ミランダ・ド・ドウロの町からスペイン側を見る。川は、映画監督オリヴェイラの愛したドウロ川本流の上流の一部。スペインとの国境になっている。スペインに入ると、ドウロ川はドゥエロ川となり、こちらでもまた美味しいワインの土壌をつくっている。
ポルトガル、食と映画の旅
第1回『トラス・オス・モンテス』
Trás-os-Montes という地方の名前を初めて知ったのは2003年、ポルトガル文化センターでポルトガル語を習いはじめてまもなくのころだった。語学のみならず、ポルトガルの文化も地理も政治も、多岐にわたって教えてくれる文化センターは、わたしのようなポルトガルを丸ごと知りたい生徒にはなによりの学校である。 ポルトガル北東部、東も北もスペインに接する位置にある地方の名前で、ポルトガル人は「トラジュ・ウジュ・モンテシュ」と発音する。「山の向こうに」ほどの意味だと、日本語の堪能なポルト生まれの先生は教えてくれた。 ポルトガルで一番貧しい土地。海外に移民する人口がポルトガルで一番多い土地。冬の寒さと夏の昼間の暑さは格別で、トウモロコシと牧畜しかない。しかし、そんな苛酷な土地にもかかわらず、多くの小説家や詩人を生みだし、ポルトガル建国以前の古い歴史と文化がいまも暮らしのなかに生きている。ある意味で、ポルトガル人の原型がここにある。そういう土地なのだと、先生は話した。
当時まだ「ポルトガル初心者」のわたしの興味は、急速に「辺境の地」Trás-os-Montesに傾いていった。 それに呼応するような出来事に、翌年リスボンで出会った。帰国の前日にリスボンのシネマテークに行った。そこのショップで、ポルトガル映画についての分厚い本2冊を買った。その1冊は、『ポルトガルの女性映画作家』という本で、女性監督12人へのロングインタビューとそれぞれのフィルモグラフィが載っていた。レジに持っていくと、対応してくれた女性はその本の目次を開いて「これ、わたしの母です」と指さした。その名前を見ると「Margarida Cordeiro」。どういう監督なのか何も知らない。けれども映画監督の「母」の名前と、栗色のショートカットの小柄ですてきな「娘」の顔を記憶にきざんで、日本に戻ってきた。
そして本を読みはじめて、おどろいた。『Trás-os-Montes』(1976年)という映画があり、娘の母マルガリーダ・コルデイロとアントニオ・レイスが共同監督した作品だった。 だが、この映画を実際に観るまでには、そこから6年もかかった。リスボンのシネマテークで上映される機会は少なく、また旅先ゆえチャンスも逃した。
2010年9月に10年ぶりに開催されたポルトガル映画祭の東京で、やっと出会えた。 遠くの山また山。そこに聞こえてくる、口笛のような動物の鳴き声のような不思議な「声」。着古したマントに皮袋を下げた羊飼いの少年、その輝く目。鈴をつけた羊たち。野生の低木。そしてカメラは動いて、象形文字の刻まれた黄色い岩を映しだす。はじまりのこの数カットだけで、心がふるえる。が、しかし、この映画をどう語ったらいいのだろう。 集落があらわれ、2階建ての古い木造の家の中で、赤子をあやす母が「Branca flor」(白い花)という民話を語り歌っている。
それから夜の駅。カルリートスの父が、ポルトガル第二の都市ポルトから列車で戻ってくる。うす暗い駅、列車の煙とかさなって、迎える家族と父は幻のようだ。翌日、父のおみやげのボールをかかえたカルリートスは友だちと外に出る。春の小川で遊ぶ少年たち、と思いきや、次のシーンでは小川には厚い氷が張り少年たちはコートを着ている。交錯する季節。そのつなぎ方に違和はなく、カルリートスとアルマンドに導かれながら、わたしたちはこの土地の過去といまに遭遇してゆく。 廃屋となったエンリケおじさんの広い屋敷には、蓄音機や手紙の束や家族の肖像画がある。その夜ベッドに入ったカルリートスに、母は、彼女が生まれる前にアルゼンチンに渡ったその父に10歳で初めて会ったときの話を聞かせる。
カルリートスの夢のなかに、そのときの光景が、この映画のもっとも美しいシーンのひとつとして登場する。 髪に赤いリボンの寡黙な少女。少女に別れを告げて馬に乗る父。地平線が見渡せるほどの広い小麦畑のまっすぐな一本道。その道に、少女と馬に乗る父の長い長い影が映る。地平線に向かってゆっくりと馬を進める父の姿を、少女はじっとみつめている。カメラは少女の後ろから、離れていく父と娘を延々と映す。小さく小さくなってゆく父に向かって、少女はたった三度だけ、短く小さく手を振る。少女の手の振り方からその心が、振り向かずひたすら空の向こうへと進む父のうしろ姿からこの土地の宿命が、しずかにわたしたちに届く。
5分も続くかのような、この奇跡のワンカットの衝撃。しかし、そこにとどまることなくこの映画は、いまも昔も変わらない人々の生活をさらにとらえていく。 中世の服を着たカルリートスとアルマンドは、村のあちこちをめぐり、洞窟の前の二人の女性に出くわす。二人の会話によって、少年たちはタイムスリップして、年老いた自分たちの子孫と出会う。それから、広い屋内でカメラは、遠い昔から今日に至るまでの服装で輪になって立ち並んでいる人々の姿を映しだす。役人も鉱夫も消防士も農夫も女たちも皆、360度まわるカメラを見すえている。そこにわたしたちは村の歴史を見る。 村には、医者の到着を待つ妊婦がいる。都会に嫁いだ娘からの手紙を、まだ幼い息子に読んでもらっている母もいる。平原のゆるやかな坂道を、黒い重厚な服をまとった男が馬に乗ってやってくる。蹄の音をひびかせながら、過去からいまへの継承者であるかのように。 そして最後におかれた長いロングショット。山あいに白くたなびく列車の煙に汽笛がひびく。消えては吐く白い煙に、何度も汽笛がかさなる。この汽笛は、ポルトの父にもアルゼンチンの父にも届いている。汽笛は、Trás-os-Montesと世界をつなぐ音であり、永遠の人の営みを象徴して、わたしたちの心に深くしみわたる。美しく力づよいすべての映像には、作者たちの主観がうかがえる。
1991年に亡くなったアントニオ・レイス監督は、詩人でもあり、民族学・考古学・音楽学にも詳しい人だった。共同監督のマルガリーダ・コルデイロはTrás-os-Montes地方の町 Mogadouro(モガドウロ)出身の精神科医であり、アントニオの妻でもあった。土地勘のあるマルガリーダと、Trás-os-Montesに惹かれたアントニオ。そういう二人が、長い年月をかけてこの地方の隅々までを「自前で、ランドローバーを数千キロも走らせた」。四季の風景のなかに立ち、人々との交友を深めた。この土地に魅せられてしまった二人は、「自分たちの魅了された、そこに生きる人々や動物や風景や生活様式を、映画言語で表現したいと思った」。
そこから本格的な撮影が始まる。1974年のことだと思う。 『ポルトガルの女性映画作家』のなかで、「昔の衣服を着た人々が登場する場面に幻想的な空気を感じるが、どういう意図なのだろうか」という問いに対して、マルガリーダはこう語っている。「その部分を『幻想的なもの』にしないようにした。しかし、ドキュメンタリーにもしたくなかった。目に映るものと聴こえる音を集めることに力を注いだ。するとあるとき、見えてきたのです。すでにそこに人々はなく、朽ちた城しかない。しかし、多くの子孫たちが長い歳月を生きつづけてきたこの土地の、濃密な時間がいまも生きているのが。それをとおして、わたしたちはこの映画に息を吹きこみたいと願ったのです」。
映画の終わりにナレーションで流れる、一見あたりまえのような言葉に、ドキっとしたのはわたしだけではないだろう。「コンスタンティン村の人々は、生きている間はコンスタンティンの村人であり、死んでからはコンスタンティン村の屍となる」。
『トラス・オス・モンテス』は、貧しい寒村の暮らしを描きながら、時空を超えた事物と情感豊かな風景を交錯させて、ひとつの村にとどまらず、この世界のどんな場所にもいつの時代にも存在する、普遍的な生命の痕跡を伝えている。人間ひとりの人生を越えた生は、生きかわり死にかわりしながら脈々とつづく。
2010年のポルトガル映画祭以降、この映画を観る機会を4回持つことができた。そのたびに新しい発見がある。いまも鮮度を失わない奇跡のようなこの作品が、40年も前にポルトガルに生まれていたことに、深い感慨とおどろきを持つ。 そして、必ず思い起こす光景がある。
2004年2月、Trás-os-Montes地方の最東端の町Miranda do Douro(ミランダ・ド・ドウロ)を訪ねた日のことだ。リスボンから高速バスで4時間、さらに乗り継いで4時間の道のり。途中の大きな町で乗り換えたバスはおんぼろのローカル線。老人と下校する子どもたちが乗りこんでくる。ひたすら東をめざす窓から見えるのは、まさに山また山。いつまでも沈まない夕陽が、山々の険しさとおだやかさを際立たせている。停留所ではなく、粗末な家の前でバスは停まり、子どもたちが降りていく。その顔は、夕陽に照らされていっそう赤い。ようやく闇がやってくると、バスのライト以外まわりに灯りはない。舗装の剥げかけた闇の山道を、バスはかなりのスピードで走る。その揺れに身をまかせて、窓から外を見れば星空が広がっている。ふっと2、3軒の家の灯りが見えたと思うとバスは停まり、黒い服の老人がひとり、またひとりと降りていく。
この闇と星空がどこまでつづくのか、目的の町に本当にたどりつけるのか。心細さが押しよせると同時に、ついに「辺境の地」に来たという思いがあふれて、涙がこぼれた。 わたしは翌年もまたミランダ・ド・ドウロを訪ねた。けれどもこの町のすぐ隣がコンスタンティン村であることを知ったのは、映画を見てからだった。2010年以降Trás-os-Montes地方に行く機会を持てないでいる。小さな村への交通が全くないこの土地を、車でまわる元気のあるうちに再訪しなくてはと思う。(続く)
※本連載は今後月一回、掲載します。
【今回の映画情報】
『トラス・オス・モンテス』
原題 Trás-os-Montes ( 1976年/108分/ポルトガル)
監督 アントニオ・レイス 、 マルガリーダ・コルデイロ
撮影 アカシオ・ド・アルメイダ
編集 アントニオ・レイス 【執筆者プロフィール】
福間恵子(ふくま・けいこ)
1953年、岡山県生まれ。書籍編集者を経て、福間健二の映画のプロデュースをつとめる。最新作は『秋の理由』。2003年から年1回のペースでポルトガルを訪ねる。塩味のきいた食べものと、シャイで素朴な人間性に惹かれている。2006〜2007年、ポルトガル料理を提供するイベントを国立市で5回にわたって行なった。好きな映画監督は、ペドロ・コスタ、アピチャッポン、ミランダ・ジュライなど。