【Review】──私の知らないどこかで──『あたらしい野生の地 リワイルディング』 text藤野 みさき


「この世の中にあるものは何かの役に立つんだ。何の役に立つのか、それは僕にはわからない。でも、例えばこの小石だって、何かの役に立っている。この夜空に輝く星々だってそうなんだ。君もそうさ」──映画『道』より  

デジタル文化の進むこの世界の中で、あまりにも現実を生きることの虚しさを感じ心が耐えられなくなった時、私は自然に回帰する。車を走らせ、山の奥にゆき日没までの時間を過ごしながら、森の中で静かに鳥や川のせせらぎの声に耳を澄ませている。そうした時間を過ごすと、どこか、日常のしがらみや精神の埃が浄化されてゆくように感じ、またすこし、血の通った人間として戻ることができただろうか、と帰り路、自らに語りかける。忘れがちだけど、私たち人間は様々な生きものと共存しながら生きている。動物も植物も鳥も虫たちもみんな、すべて、この世界で一生懸命生きている、私たち人間の大切な仲間なのである。  

本作『あたらしい野生の地 リワイルディング』は、オランダの首都・アムステルダムから北東へ50キロ離れた場所に存在する国立自然保護区「オーストファールテルスプラッセン」の四季を追ったドキュメンタリー映画である。副題である「リワイルディング」とは、英語の綴り通り──REWILD──日本語では「再野生化」のことを意味する。この映画は2013年にオランダで製作・公開されたのち、70万人もの観客動員数を記録した。多くの人々が魅了されたその秘密はどこにあるのだろうか。映画は、その秘密を少しずつ解き明かすかのように、映像の美しさとともに、この自然保護区に生息している様々な動物や植物たち──コニック(馬)、アカシカ、キツネ、カワセミ、ミツバチなど──の生命の営みを綴ってゆく。  

元々この土地は、1968年に工業用地として湖を干拓した場所であったが、事業の失敗により長い間放置されていた忘れられた土地であった。その土地が45年という歳月を掛けて一から自然が自然を創りあげ、現在ではたくさんの生命が暮らす美しい野生の地へとよみがえった。
本作で驚くべきことは、この壮大な大地が首都アムステルダムからわずか50キロの所に存在しているということである。日本の東京を中心に置き換えて考えてみると、約50キロ圏内に位置する場所といえば、神奈川県では鎌倉市、埼玉県では熊谷市、そして千葉県では船橋市などが該当する。私の住んでいる栃木県の県南は直線距離で約70キロ。わずかそのような場所に人間の手の入らない大地が存在することは、想像するだけでも非常に驚くべきことである。私の住むところですら、近くに高速が走り、森林伐採が進み、自然がどんどん失われてゆくのだから。  

映画はオーストファールテルスプラッセンに春が訪れるところから始まる。  
生命の誕生の春。しかし、その美しい響きとは違い、自然界では生き残ることが大変過酷な季節であることが示される。コニックの赤ちゃんは生まれてから20分後に大きな試練がやってくる。文字通り、この壮大な大地を自らの足で立たなくてはいけないのである。  

生まれて間もない、まだこの世界の何も知らない、小さな小さな命。何度も何度も足を挫かせながら、コニックの赤ちゃんがか細い足を震わせながら立つ瞬間をキャメラは捉える。その大きな試練というのはおそらく私たちも同じなのかもしれない。コニックの赤ちゃんにとっての最初の試練が自らの足で立つことであるのなら、我々人間にとっての最大の試練は、この世界を生きてゆく人生そのものなのではないだろうか。  

中でも映像は、このオーストファールテルスプラッセンの雄大な自然を余すことなく映し出す。冒頭の水中に泳ぐオタマジャクシの大群や、陽の光の眩しさ、俯瞰から映し出される緑豊かな大草原を駆け抜けるコニックの群れに、夜空に輝く星々や流星群。そのどれもが息を呑むほど美しい。そして言葉を話さない動物たちの気持ちを代弁するかのように導入されるナレーションも実に秀逸である。  

インタヴュー時、この映画の監督であるマルク・フェルケルクさんは、日本へのメッセージをこのように語った。

──日本の皆さんも、オランダの皆さんと同じくらい希望や発想をこの映画から得られますように。特に5年前の東日本大震災で起こった大災害と原発事故、そして地震や津波の被害を受けたたくさんの地域のことで。この自然保護区は干拓された45年前から今までの間に偶然生み出されたものです。しかし、環境さえ用意すれば、自然は自らを取り戻し再構築するための驚くべき能力があるということが示されました。45年前は科学者の誰しもが、こんな短時間でこんなに豊かで壮大な生態系ができあがるなんて夢にも思っていなかったからです。  

自然の再生力と聞いた時、私は広島のことを想った。  
広島に原爆が投下されて、71年。  
当時はもう草木はもちろん花ひとつ咲くことのできないとされた土地には、夾竹桃がいち早く咲き、当時の人々に希望を与えたと言われている。自然は人間や科学を超越する強い「生きよう」とする意志の力を持っている。どこまでも強情に、逞しく、美しく。そして、人に希望を与える存在でもある。私が広島に行った1年半前の4月。原爆ドームや平和公園を訪れた時は、丁度桜が満開に咲いている時だった。美しく舞い散る桜を見ながら、私は69年前の原爆投下当時のことを思い、そしてこれからも、一輪でも多く美しい花が咲き、一日でも長く平和が続くことを祈った。
フェデリコ・フェリーニ監督の映画『道』の場面で、リチャード・ベイスハート演じる綱渡り芸人が、ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナにこのような台詞を語りかける。「この世の中にあるものは何かの役に立つんだ。何の役に立つのか、それは僕にはわからない。でも、例えばこの小石だって何かの役に立っている。この夜空に輝く星々だってそうなんだ。君もそうさ」と。  

きっと、その通りなのだ。雪の結晶がどれ一つとして同じかたちがないように、この自然は奇跡に満ちている。一見目を背けたくなるような鯉の死骸に群がるうじ虫だって鳥たちの大切な食料になり、凍死してしまったアカシカの死体は冬場を越すためのキツネや他の動物たちの大切な命の糧になる。この世に不必要なものなど一つもなく、生命が生命を育み、そして支えていることを教えてくれる。焼け野原となった広島に小さな夾竹桃が咲き、その生命の力が人々の心に希望を灯したように。  

だからきっと、私たちの小さなこの命も、どこかの、何かのかたちで、誰かの役に立っているのかもしれない。私の知らない、この世界のどこかで。
【映画情報】

『あたらしい野生の地 リワイルディング』

原題:De nieuwe wildernis
(2013年/オランダ/オランダ語/97分/シネマスコープ/カラー:モノクロ カラー)
監督:ルーベン・スミット、マルク・フェルケルク
音楽:ボブ・ジマーマン
ナレーション:ハリー・ピーキエマ
プロダクション:EMS FILMS
出演:コニック、キツネ、アカシカ、カワセミ、鵜、サンカノゴイ、ビーバー他多数
提供:チームRewilding
配給・宣伝:メジロフィルムズ
公式サイト:http://rewilding.mejirofilms.com

 渋谷アップリンク他にて上映中。全国順次公開予定

【執筆者プロフィール】

藤野 みさき(ふじの・みさき)
1992年、栃木県生まれ。映画冊子「ことばの映画館」ライター。第2期シネマ・キャンプ 批評家・ライター講座後期受講。14歳のとき、フランスの映画監督、アルノー・デプレシャン監督に魅了され仏映画の虜に。独表現主義映画、ダグラス・サーク監督を筆頭とするメロドラマを愛する。