【連載】「ポルトガル・食と映画の旅」第7回 フォンタイーニャスを探して text 福間恵子

旧市街の中心ロッシオの鉄道駅からシントラ行きの電車に乗る。リスボンの西の郊外に一気に出ていく。郊外を含めると、リスボンもまた一国の首都なのだと、あらためてその広さを思う。有名なサッカーチームと同じ名前のベンフィカ駅をすぎたころから、乗客のほとんどは黒人の人たちになった。目指すところはやはりこのあたりなのだとドキドキしてくる。ロッシオを出て25分ぐらいでレボレイラ駅に着いた。

駅前には広い道路が走り、正面には低い丘に向かって高層の団地がつづいている。建てられてもう20年近くは経っているように見える。青空の広がるよく晴れた日だったので、建物の傷みがかなりくっきりと浮き出ている。駅前の活気がほとんど感じられない、おおざっぱな新興住宅地という印象だ。

「Reboleira」という言葉は、辞書によると、とてもいい意味を持っている。「(畑などで)作物などがよく成長している所」。「(牧場などで)牧草がよく生えている所」。「(林などで)木がよく繁っている所」。もともとは、肥えた土地だったのだろうか。ペドロ・コスタの短篇『Tarrafal』(2007)で、ヴェントゥーラが緑の繁るところに立っている姿を思い出した。

地図上のフォンタイーニャス通りは、レボレイラ駅のひとつ手前の駅との間の、線路をはさんで反対側にあるように記してある。レボレイラ駅の反対側は、荒地が広がる光景だった。廃屋となった工場とゴミだらけの空き地。しかし、こういう光景はリスボンの郊外に珍しくないものではある。

レボレイラ駅の反対側の、廃屋となった工場とゴミだらけの空き地

わたしたちは線路に架かった高い橋を渡って反対側に降り立った。草ぼうぼうの荒地を脇に見ながら、舗装されていない道を行く。すぐ前を歩いている黒人の青年の足取りがおぼつかなくて、少しこわかった。

100メートルも歩くと、1階が店舗になった高層住宅にぶつかった。小さなカフェや食料品店や食堂のような店があり、出入りする人々がいた。その大きな高層住宅をまわるようにして広い道路側に出ると、そちらが表になっていてスーパーや店舗が並び、道路には当たり前のようにバスも走っていた。向かい側にも高層住宅が何棟か立っている。はたしてこれらが、取り壊され建て替えられた住宅群だろうか。明るい日差しの午後のそのあたりにいるのは、黒い肌の人ばかりだった。年寄りも子どもも赤ん坊も若い女性も、ふつうに暮らす町の人だった。けれども、そんなところをうろうろしている東洋人のわたしたちに、当然のように好奇の目が注がれて、わたしも夫も緊張した。

タイルでできたフォンタイーニャス通りの標識

バス通りを向かい側に渡って、地図の通り名を確かめながらフォンタイーニャス通りを目指した。交差点に出てそこを渡ったところで、「Rua das Fontainhas」と書かれたタイル貼りの標識を見つけた。夫とわたしは同時に声を出した。

そこから伸びる通りの両側には、がらんとして古びた工場の建物が二つ三つ並んでいて、実際に稼働しているのかどうかわからないぐらいの印象だったが、ひと気がないわけではなかった。だが、住宅はなかった。交差点までひき返して、あらためて行く手を見ると、ほとんど朽ちた家の残骸が並んでいるのに気がついた。そこに近づいていった。

大音量のアフリカ音楽が聞こえてくる。壁がいまにも崩れ落ちそうな半壊の家の前に、椅子に座ってうなだれたまま身体を揺らしている老女のような少女がいる。ペドロ・コスタの映像が浮かび、鼓動が速くなる。まともな家はどこにもない。けれども、朽ちた家から洗濯物がひるがえり、人の気配があり、不意に外に出てくる人もいて、わたしの膝はガクガクする。ヴァンダの咳やヴェントゥーラの声が、いまにも聞こえてきそうな気がする。店ともいえぬようなカフェのようなところもあり、コーラやビールが見えている。半壊した家の土台にレンガを積みかさねていって家らしい格好になっている建物もある。とても原始的なかたちで、傾いた電柱から細い電線が引かれて、テレビアンテナも立っている。水はどうなっているのだろうか。

人が住んでいる朽ちた家

この「貧民街」は、広さにして50〜70メートル四方ほどだろうか。むこうに見えている土地は、たぶん、かつての住宅が徐々に取り壊され更地となったが、新しい住宅が建てられないままに荒地となりゴミ置場になってしまったというように見えた。想像できるのは、フォンタイーニャス通りに沿って存在した「ヴァンダたちが住んでいた地区」の、5分の3は工場となり、5分の1はゴミだらけの放置地区となり、残りの5分の1のまだ壊されきっていない朽ち果てた家々に人が住んでいる、ということだろうか。

いったい何人の人が、いまここで暮らしているのか。追い立てられた人々は、あの高層住宅に本当に住んでいるのか。

『骨』や『ヴァンダの部屋』の、あの暗がりの細い路地の光景と人々を思い浮かべる。そこにはたくさんのアフリカからの移民の人たちが暮らしている。きっと何百人もの人々や家族が生きている。同時に立ち退きと解体が始まり、少しずつここを去ってゆく人がいる。

ペドロ・コスタのあの映像から、フォンタイーニャスという地区はかなり広いところだと勝手に思い描いていた。しかしそれは撮影のマジックで、じつはいまわたしたちが歩いてきたこの狭い地区だったのではないか。

フォンタイーニャスの現実を前に、そんな思いが次々と頭をよぎる。フォンセカ・イ・コスタ監督が撮った「観光」のリスボン。ペドロ・コスタの「闇」のリスボン。そのあまりの落差にめまいがしそうだ。

しかしここに長くいることはできなかった。朽ちた家の隙間からだれかに見張られているようであり、廃屋のような工場の塀の中からの鋭い視線を感じていた。こわかった。写真も数枚撮るのが精一杯だった。

わたしたちは無言のままにフォンタイーニャス通りを離れて、線路の方に戻った。よく見れば、レボレイラ駅の手前のサンタ・クルース・ダマイア駅は、よりフォンタイーニャスに近いことがわかった。この駅をヴァンダも利用したのだろうか。『骨』のティナの夫は生まれたばかりの子どもを抱いて、この駅から列車に乗り込み、観光客がひしめくロッシオまで行って物乞いをしたのだろうか。

▼Page3 につづく