【連載】福間恵子の「ポルトガル、食と映画の旅」 第16回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅱ

サンミゲル島の地図


福間恵子の「ポルトガル、食と映画の旅」
第16回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅱ

第15回からつづく)

ところで、アソーレス諸島の捕鯨は、18〜19世紀にかけて世界的に有名だった。捕鯨といえばメルヴィルの『白鯨』を思い起こす人も多いだろう。夫の友人の千石英世さんが新訳として2000年に出した『白鯨』(原題『Moby Dick』)のなかにこんな文章がある。

「捕鯨業における水夫に関していうならば、少なからぬ数のものがアゾレス諸島から来ている。ナンタケットを出港した捕鯨船はしばしばその諸島に寄港する。そして岩だらけの岸辺で農業を営む頑健屈強な農夫のなかから乗組員を補充するのだ。」

(「アゾレス」は英語読み。ナンタケットはアメリカ・マサチューセッツ州の島で捕鯨の世界的な基地だった。)

さらに「……島出身の人々が最良の捕鯨者になるようなのだ。」とも記されている。

千石さん訳の『白鯨』を、わたしは完全に読みきっていないけれど、これらの文章には目が釘づけになった。千石さんは、新訳するにあたってアソーレスに足を運んだそうだ。彼は「岩だらけの岸辺で農業を営む」農夫たちを見ただろうか。

また、ジョン・ヒューストン監督の『白鯨』(1956年、レイ・ブラッドベリ脚本)には、アソーレスでの捕鯨船を実写したシーンがある。世界の捕鯨は1950年代半ばには、機械化された船によるものに移行していたが、唯一伝統的な捕鯨船が残っていたアソーレスに目をつけたヒューストンは、撮影班を送って撮ったそうだ。この作品をわたしは見ていないが、ネットで見ることのできるスチールには、「小舟で乗り出す原始的な漁業」が写されている。

しかし、捕鯨が衰退したいまは、「モービィ・ディック・ツアー」や「ホエール・ウォッチング」が、アソーレスの観光産業の目玉となっている。その中心は、アソーレス諸島最大の島サン・ミゲルSão Miguelの「首都」ポンタ・デルガーダである。

テルセイラ島からサン・ミゲル島へのプロペラ機に乗り込む

さて、わたしたちはそのサン・ミゲル島めざして、テルセイラ島のラージェス空港からプロペラ機に乗り込んだ。ものの30分でサン・ミゲル島の空港に到着。あっけないほどの空の旅は、乗客も少ないせいか着陸と同時に拍手が起こることもなかった。空はどんより曇っている。

空港は、ポンタ・デルガーダPonta Delgadaに近い海沿いにある。予約しておいたポンタ・デルガーダの宿にタクシーで行く。街に入っていくまでの郊外の様子も市街地のでき方も、テルセイラのそれとかなりちがう印象だ。テルセイラが牧歌的なら、こちらは都会的とでも言おうか。

宿に着いて部屋に入る。安いだけのことはあって、狭い・暗い・古い。ひとまず3泊のみの予約をしていた。ちょっとつらいなと思うが、初めての土地、なによりも情報集めからである。宿で簡単な地図をもらって、トゥリズモに向かう。もう午後4時をまわっている。

歩き始めると、ポンタ・デルガーダの街もまた、海=港に向かってゆるやかな下り坂になっていることがわかる。細い路地が海に向かってほぼ平行に走っている。

10分も歩かないうちに中心の広場に出た。あちこちに貼ってあるポスターを見ると、明日からエスピリート・サントのお祭りが始まるようだ。広場や教会でその準備をしている。広場の向こうは海で、海沿いに広い道路が走っている。このあたりがポンタ・デルガーダの中心だろう。気がつけば、まわりにはたくさんの観光客がいた。夕方の港の歩道を、ショートパンツにTシャツの人たちがぞろぞろ歩いている。背が高く白い肌の人が多い。北ヨーロッパから来ているのだろうか。トゥリズモは広場のすぐそばにあった。人がひっきりなしにやってきている。対応しているのは女性一人だけ。ほとんどの人がスキューバ・ダイビングについて尋ねている。順番を待って、資料をもらうまでに1時間近くもかかった。やれやれ。テルセイラのアングラ・ド・エロイズモとは大違いだ。ここは「都会」である。しかし一方で、都会であり観光客も多いから、バス便はそれなりに充実していた。もちろんこの島にも鉄道はない。

「都会」のポンタ・デルガーダに9泊することは、わたしたちには無理だとすでに感じていたので、他の島へのフライトと船についても情報をもらった。ここに3泊して、他の島に行き、また戻って来る。それができるか。船は、ここアソーレスの中心の島からも便数は多くなかった。トラベル・エージェンシーと航空会社を往復するなかで、どうせ行くなら一番遠い島フローレスFloresにしようと決めた。ハイシーズンだからホテルもフライトも決して安くはなかったし3泊しかとれない状況だったが、もう二度と来れないかもしれないという気持ちが押した。同時に、大西洋の孤島に来てまで「都会」にいたくないという思いもつよかった。そして戻ってきたら、もう少しいいホテルに滞在する。ポンタ・デルガーダに着いてすぐの決断。喉が渇いた。まるで大事な仕事を終えたような気分になって、ビールで乾杯した。

夕暮れて晴れてきて、空の色が濃いブルーになった。やはり水平線は高い。そのラインから浮かびあがるように、船が徐々に姿を現わす。地球は丸い。その実感を目前にして、大西洋の孤島にいることのよろこびをかみしめる。

さて夕食だ。中心部の路地には、リスボンの下町を思わせるような小さな食堂がけっこう並んでいる。島の物価はリスボンと比べると高いけれど、ランチメニューが5ユーロという店があったので、そこに決めた。もちろん夜だから、5ユーロメニューはなく単品で頼む。夫はアルバコラ(ビンチョウマグロ)、わたしは牛肉(この店風牛肉焼き)、赤ワイン。いつもちがうメニューを頼んで、それぞれ半分食べたあたりで交換するのがわたしたちのやり方だが、こんなことをしてる西洋人は見たことがない。つまり、けっしてお行儀のいい食べ方ではないのだ。とはいえ、旅でいろんな食べものを食べてみたいから仕方がない。

マグロも牛肉もアソーレスの特産。マグロはグリル焼き、牛肉はソースに漬けこんであるもののようだった。でも、ソースもくどくなくて肉そのものの味がちゃんと生きていた。どちらもとても美味しかった。なかなかいい店だったのに、なぜか日記には名前も値段も書いていない。

アルバコラ Albacora(ビンチョウマグロ)のグリル焼き。

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