【連載】 ポルトガル・食と映画の旅  第2回「アレンテージョの春」text 福間恵子

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buy tadalafil online ヴィディゲイラの「パンとお菓子の祭り」のメイン会場のブースのひとつ。どれもこれもアレンテージョの伝統菓子で、作った本人やその家族が売っている

Zithromax online ポルトガル、食と映画の旅
generic viagra india 第2回 アレンテージョの春

2006年3月、ポルトガル5度目の旅。北東部を10日間ほどまわってから、先に帰国する夫とともにリスボンに戻ってきた。そのとき、たまたまリスボンのシネコンで、オリヴェイラの新作 http://viagra-online-sr.com/ buy viagra online 『Espelho Mágico』(2005、直訳で「魔法の鏡」)が上映されているのを知った。シネマテーク以外でポルトガルの監督作品を見るのは初めて。それもオリヴェイラである。ラッキー! とばかりに初めての巨大なシネコンへと足を運んだ。13時からの回。料金は5ユーロ。当時のレートで700円ほど。300人は入りそうな広いサラ(部屋)に案内されて席についたものの、最後まで観客は夫と二人きりの貸切状態だった! 贅沢ではなく、悲しい。自国の映画に関心がない状況は、ポルトガルもスペインも同じである。

その日の日記にわたしはこう書いている。

「オリヴェイラの常連の俳優ばかり。いつものアグスティーナ・ベッサルイスの原作で『A Alma dos Ricos』(直訳で「富豪たちの魂」)。例によって、フィックスでの会話が延々と続く。大金持ちの夫人をレオノール・シルヴェイラが演じている。彼女は聖母マリアを一目見たいと願いながら、精神を病んでゆく。彼女のまわりの人々が描かれ、タイトル通り、鏡がたくさん出てくる。鏡にそれぞれの人物を映しながら、その画面で映像を作りながら、そして物語は宗教色を濃くしながら、彼女の死へとすすんでゆく。鏡に映るレオノールの顔が、刻々と死の色に染まっていくのがおそろしい。字幕がないことも手伝って、むずかしかった」。

クレジットが消えると同時に、かなり眠りこけていたはずの夫が、「傑作だ!」と言った。わたしは首をひねり、日本で公開されたらもう一度見てから評価すると答えた。がしかしその後、亡くなるまでのオリヴェイラ作品のほとんどが日本で公開されているにもかかわらず、『Espelho Mágico』はいまだに公開されていない。なぜなのか。

翌日、帰国する夫を見送ったわたしは、残りの6日間をどう動くかをぎりぎりまで迷っていた。ポルトガル北東部からリスボンに流れるテージョ川を境に、南に広がるアレンテージョ地方。ここの中部のどこか小さな町に焦点を絞ってはいた。決してオリヴェイラの映画の舞台にはならないアレンテージョは、大地主と小作の貧富の構造がいまもなお残っていて、ロマの人たちが暮らす地区も点在する地方である。オリヴェイラ作品の、北の「富豪」のあとで、この土地がどんなふうに映るのだろうと、さらに興味はつのっていた。

しかし、鉄道は廃止されバス便も少ないアレンテージョは、残された日程で小さな町を巡るにはあまりにも広い。南に行きすぎると戻ってこれない。おまけに土日にかかると便がなくなる。が、あれこれ考えていてもラチがあかない。動きださねばならない。

何の情報もなかったので、地図とルートとバスの時刻表とをにらみあわせた上で、その音の響きからまずヴィディゲイラに行くことに決めた。リスボンから2時間半。ところがわたしは、その手前20キロほどの村ポルテルで降りてしまった。世界遺産の町エヴォラをすぎて、どこまでもオリーブとコルクの木ばかりの風景のなかで不安になったのだ。はたしてヴィディゲイラに宿はあるのか。気に入らない村だったとき、その日のうちに移動できるのか。バスがポルテルの村に近づいて、丘の上に立派な城が見えたとき、とっさに降りることを決めたのだった。

バス停で尋ねると、夕方6時半にモウラに行くバスがあるという。モウラは友人からいい町だと聞いていたので、ぜひとも行きたいと考えていた。ついている。ポルテルが気に入ればここに泊まるし、そうでなければモウラに行く。4時間の間に決めればいい。少し気持ちをラクにして村を歩きはじめたものの、すぐに雨が降ってきた。どんどん激しくなって、カフェを3軒はしごして雨宿り。そのなかの一軒で「パンとお菓子の祭り」という大きなポスターを見つけた。明日から3日間、開催地はヴィディゲイラだ。ふーむ……。メモを取る。しかし、この雨で、もうすっかりモウラに移動する気になっていた。

7時半、モウラに着いたときは真っ暗で、雨はまだ降りしきっていた。いろんな人に助けてもらって、なんとかいい宿にたどりつけて、アレンテージョの第一夜は思いがけずモウラとなった。

翌朝、雨があがって日が射しはじめたこの町と、初めて対面した。小高い丘の上に位置する町の四方には、どこまでもオリーブ畑が広がっている。スペイン国境まで50キロ。小さいけれど歴史を感じさせる美しい町だ。りっぱなトゥリズモ(観光案内所)もある。ここで町の資料とバスの時刻をもらった。ふと見れば、ここにも「パンとお菓子の祭り」のパンフとヴィディゲイラの村の案内。他の村の資料など皆無なのに、なぜかある。ヴィディゲイラに行けと、誰かに言われているのだろうか。

だが、またしても悩むのはバスである。元に戻るわけにもいかないので、幸いというべきか方法はひとつしかなかった。南アレンテージョの中心地ベージャに出るのだ。まして今日は金曜日。かくして、この静かで美しい町にもう一泊したい気持ちをあっさりと投げ捨てて、2時40分のバスでモウラをあとにした。

たぶんきのうの雨を境に、春が一歩進んだのだろう。初夏のような陽射しが、窓のあかないバスの中を温室状態にしたままベージャに近づく。のっぺらとだだっ広く味のない印象のこの街が、わたしはきらいだった。しかし南アレンテージョの交通のほとんどはここが起点だ。きらいでも避けるわけにはいかない。

4時15分、ベージャのバスターミナルに着くやいなや、今日のうちに動けるさらに南へのバスルートを大急ぎで調べた。早くしないと、そんなことをしているうちに最後のバスが出てしまうことだってある。が、必死になるほどの選択肢はなく、土日に動きがとれなくなることを考えると、三たびヴィディゲイラが浮上した。出発まであと10分。ハラを決めた。

5時20分、ついにヴィディゲイラにやってきた。遠くからでも村が一望できるようなカンポの中にあるごくふつうの村。城も城壁もない、オレンジ色の屋根と白い壁の家がこぢんまりとした集落をつくっている。ちょうど夕方の光が村にスポットを当ててくれているかのように、ぽっかりと浮かんで見える。

バス停にいた女性に宿を尋ねると、とても親切に教えてくれた。その宿サンタ・クララに向かう途中に、「パンとお菓子の祭り」のテントを張った特設会場があった。通りやカフェや会場には大勢の人が愉しそうにたむろしている。祭りの空気が流れている。

レジデンシアル・サンタ・クララはこの規模の村にしては大きく立派な宿で、値段も少し高くて35ユーロだったが、それに十分ふさわしく素晴らしい部屋だったので、即決めた。祭りの会場はすぐそばで、窓を開けると軽快な音楽といい匂いが流れてきた。リュックをそのままおいて、わたしは外に飛び出した。

会場は村の中心の公園に建てられた大きな三つのテント。第一会場には音楽装置のある舞台と客席とバルが三つ。第二会場は村の市場にテントをくっつけてあって、ソーセージ類とオレンジとチーズ・野菜などを売っている。そして第三会場の一番大きなテントが祭りのメイン、パンとお菓子の売り場。10軒ほどのブースにはありとあらゆるパンとお菓子が並べられ、アレンテージョのパンの歴史や作り方のブースもあれば、外には小さめのパン焼き窯も設置されている。アレンテージョのパンはいまだに昔ながらの焼き方が残っていて、ポルトガルの中でもとりわけおいしいと言われているのだ。

これらをひととおりチェックしてから、村のメインストリートを往復したところで、真ん中のテントの前に白と黒の正装をした男たちが登場した。黒の帽子、白いシャツに黒い短めのベスト、黒のズボンに黒の靴、首には白いスカーフ。腕を組んだ7人ずつぐらいが3列の隊列を作っている。ベストの間からポッコリお腹の出た人、真っ白なあご髭の人など、みな60歳以上と思えるおっさんばかり。でも皆いちように、年季の入った日焼け顔に深い皺がきざまれている。

おごそかに独唱が始まって、あたりがしーんとなった。それに続く合唱。ほんのわずかずつ歩を進めながら歌う男たちの声は、お腹の底にずしりとひびく。村じゅうにひびいている。すばらしくいい。

3曲歌ったところで大拍手が起きて、リーダーらしい人が挨拶した。それが終わるやいなや、その横に待機していたもうひとつのグループが歌いはじめた。こちらは紺色の労働着のような上下に茶色の靴。全員が胸にバッジをつけている。隊列が一つ少ないので14、5人ぐらいだろうか。やはり腕を組んで少しずつ進みながら歌う。こちらの方が全体にすこし若いかもしれないが、曲も声も正装グループとどう違うのかわからない。

二組の合唱が終わったところで、急に喉の渇きをおぼえて、テントの向かいにあるおっさんたちでいっぱいのバルに入った。

それまで大勢にまぎれて合唱に聴き入っていたわたしは、バルの中にいる皆にいっせいに見られて緊張した。村をあげての祭りとはいえ東洋人の客はめずらしいのだろう。ましてや中年の女ひとりだ。けれどもその視線はやさしいものだった。こういう一瞬の反応で、その土地の印象は良くも悪くも決まるところがある。

カウンターの中で汗をかきながらおっさんたちの注文をこなす店の主人は、カウンターの隅に立つわたしに目もくれない。無視しているのではない。順番をきちんと守って一人一人の注文を聞いているのだ。これまでの旅でそれを知っているから、わたしもじっと待つ。その間に隣の人に「ボア・タルディ(こんばんは)」と挨拶。やっと順番が回ってきて、主人がにっこりと目を向けた。

「ウマ・インペリアル、ファシュファボール(生ビール一杯お願いします)」

細めのグラスの生ビール、これが0.5ユーロ。70円ほどである。小皿にのった殻付きピーナッツ6、7個がついてきた。隣のじいさんが手で食べろ食べろと合図して、自分のワインを持ち上げたので、わたしもビールをかかげて乾杯した。見ていると客のほとんどは白ワインだ。ショットグラスを少し大きく長くしたような小さなコップになみなみ。これがなんと0.2ユーロ、30円弱。わたしも二杯目は白ワインにする。辛口のおいしいワインだ。ボトルを見せてもらうと、この村ヴィディゲイラのもの。主人が、うまいだろ、という表情をこちらに送る。

ちょっと客が減ったところへ、さきほどの正装の合唱の男たち4、5人が入ってきた。店の明かりの中で見ると、酒のせいだけでなくみな赤く日に焼けた顔をしている。たまたま隣に来た黒い帽子のよく似合う温和そうなおじさんに、合唱がすばらしかったと話しかけた。するとうれしそうに顔をほころばせた。

「祭りの間は毎日歌うんだ。これがグループのバッジだよ」

見せてもらうと、「ウジュ ヴィンディマドーレス デ ヴィディゲイラ(Os Vindimadores de Vidigueira)」と書いてあった。ヴィンディマドーレスとは、ぶどうを収穫する人たちのこと。アレンテージョの男の合唱はぶどうを作る男たちが歌っていたのだ。日焼けした顔ときざまれた皺は、労働の証しだった。

「じゃあ、このワインもあなたたちが育てたぶどうから出来たのね」

「そうさ、だからおいしいだろ」

彼はにっこり笑って、店の主人に「このセニョーラにもう一杯」と頼んだ。わたしはお礼を言って、皆とも乾杯した。クイッと飲み干したヴィンディマドーレスは、「またな」と言って店を出ていった。めちゃくちゃカッコよかった。

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