【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第26回 『LENNY BRUCE-AMERICAN』

レニー・ブルースは毒舌で社会を騒がせた、伝説的コメディアン。
反体制の英雄か、それとも不道徳な破壊者か? 
真価を封じ込めた絶頂期の舞台録音

レニー・ブルースを知っていますか

廃盤アナログレコードの「その他」ジャンルからドキュメンタリーを掘り起こす「DIG!聴くメンタリー」。またまた約2ヶ月振りの更新となってしまいました。今回も、よろしくどうぞ。

さて、みなさんはレニー・ブルースを知っていますか。
マイク1本、ひとりきりで時事風俗を風刺して笑わせる欧米の漫談=スタンダップ・コメディについて語られる時、必ず名前が挙がる人物だ。

1923年、ニューヨークはロング・アイランド生まれのユダヤ人。海軍除隊後にブルックリンでナイト・クラブの司会者を始める。人種差別語や卑猥な言葉を散りばめたトークで注目され、一躍カリスマ的な存在に。しかし60年代に入ると何度も舞台上の発言で逮捕され、法廷闘争で消耗。1966年、麻薬が原因で死亡。

ステージ上で「FUCK」を大っぴらに連発した、最初の芸人と言われている。
「今日も沢山のお客様がお見えです。沢山のお客と、それから……ニガーが一匹、ニガーが二匹」みたいなのをガンガンやったらしい。
ろくでもないことをわざわざ言う芸風で嫌われ、憎まれ、同じ位に、くさいものから蓋をはがしてタブーそのものを挑発する、戦後の新たなタイプの表現者として歴史に残る。


ステージの録音が、生前から何枚もレコード化されているのは前から知っていた。一体どんなものか、ぜひ一度聴いてみたいと思っていたので、下北沢でこの『LENNY BRUCE-AMERICAN』(1961・fantasy)を見つけた時はコーフンした。
ジャケットが最高だ。大都会の芸人らしい不機嫌な面構え。カメラに焦点が合っていない、真夜中過ぎの疲れた目。華やかで暗くて危険なビートニクのアメリカそのもの。内容もまさにそうで。

「なんで離婚したかって? それが語るも涙。義母さんの肌が忘れられなくてさ」

「ドーベルマンを飼ってるのかい。あれはいい犬だ。10年経てば、ちゃんとアンタを噛み殺せるぜ」

「離婚した中年女と、寂しい同士でモーテルに入った。場末だがいいモーテルなんだよ。フロントの支配人が神妙に『ものみの塔』を読んでる」
(以上、僕の意訳)

こんな喋りを性急な早口で連発し、そのたび笑いがドッと起こる。
レニー・ブルースは、歌手やダンサーの出番の合間に穏当にこなせばよかったジョークを、ステージの主役にした。そのイノベーションの真っ最中を聴ける。ヒリヒリする臨場感がある。

ただ、スリルの多くは、観客の笑い声からもたらされている。
アハハ、ハハハ、ガハハの少なからずは、温かい、共感の笑いではない。誰でも覚えがある、怖い相手の皮肉の針が自分(と自分の価値観)に向けられているのかどうか一瞬判断がつかない時に起る、脊髄反射的な、痙攣に近い笑いだ。壇上のコメディアンははっきり、客を呑んでかかっている。


一躍注目された頃のジョーク集

【A面】
1・LIMA,OHIO
2・AIRPLANE  GLUE
3・SHELLEY  BERMAN/CHICAGO/NIGHT  CLUB  OWNERS
4・HOW TO RELAX YOUR COLORED FRIENDS AT PARTIES
5・THE  LOST  BOY

【B面】
1・MARRIAGE, DIVORCE  AND  MOTELS

2・DON’S  BIG  DAGO
3・THREE  MESSAGE  DAGO
4・COMMARCIALS
5・FATHER  FLOTSKI’S  TRIUNMPH

レコードは1トラックにつき1ネタで、約2~3分ずつの構成。ひとしきりの笑いがあったところでブツ切りになり、次の噺へ移っている。いつ、どこのナイト・クラブで収録されたものかの記載は無い。『やつらを喋りたおせ! レニー・ブルース自伝』(藤本和子訳/1963-1977 晶文社)によると、ジョークはあらかじめ幾つもストックされていて、ステージごとに順番を組み替えながら喋り通すスタイルだったそうだ。

「いいたいことがたくさんあることはわかっているが、ただそれをいついうかについては前もって決まっていない。ある主題が自然に他の主題に結びつくのを待つそのプロセスはジェイムス・ジョイスの意識の流れと同じだ」


この記述を踏まえると、おそらく複数の場で収録された中から、ネタのまとまりがいいものを編集したのだろう。
実はYouTubeで検索すれば、レニー・ブルースの映像は幾つも出てくる。ここではそれを度外視し、レコードから汲み取れることを優先して書いている。「動画にアップされてる」がゴールになると、聴くメンタリーなんか大半がつまらなくなる。それに……自分の芸を解説するのに、ジョイスなんて文豪を引き合いに出してしまう脇の甘さに僕はいたいけなものを感じてしまったのだが、その話は後で。

レニー・ブルースの笑いを知りたいと言っても僕は語学力ゼロなので、第24回のLENIN SPEECHES RECORDED 1919-1921(1959)に続いて、ニーナ・ベロワさんに翻訳をお願いした。
社会主義革命の意義を説くレーニンの演説の後に、アメリカの毒舌漫談。ムチャ振りを快く面白がってくれて、ありがたいし、世の中には聡明な人がいるもんだ、とつくづく。大体、レニー・ブルースをもとから知っていて興味ありましたなんて言う20代前半の女性が、そんなに大勢いるとは思えない。一般教養とは少し外れた存在だから。知り合えただけでも、僕はかなりラッキーだ。

しかし、ベロワさんにしても「独特の訛りで早口で、聴き取るのはすごく難しかった!」そうだ。さらに「時代や社会の背景もあり、当時のアメリカ人じゃないと何が面白いのかすぐに分かりにくい」ところは多いとも。現代の僕らにはどうだろうか。
幾つか訳してもらった中から、代表的なネタを丸ごとここに挙げてみる。

▼page2  「パーティーで白人が黒人と打ち解ける方法」に続く