木希林 天野鎮雄 山本太郎
ナレーション:寺島しのぶ
監督・脚本:齊藤潤一
プロデューサー:阿武野勝彦
撮影:坂井洋紀/照明:角川雅彦/録音:遠藤淳/美術:高宮祐一
音楽:本多俊之/編集:奥田繁/記録:須田麻記子/助監督:丹羽真哉
監修:門脇康郎
製作・配給:東海テレビ放送
配給協力:東風

【公開情報】
東京:2/16(土)より、ユーロスペースにてロードショー
愛知:3/2(土)より、伏見ミリオン座にてロードショー
ほか全国順次公開

●2/16(土)13:10の回上映後、齊藤潤一監督、阿武野勝彦プロデューサーによるトーク
●2/16(土)18:40の回上映前、仲代達矢、樹木希林(予定)、齊藤潤一監督ほかによる舞台挨拶
●ほかイベント多数企画中、映画公式HP( http://yakusoku-nabari.jp/ )をご確認ください。

【書籍情報】

原作本:『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』(岩波書店)
東海テレビ取材班 四六判・256頁
定価 1,995円(本体 1,900円 + 税)/ISBN978-4-00-024168-7 C0036
2013年2月15日発売