【連載】ドキュメンタリストの眼⑭  ベン・ラッセル監督インタビュー text 金子遊

ベン・ラッセルは1976年生まれのアメリカの映像作家である。ファウンド・フッテージやインスタレーションなどの実験的な映像の作風から、近年は16ミリフィルムで撮影した民族誌的なアプローチのドキュメンタリー作品まで発表している。ロッテルダム映画祭でタイガーアワードを受賞し、『祖先への挨拶』(2015)を引っさげて恵比寿映像祭のために来日して、「快楽の園」3部作の上映と映像パフォーマンスを披露した要注目の作家に単独インタビューを試みた。
(聞き手・構成=金子遊、通訳=藤岡朝子)


ポスト・コロニアル理論から学ぶ

——近年の作品と上映パフォーマンスを拝見して、ベン・ラッセルさんの作品に何かしらの知の基盤があるのだろうと感じました。大学時代はどのような専攻で、どのような興味をもっていたのか。そこから映像制作へどのように向かったのか教えて頂けますか。

 ベン・ラッセル(以下ベン) 大学に入るまでは、ただのカリフォルニア南部の典型的な少年でした。週に2、3日海岸でサーフィンをして、映画もハリウッド映画しか見ていませんでした。MTVには影響を受けたし、高校時代に見たテレビシリーズの『ツイン・ピークス』(1990〜91年)にも、何かふつうではない物語を志向するきっかけをもらったと思います。実験映像やドキュメンタリーにむかったのは大学へ入ってからです。オーストラリアのニューサウス・ウェールズ大学に留学したときに、ドキュメンタリーの歴史、民族誌学、現代アートの勉強をしました。

アメリカではブラウン大学に通いました。そこでは映像制作をする前に映画批評、映画理論、カルチュアル・スタディーズのコースが必修でした。それを1年半つづけた。専攻は芸術記号論です。90年代後半はポスト・コロニアル理論がとても強い影響力をもっていて、わたしがとったコースでは理論と制作のどちらかに偏ることなく、両者を対等にあつかい両者を学ぶというのが主流の考え方でした。

『Trypps #7 (Badlands)』Courtesy: Ben Russell

——『Trypps #7 (Badlands)』(10)というHDで撮った10分ほどの作品が刺激的でした。鏡をうまくつかった実験映像だと思うのですが、どのような発想で、構成をどのように考えて、あの作品をつくったのか教えてください。

ベン マイケル・スノウの『セントラル・リージョン』などから大きな影響を受けて、鏡の反射ということと、風景における物体というものの重要性について考えていました。あるいは、マヤ・デレンの『午後の網目』のラストシーンでも、割れた鏡のむこうに海が見えるシーンや、鏡の破片が砂浜に散らばるショットありますね。

この作品をつくった当時は、何か言語にできないことをしようと思い、映像による描写のシステムに力があるのではないかと考えていました。オーストラリアのバッドランズ国立公園へ行き、鏡に映った夕焼けを見ていたとき、実際の夕陽が沈んでいくのと、鏡に映った夕陽のイメージとのあいだにタイムラグを感じた。あるいは、日没と自分のあいだにタイムラグが生じていた。最初はそのアイデアを映像にしようとしたんですが、うまくいきませんでした。

それで、ルースさんという女性を被写体にして、回転する鏡をつかって長回しの撮影をするという手法になりました。この作品の美点はみなルースさんという女性の存在や、鏡のなかに割れ目があったことなど、予定していなかった偶然的なものです。鐘のゴーンという音についても、撮影の現場にいってから思いつきました。松本俊夫監督の『薔薇の葬列』に「ラリるとどうなるの?」「それは雲の上にいるみたいな感じ」という会話があったと思います。そんなところからもインスパイアされていると思います。

バヌアツのカーゴ・カルト

——次に「快楽の園」3部作についてうかがいたいと思います。バヌアツの離島で撮った『忘却の前にやり遂げなくてはいけない 』(13)、地中海のマルタ島で撮った『アトランティス』(14)、それから南アフリカのコサ人の祭儀と夢見の語りに取材した『祖先への挨拶』(15)の3本です。これらの作品のなかでも鏡を効果的に使用したり、カメラの前に赤いフィルターやレンズをかざしてみたり、特徴的なスタイルが見られます。

ベン この3部作では、それらの所作はすべて違う効果を目的にしておこなっています。『アトランティス』で鏡という装置を使用したのは、自分が島にいながら島を撮ることが難しいので、もう1つの視点をつくる必要があったからです。それと同時に、鏡は1つの画面のなかに異なる複数の場所を持ちこむことができる。それは、あらゆる場所がアトランティスになりうる可能性があるということです。

それから『祖先の挨拶』における赤いフィルターに関してですが、夢の空間を映画の空間として描きたかったのです。ブリオン・ガイシンやウィリアム・バロウズが60年代につくった、目をつぶって楽しむフリッカー装置「ドリームマシーン」がありましたよね。ガイシンは、車に乗っているときに目を閉じて、木々の木漏れ日が自分の頭上を通過していくのを感覚していたときに、幻覚が生まれたことがあるといっています。そんなことも考えながら使った手法です。

『忘却の前にやり遂げなくてはいけない 』Courtesy: Ben Russell

——わたしは昨年パラオのペリリュー島へ行って、海に沈んでいる日本軍の飛行機や船の残骸を見てきたので、バヌアツで撮られた『忘却の前にやり遂げなくてはいけない 』に興味をもちました。島民たちが毎日アメリカの星条旗を掲げるシーンや戦跡に、植民地における歴史の重みを感じます。またバヌアツは欧米諸国が植民者として入り、その影響でメラネシア人のあいだに「カーゴ・カルト」の民間信仰が形成されたことでも有名です。まず、この作品の信仰的な背景を教えて頂けないでしょうか。

ベン 日本がハワイの真珠湾を攻撃したあと、次は南太平洋が激戦の場になるだろうと考えて、アメリカはバヌアツ共和国に軍事基地をつくりました。実際はソロモン諸島というもう少し北にある島嶼での戦争になりましたが。戦時中は100万人ものアメリカ兵が、バヌアツを通過するという現象がおきました。そこには機材や物資が豊富にあるのに戦闘は起こらなかったので、兵隊たちは退屈したんですね。

この時代にアメリカの黒人兵が多くバヌアツをおとずれました。メラネシア人も元々肌が黒いので、地元の人たちはアメリカの軍事基地に雇用された。米軍基地では待遇もいいし、バヌアツ人をきちんと人間としてあつかったのです。それまで植民地支配をしてきたイギリスやフランスによるひどい扱いに比べて、アメリカ人は良心的だという認識が広まった。映画のなかでバヌアツ人のアイザックが話すように、ジョン・フラム信仰やカーゴ・カルトの信仰は、一種のレジスタンス運動だったのではないかとわたしは思います。それまでの欧米の宣教師による植民地主義に抵抗する運動として、このカルト運動がおきたのではないでしょうか。

カーゴ・カルトでは、宣教師たちが持ちこんだ金銭に象徴される物質文化を拒絶することが、ひとつの特徴となっています。それは拒絶するだけでなく、最後にはまわりまわって自分たちのもとに富として戻ってくるという信仰を抱えている。映画に登場したアイザックの祖父は、抵抗運動をしたかどで逮捕されました。その祖父が解放されたのは1957年2月15日だったと聞いています。

カーゴ・カルトは1920年代にはじまり、さまざまなかたちで具現化しました。当時、オーストラリア人がやってきてバヌアツ人を拉致し、奴隷化して使ったという歴史があり、彼らは二度と島へはもどってこなかった。このことはバヌアツにおける祖先崇拝に大きな影響を与えた。祖先が帰ってこない状況のなかで、今度はアメリカが入ってきて船や飛行機でいろいろな富を持ちこんだとき、それらを「先祖たちが富をもって帰ってきてくれたんだ」と人々は考えました。そこで祭儀的に模倣した波止場や飛行場をつくり、祖先と近代文明によって富がもたらされることを信仰したわけです。

——おもしろいですね。アイザックさんが「ジョン・フラムはジーザスみたいなものだ」と映画のなかでいうのは、ジョン・フラム信仰をどのようにとらえているからでしょうか。

ベン アイザックはキリスト教徒ではないので、比喩としてそういったのでしょう。ジョン・フラムのラストネームの由来は、アメリカの黒人兵がラジオで「アラスカのジョンがお届けしました(This is John from Alaska)」とか、無線で「こちらは南部のジョンです、聞えますか」と話しているのを聞いて、現地のバヌアツ人がそこからとったのではないかといわれます。ですが、わたしはジョン・フラム信仰もまた、現地のバヌアツ人による意図的で政治的な抵抗運動なのだと考えています。

バヌアツの島々におけるいろいろな集落に観光客がやってきて、わたしのような映像作家がおとずれることも、先祖がもたらしてくれる恩恵のひとつだと彼らは考えます。アイザックはこの2、30年のあいだ、外からやってきた人に説明をしつづけており、『祖先の挨拶』に収録したインタビューを見ても、彼がリラックスして受け答えをしていることがわかります。また、彼らは子どもの教育にお金を使わず、学校へやることもなく、集落のなかで面倒を見るという運営をつづけています。

——わたしはいま人類学者のマイケル・タウシグの本を翻訳しているので、人類学とフィクションの融合、あるいはフィクション批評ということを多少理解しているつもりです。ベンさんのお話をきいていると、1冊の民族誌を物すことができるほどの研究と調査をしているようですが、『忘却の前にやり遂げなくてはいけない』のような作品を見ると、実験的な民族誌(experimental ethnography)になっていて、散文よりは映像による詩的表現に近いものなっているのではないでしょうか。

ベン わたしが知っていることは、読書から得た情報にすぎません。わたしは自分の映画に情報の伝達や、知識の説明ではないものを求めています。文化人類学や民族誌の伝統に、わたしが連なろうというのではないのです。

▼Page2  スワジランドの憑依宗教 『祖先への挨拶』 につづく