20代の頃。どの本に載っていた言葉だとか、正確な文言だとかは記憶していないのだけど、大江健三郎の小説に出てきた、「どんなに偉くなったからといって、誰か自分の身代わりになって死んでくれるひとがいるだなんて思い上がってはいけない」みたいな一節に、ひどくショックを受けたことがあった。
それから何年かたって。こちらも完全にうろ覚えなのだけど、マキノ雅弘が「ぼくたちには(なんだかんだ言っても)日本映画が必要なんだ」という趣旨の発言をしていたと知る。それからしばらく、そのことについて考えていた。それ以来ずっと、と言ってもいい。というか、マキノ雅弘はそんな、植草甚一みたいな口調で喋りはしないと思うけど。
遠藤ミチロウが小沢和史と共同監督した『SHIDAMYOJIN』を見て、ふと思い出したのがこのふたつの発言。ではさて、どうしてかっていうと、説明が難しい。おいおいまたここに戻ってくることにして、『SHIDAMYOJIN』の話を始めようかな。
遠藤の単独メガホンによる初監督作『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(筆者レビュー→http://webneo.org/archives/38908)は、おそらくは幾重にも重なった照れによってだろう、複雑で愛らしい映画になっていた。それと比べると、この第2作には、リラックスした被写体としての顔がふんだんにおさめられている。冒頭からして、ネコ柄のパーカーにハンチングという格好の彼が自転車を押しながら歩き、八百屋で買い物をする姿だ。そこに、過激な言動で話題を呼んでいた往年の写真がいくつも挿入される。どれもこれももうひたすらかっこいい。だがそのぶん、自然発火しそうなパンク時代と、孫の成長に目を細めていてもおかしくなさそうな現在との落差は、大きい。
と書いたのは、まあ、手続き上の話。みなさま薄々お察しのとおり、これは、身を立て名を上げたミュージシャンの回顧/懐古録などではない。見た目の角が取れ、丸くなればそのぶん、転がる速度は増す。遠藤はいまも、互いに睦み、日々、やよ励み続けているのだ。
そもそも『SHIDAMYOJIN』というタイトルはもちろん、遠藤が結成した民謡パンク・バンドの名前から来たものだ。その由来の地は、東京電力福島第一原発から約30km、現在は合併によっていわき市の一地区となっている小さな村、志田名(しだみょう)。この地の住民(=志田名人)の魅力にとりつかれた遠藤がそれを拝借、書き換えたバンド名が「羊歯明神」。
しかしそもそも基本的に、なぜ民謡なのか。それを知るためには、ピーピーカリカリというガイガー・カウンターの音をBGMに、ブーブーで志田名を訪れなくてはならない。2011年春、この地区のひとりの女性が、自前で線量計を買って放射線量を調べ始めた。すると、家の周りのあちらこちらに、突発的に線量が高い場所があることがわかる。いま、なんとなく客観的っぽく「線量が高い」と書いたが、普通は「汚染されている」と言うほうが自然だ。なんでもかんでも普通は普通はと連呼するべきではないと思いつつ、それでも「普通は」、「汚染されている」場所には住みたくはないのが人情。
若いひとたちや子供たちは、志田名を出ていく。年寄りが残る。生まれ育った土地に愛着があるとか、経済的や体力的な事情で動くことができないとか、理由は様々だろう。残った者たちは、放射線衛生学者の木村真三の協力を得て、自分たちで線量を測定し、詳細な汚染度のマップを作った。それをいわき市につきつけて、除染してくれと申し出る。しかし市はすでに「安全宣言」済みだとして、訴えにとりあわない。いわき市の面積は1232平方キロ、東京23区のほぼ2倍である。その広大な面積の中に多少、色の濃い部分があったとして、山ン中の話だ、目ぇつぶっぺ、と切り捨てるのが行政というものなのかもしれない(と、これは想像で書いている。このへんの経緯について、もう少し詳しく見せてほしかった)。
遠藤は志田名を「限界集落」と呼ぶ。国の棄民政策のあらわれだと静かに憤る。それでも地区の寄り合いには数十人が顔を出し、遠藤の福島弁まじりの、ときに春歌めいた弾き語りに笑い声をあげ。女性たちは山形風の芋煮をつくる遠藤にあれこれ指示を出す。「もっと砂糖入れて」「あ、はい」
遠藤の音頭取りで、久しく途絶えていた盆踊りが志田名に復活する。都会に出て行ったままの息子たちや娘たち、あるいは一時避難した家族も、お盆には戻ってくる。コミュニティの土台としてのやぐらを立て、そのまわりをみんなでぐるぐる踊ろう。いざ当日。中途半端な劇映画のクライマックスであれば、広場は老若男女で埋め尽くされ、遠藤が汗を飛び散らせながらシャウトした瞬間にストップ・モーション、というところだが、集まった人数は決して多くはない。だが踊っているひとたちの表情はたしかに充実しているし、ほのかな照明のもと、踊りは夜遅くまで続く。最初は見ているだけのつもりでやってきて座っていたおばあさんが、次第に前のめりの姿勢になり、しまいには杖を突いて立ち上がり、踊りの輪に加わった。
そもそも遠藤が民謡に興味を持ったのも、ピーピーカリカリの音がイントロとなってのことだった。彼の故郷は福島県二本松市。福島第一原発からは直線距離で50キロほど内陸側、安達太良山のふもとである。必然的に、少なからぬ数のひとたちが避難してくる。やむを得ない理由で故郷を離れた彼らが強く欲したのが盆踊り、そして民謡だった。黙々と踊るひとたちを見て、老いも若きもを惹き付けてひとつにする民謡の力を知る。
むろん羊歯明神の民謡は、普通の民謡ではない。なんでもかんでも普通普通と連呼するべきではないが。「ソーラン節」の掛け声は「騒乱! 騒乱!」と不穏さをはらむのだし、「会津磐梯山」は「お馬鹿シンゾーさん/なんで信用無くした?/朝寝浅知恵赤ウソ大好きで/それで信用無くした/ああもっともだもっともだ」と、子供の替え歌のような率直さだ。
映画のクライマックスは、愛知県の河川敷でおこなわれた「橋の下世界音楽祭2016」でのライブの様子。投げ銭を募る巨大な山車が会場を練り歩き(これ作るのにいくらかかったのか、というツッコミはなしにして)、メキシコかニューオーリンズのように巨大な骸骨が右往左往し、ロック・バンドと並んで大道芸人も芸を披露する、まさにお祭りだ。
やぐらの上で夕陽を浴びながら遠藤が歌うのは、民謡と並んで、過去のレパートリーの改作、あるいは焼き直し。ハードなリフの原曲が、土俗的なリズムでひとなつっこく模様替えしている「ロマンチスト音頭」。踊り狂う観客が踏みつける足元からは、もうもうと土ぼこりが舞い上がる。
メガホン(!)から流れるサイレンが耳をつんざく「ワルシャワの幻想音頭」。「オレの存在を頭から輝かさせてくれ!」のフレーズには、「一億総活躍社会」という出来の悪いキャッチフレーズをついつい思い出してしまう。それにしても、そこに続く「お前らの貧しさに乾杯!」「メシ食わせろ!」の、21世紀における響きの強烈さときたら。
ワルシャワといえば。遠藤は、当時のバンド、スターリンで1990年におこなった東欧ツアーの際、現地ではさぞスキャンダラスに響くだろうと予想していた自分のバンド名に対しての反応が「ふぅん……別に」みたいな感じで拍子抜けしたとどこかで語っていた。大丈夫、ワルシャワの若者には届かなかったかもしれない真意は、何十年もかかってぼくたちに届いてますよ。
ところで、ちょっと寄り道を……。
民謡と弾き語りとパンク・ロックを異種交配したような羊歯明神の音楽をどうとらえるかはひとそれぞれでしょうが、民謡と「洋楽」の融合ならば、昨日今日に始まった話ではない。戦前からおこなわれていたし、戦争が進行して敵性文化への風当たりが強くなると、ジャズメンは「日本的な」題材の曲を、ジャズを演奏する隠れ蓑として用いた。戦後になれば江利チエミ、東京キューバンボーイズ、ほかにもいろいろ。そうそう、古谷充とザ・フレッシュメンの、そのものズバリの『民謡集』をぜひ聴いてみてほしい。
ところで、アメリカのポピュラー音楽の歴史に興味をお持ちの方は、フォーク・リバイバルという現象をご存知かと思う。職業作曲家のつくったものではない、そこらで歌われていた労働歌やゴスペルや伝承曲を拾い上げて、こざっぱりと仕立てて都会の皆様のお耳にも届けましょう、みたいな運動。このムーヴメントが産んだ最大の大物が、ボブ・ディラン。
わたしが考えているのが、日本でおこなわれてきた民謡とポピュラー音楽の混淆、あれってフォーク・リバイバルの日本版にあたるものだったんじゃないかということ。それと並行して、北中正和は名著『にほんのうた』で、1950年代、農村から都市への人口流入を反映して演歌のメンタリティが変化しつつあった現象について、こう書いた——「自らも農村出身であった作曲家たちが、のちのフォークシンガーたちがそうしたように、自分の体験や心情を曲に織り込んでいった」。
え、なんか話がごちゃごちゃしてない? それにフォークと民謡ってぜんぜん別物なんじゃないの? という質問に対しては、そうでもあるし、そうでもないんですよ、と答えるしかない。英語ならどちらもfolk。でも日本では、なんか別物扱い。ここに日本のロックの問題点もあると思うんだけど、あれっ、止まらなくなってきたな、どうしよ。
詳しくは『ミュージックマガジン』2016年11月号の特集「ニッポンの新しいローカル・ミュージック」を読むのがわかりやすいと思いますが(羊歯明神は載ってたんだっけかな)、ここ数年、日本の伝承音楽にヒントを得たミュージシャンたちの勃興が著しい。これ、日本の音楽史上たぶん初めての、本来の意味でのフォーク/民謡・リバイバルなはず。誰かいまのうちにドキュメンタリーを撮り始めたほうがいいです。
だから、羊歯明神の活動を珍奇なものとして考えなくてもいい。歌われる言葉の過激にひりついたユーモアに、正調に対する冒涜だなどと目くじらを立てる必要もない。世は歌につれないけれども、歌は世につれる。それ以上にまず、ひとの気持ちにつれて変化していくものだろう。縁に従って浮世を漂い、公園の猫やガジュマルの樹であれ、オスプレイ反対のデモであれ、興味を感じた対象に軽やかに近寄っていく男ならではの、民謡再興/最高!な運動なのだ。
チェック・アウト前のホテルの部屋。整然とまとめられた小さめのトランクの中がちらっと見え、荷造りに慣れた様子がうかがえる。遠藤ミチロウの旅はまだまだ続くはず。また(スクリーンで)会える日を楽しみにしています。
【映画情報】
『SHIDAMYOJIN』
(2017年/日本/カラー/ステレオ/71分/ドキュメンタリー)
監督:遠藤ミチロウ、小沢和史
撮影:小沢和史、藤田功一、照屋真治、木村真三、阿部崇
編集:小沢和史 整音:宇波拓
カラーグレーディング:稲川実希
製作・配給:北極バクテリア
プロデューサー:伊東玲育、藤田功一
宣伝/海外担当/ウェブデザイン:植山英美
デザイン:シンヤチサト
出演:遠藤 ミチロウ 石塚 俊明(羊歯明神) 山本 久土 (羊歯明神/羊歯明神Jr.)
茶谷 雅之 (羊歯明神Jr.) 木村 真三 (獨協医科大学)
伊藤 多喜雄 めぐ留 PIKA 井出 友好 志田名の皆さん
写真は全て© 2017 SHIDAMYOJIN
公式サイト:https://shidamyojin.wixsite.com/mysite
新宿 K’s シネマにて公開中 〜6/16
(連日21:00、★5/31(水)・6/7(水)・6/14(水)は『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』上映のため休映)
大阪・第七藝術劇場(6/10―)神戸アートビレッジセンターほか 全国順次公開予定
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【執筆者プロフィール】
鈴木 並木(すずき・なみき)
1973年、栃木県生まれ。主宰しているリトル・プレス『トラベシア』の第2号がもうすぐ出ます。「普通に読める日本語の雑誌」が謳い文句、ぜひお見知りおきを。コンテンポラリー民謡シーンといえば、このあいだ初めて見た、ラテンでアフロでエキゾな福生の民謡バンド、民謡クルセイダーズはすばらしかった!