【連載】福間恵子の「ポルトガル、食と映画の旅」 第16回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅱ

サン・ミゲル島はアソーレス諸島のなかで一番大きい島で、東西65キロ、南北7〜15キロ。東西に細長いまるで芋虫のような形の島である。面積は759キロ㎡(熊本県のほぼ10分の1)で、テルセイラ島のちょうど2倍。人口は約13万人で、そのうちの半数が「首都」のポンタ・デルガーダに住んでいる。ポンタ・デルガーダはアソーレス諸島自治地域の中心であり、1970年代に創立されたアソーレス大学もある。この街はテルセイラのアングラ・ド・エロイズモと同様に、ポルトガルの大航海時代に、ヨーロッパと新大陸との中継点として繁栄した。18世紀以降は、捕鯨乗組員の供出とともに、タバコ・とうもろこし・パイナップル・オレンジ・砂糖大根・乳製品などが輸出された。

ポンタ・デルガーダもまた島の南海岸にあり、他の主な町も南海岸に三つ、北海岸には一つ、というぐあいに、島の形はちがってもテルセイラ島の町のでき方とよく似ている。

サン・ミゲル島

翌日、午後一番で、北海岸にあるこの島で2番目に大きい町リベイラ・グランデRibeira Grandeに行った。目的は「アラ・ボテ」というレストラン。そこで海の幸のお昼を食べるのだ。

ポンタ・デルガーダの北東の海沿いに位置するリベイラ・グランデ。ここへは、ポンタ・デルガーダから内陸部の小さな村を通る路線バスで50分ほどの道のり。観光客もかなり乗っているが、地元の老人たちもいて、それぞれに小さな村で降りてゆく。こういうバスに乗って、おばあちゃんたちの声を聞きながら、外の景色をぼーっと眺めるのは最高だ。道端には青いアジサイの花が列をなして咲いている。まわりには緑の丘陵が広がり、牛たちがのんびり草を食んでいる。

「アラ・ボテ」のことは、丹田いづみさんの著書『ポルトガル[小さな街物語]』(JTB「小さな街物語」シリーズ)で知った。2002年に出されたこの本と出会ったのは、ポルトガルに通うようになって3年ほど過ぎた2006年ごろだったか。丹田いづみさんは日本に数少ないポルトガル料理研究家・料理人で、歴史にも文化にも精通していて、文章がとてもいい。ガイドブックではなく、すぐれた旅行記だ。わたしはここに紹介されているほとんどの町や村を訪ねては、丹田さんの言葉を思いだしたものだ。

そして、アソーレスだった。日本でアソーレスのことが書かれたガイドブックや旅行本は、丹田さんの本以外にたぶん1冊しかない。その1冊は旅行ライターによって書かれたもので、資料としての価値はあっても、筆者の足どりや声は届きにくい。わたしのアソーレス行きのきっかけはバターだったが、グイと後押ししてくれたのは『ポルトガル[小さな街物語]』だったのだ。

丹田さんお薦めのレストラン「アラ・ボテ」は、リベイラ・グランデのバスターミナルからすぐそばの海沿いにあった。2002年以前にそこに行った丹田さんによれば、「……小さな店として出発したが、その後しだいに店を広げて現在のようなモダンなレストランに生まれ変わったという」とのこと。2014年7月のわたしたちのときには、それがもっと拡張されたと思えるほど広く、さらに室内の3倍ほどのスペースの屋外席があった。そしてほとんど観光客と思われる100人ぐらいの客が、入れ替わり立ち替わり来ていた。室内は満席で、わたしたちは外の席になった。メニューは、ほとんど丹田さんにならって注文。前菜にフレッシュチーズ、メインにアラ・ボテ風カタプラーナ(二人用)、レタスサラダ、赤ワイン。プリンのような感触のこのチーズは、ポルトガルじゅうにあるケイジャーダだが、ここでは赤いソースが添えられている。トマトと赤唐辛子をペーストにしたようなもので、アソーレス特有のものだそうだ(この後、スーパーなどでもこれの大きな瓶詰めをよく見かけた)。これがピリッと辛くて食欲をそそる。アラ・ボテ風カタプラーナは、豪華だった。あさり・エビ・白身魚2種類・じゃがいも・玉ねぎ・緑ピーマン・トマトがたっぷり入って、にんにく・パセリ・ローリエ・オリーブオイルで味つけされていた。そしてやはりバターが使われていた! 塩味はバターの塩だけだろうか。バターはアソーレスの味の決め手だ!

アラ・ボテ風カタプラーナ

カタプラーナというのは、強く密閉できる蓋つきの楕円形の銅鍋の名前で、それがそのまま料理名になっている。魚貝と野菜の旨味を逃さないひと鍋料理で、ポルトガル本土でも主に海沿いの地方の名物として有名だ。新鮮な魚に事欠かないアソーレスのカタプラーナは、バターが加わって本土では出会えないものになっている。見た目は豪快だが、とても洗練された味だ。すごく美味しくて夢中で食べた。本土のオリーブオイル味のカタプラーナは、もう食べなくてもいいとさえ思った。

▼Page3 につづく