【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第28話,第29話 text 中野理惠

1997年頃。

 第29話 『八月のクリスマス』を配給する。しかし…

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『八月のクリスマス』を配給

木全さんからカセットを渡された翌月、1998年8月下旬、カナダのモントリオール世界映画祭に参加した時、ホテルのエレベーターホールでばったり会ったオランダのセールスエージェントのバウターが、

「日本で配給してほしい映画ある」

と言う。会う日程が調整できず、映画祭の後ニューヨークに行くと言うと、自分も行くからその時ゆっくり話そう、と約束した。彼の言う映画は、木全さんからカセットを渡されていた韓国映画だった。『八月のクリスマス』である。ストーリーは、写真館を営む男性と交通違反取締員の女性とのほのかな恋物語であった。

宣伝スタッフの増川直美さんに木全さんからのカセットで見て貰い感想を聞くと

「あの映画はいいですねえ」

とうっとりと言う。

絶賛の嵐

契約後、プリントを受け取り、プランニングOMを始め配給宣伝関係者で見たのだが、誰もが気に入ったので、すぐにも宣材作成にかかれたのだが、残念なことに宣伝用の写真がなかった。仕方ないので韓国でポストカードにしてあった写真を使い、題名を大きくするなどの工夫を、村山さんが考えてくれた。マスコミ試写が始まると、映画評論家やジャーナリストの多くが「これまでの韓国映画のイメージを覆す」と絶賛である。『ビヨンド・サンレンス』を遥かに超えるほどであった。狐につままれたような気分だった。感想を伝える電話の誰もが長く話す。掲載された記事は確か400を超えた。通常の単館系作品の倍近い。韓国大使館韓国文化院主催の試写を公開直前に開催することも決まり、ホ・ジノ監督も来日し、盛り上がった。さて、1999年6月5日いざ公開となった結果はどうだったか。

 『八月のクリスマス』チラシ

 大コケした

記録的な不入りだったのである。公開劇場である<シネマスクエアとうきゅう>の編成担当だった植木さんに

「4週で切ってくれないか」とすぐに伝えたのだが、

「後番組(『八月のクリスマス』興行後に公開する映画の事)の宣伝の関係上できない」

「ならば5週で」

「ううう~ん、ダメ」

「では6週では」

と押し問答の末、<興行補償なし>を条件に9週間上映したが、今でもヒットしたと思われている。ビデオの権利は五社からオファーを受け、最も熱心だったキングレコード゙さんにお願いし、その後、数本一緒に仕事をした。当時の担当者の田中勇さんは、16年後の今では役員になり、この8月、『不思議惑星キン・ザ・ザ』(ゲオルギー・ダネリヤ監督/1986年製作/旧ソ連/138分)の共同提供配給社として久しぶりに一緒に仕事する。

後日談になるが、『八月のクリスマス』を大好きなある日本人歌手が、日本版『8月のクリスマス』(2005年製作/長崎俊一監督)をつくりたいと言っている、と連絡を受けたことがある。その映画は実際に撮影され、劇場公開された。パンドラでは営業の一部を担った。歌手は山崎まさよしさん。映画を見て『八月のクリスマス』を心から敬愛しているのがよくわかった。

 

21世紀をめざす韓国映画』を編集発行

『八月のクリスマス』を買い付ける前年の1997年に<ソウル国際女性映画祭>がスタートし、第一回目にゲストとして招待された。その際、韓国映画界の勢いを実感した。会場ではボランティアが駆け回り、レセプションには性別関係なくやってきて、外国の映画関係者と話したがる。多くは20~30歳代と若く、国の助成が日本とは比較にならないほど充実し、映画を学ぶ学生は留学先として米国を選ぶケースが多い。将来はハリウッドに相当する商業映画を作れるパワーがあると思った。

 1997年ソウル国際女性映画祭にて主催者とゲスト。中野は後段右から二番目。

そこで、『八月のクリスマス』公開を機会に、「21世紀をめざす韓国映画」の編集にとりかかり、1999年7月に発行した。発行から数年後の2003年に日本を韓流ブームが訪れ、韓国映画は一気に人気を得ることになる。

 
「21世紀をめざすコリアンフィルム」の表紙と裏表紙

目の端が赤くなった

時間は前後するが、1997年、『ビヨンド・サイレンス』公開準備の慌ただしい秋10月のある日、ブッカーで地方営業担当スタッフが

「中野さん 目が赤い」

と言う。

特に痒くも痛くもないのだが、鏡をのぞくと確かに左目の端が赤くなっている。待合室と診療室が一緒になっている縦に細長い建物にある近所の眼科医に行くと、検査が続いた後、メリヤス屋のオヤジのような医師が

「時間があるか?」

と聴くので頷くと、上の階に行け、と言う。
上の階で待っていると、メリヤス屋の親父がやってきて、口から思いもかけない言葉が飛び出した。

(つづく。次回は6月15日に30話、31話を掲載します)

中野理恵 近況

5月1日、浜離宮朝日ホールで岡村喬生先生の「冬の旅」コンサート。生憎、所用が重なり、コンサートは聴けないのでご挨拶だけでも、と楽屋に伺う。朝転んだ、とのことだったが、お元気そのもの。コンサートも素晴らしかったそうだ。(撮影:飯塚俊男) 

ドキュメンタリー『プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生』でお世話になった岡村喬生さんと。

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