【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第21回 『東本願寺 声明集 1』


ゴスペルを探していて見つけた盤

廃盤アナログレコードの「その他」ジャンルからドキュメンタリーを掘り起こす「DIG!聴くメンタリー」。今回も、よろしくどうぞ。

実際に聴いてもらう会(東中野ポレポレ坐を会場にしての2回目)を、9月に終えた。今回は、そこでお披露目した『東本願寺 声明集 1』(1968/ミノルフォン)を紹介する。イベントでは、これまでに連載で取り上げた盤に加え、最近掘ったものを何枚か出した。そのうちの1枚だ。




声明(しょうみょう)。経文に節と旋律をつけて唱えること。 イベントに来てくれた、クラシックを愛好するドキュメンタリー撮影監督・加藤孝信さんが「声明のCD、持っているよ。フランスで制作したもの」と言っていた。
「へえー、フランス。それはアレですかね、僕ら日本人はヨーロッパの、例えばグレゴリオ聖歌を……」
「そうそう、まずは音楽として耳に入れる。そういう捉え方なんだと思う」
ジャンルとしては、声明は宗教音楽なのだな。それでも本盤は、聴くメンタリーとして紹介しておきたい。ジャケット裏に「正しい声明がこんなに集大成されたのは、浄土真宗史上、はじめてのことであろう」の文字を見つけて入手したからだ。「史上初」という文句に、どうも僕は昔から弱い。

入手した理由はもうひとつ。この盤に奇縁を覚えたから。
夏に、クリスチャンの友人に誘われ、クワイアに関わる方々のバーベキューに参加した。ここでゴスペルの基本認識を、いろいろ教わったのだ。僕も一応、有名なレコード(サム・クックが在籍していたソウル・スターラーズや、ニューポートのマヘリア・ジャクソン)を持ってはいるが、ソウルやブルースを聴き込むための参考程度で認識が留まっていた。DVDでブラコン、ヒップホップのステージを見せられ、これもゴスペルですよ、と言われて驚いた。



「ゴスペルは、もともとGod Spellから転じた言葉。神への賛美、感謝を歌っているのならば、音楽ジャンルやスタイルは自由でいいんです」
著書『ゴスペルのチカラ』(いのちのことば社)を出したばかりのシンガー・塩谷達也さんが親切に説いてくれた時には、視界が開けるようだった。 すっかり嬉しくなって、帰路の途中にある一番大きな中古レコード屋に入り、とにかくゴスペルを探したが、見つからず。諦めかけたところで、本盤を見つけたのだ。

(東本願寺の録音……。待てよ、お経だって一種のGod Spellと言えまいか。お導きだ! 実家が浄土系の檀家なのを考えたら、これこそが、まずはボクの聴くべきゴスペルなのだ) そう思い至った時には、きらめく感動がありましたね。GodとBuddha、ゴッチャにしてると気付いたのは、もうしばらく後。


唱えられるのは、親鸞のことば

という訳で、かなりいい気分で聴いてみた。 複数の僧侶の野太い声による、

ウーアーニャムニャムニャムニャムナー
ニャムニャムニャムニャムニャムニャーニャー

が、延々と続く。こうとしか聞き取れなかったが、蒸し暑い部屋で何度も再生した。トランスじゃないけど、単調なリズムの反復に飽きて、その退屈さになお身をゆだねていると、ジワジワと分泌されてくる快感がある。それに繰り返し聴けるのは、録音物としての質が良い証拠だ。 ただ、内容に関しては、どこから手を付けてよいやら。

【A面】
○正信偈 草四句目下
○念仏讃 淘三
○弥陀成仏ノコノカタハ 次第六首
○回向 願以此功徳
○御文 末代无智

【B面】
○文類偈 草四句目下
○念仏讃 淘五
○三朝浄土ノ大師等 次第三首
○回向 願以此功徳
○御文 聖人一流 白骨

当初は、呪文かと思った。なんでお経って、こんなにたくさんあるんだ。般若心経だけじゃダメなのか。……そうもいかないんでしょうね。大陸から伝わった仏教が数世紀をかけて庶民に広がるまでには、最澄、空海、法然らの理論がいろいろと必要だったんだから。

急がば回れ方式で、大前提から確認していく。
本盤をレコーディングした東本願寺は、真宗大谷派の本山で、大谷派は浄土真宗の宗派のひとつ。で、浄土真宗はというと、法然の門弟・親鸞が開いた。
法然は平安末期の世に「寺への喜捨や写経などをしなくても、南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも浄土に行ける」と説いた。極楽往生に性別貴賎の差は無いんだぜ、と日本仏教にヌーヴェルヴァーグをもたらした、かなりグレートなひとである。
しかし親鸞は、厳しい修行でも煩悩が去らないことに悩んできたストイック系の若者。法然に「キミね、念仏あるのみですよ」と言われても、(そんなテキトーな……)と困ったそうだ。

そこからまた親鸞、何年間もよくよく考えて、
「あ、そうか。修行には自力に頼るエゴがつきまとうんだ。少なくとも私はそうだった。念仏は、往生を求めて唱えているあいだは、苦しい。念仏を通して、衆生を救おうとなされる阿弥陀仏のこころをただありがたくいただき、お任せすることに救いがある……!」
と掴んだ。これが親鸞の築いた大きな思想、〈他力本願〉。




気まぐれで買った後うっちゃっていた『仏教人物の事典 高僧・名僧と風狂の聖たち』(2005/学研)や、『入門 お経の本』(2014/洋泉社)に書いてあることを、自分で読んでも理解できるように噛み砕いてみた。
そんな親鸞が残した著書のエッセンスを、昭和の僧侶が集まって読誦したものが本盤。内容自体は『ベスト・オブ・親鸞』と考えてよいようだ。 しかもジャケット裏の解説には、当時の真宗大谷派宗務総長・訓覇信雄が「正しい声明作法を習いたいと言う気運が、僧侶や門徒の人々から盛り上ってきたこと」が、本盤の主な制作意図だったと書いている。

つまりこれ、以上のような理解はとっくに血肉にしている真宗関係者のための、レッスン用レコード。僕がインデックスを眺めたところで、ちんぷんかんぷんなのは当たり前なのだった。そうと気づけて、ずいぶんホッとした。


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