【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第15回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅰ text 福間恵子

アソーレス諸島のシンボル、アジサイ。白が多い。

「ポルトガル、食と映画の旅」
第15回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅰ

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地理にあまり詳しくないわたしは、ポルトガルに島があるということを長い間知らなかった。知るきっかけになったのは、2002年に友人の薦めで見た「Bird of Paradise:MADEIRA」という写真展だった。予想だにしていなかったポルトガルとのつきあいが始まる1年前のことだ。

真っ白な窓枠の向こうに見える水平線と空、空に舞うようにダイビングする少年たち、浅黒く日焼けした水着の少女、あでやかな南国の花、険しい断崖の裾を走るバス、石畳の古い通り、道路標識の地名。切りとられた風景は、どれもシャープである。

その地名のつづりはほとんどスペイン語のようだ。どこだろう。写真が撮影された場所が南の島であることは明らかだけれども、どこの国の島なのかわからない。

カラーで撮影された、午前・午後・夕暮れ同ポジの、水平線と海の作品群にとりわけ惹かれて、会場で写真集を買った。小畑雄嗣『Bird of Paradise:Madeira』。2001年平凡社刊。巻末に、撮影地マデイラの説明と地図が掲載されていた。マデイラはポルトガル領マデイラ諸島のひとつ、リスボンから南西約1000キロの大西洋上にある人口27万人の島。スペイン領のカナリア諸島から比較的近いところだとわかった。そしてさらに、ポルトガルにはもうひとつ、大西洋はるか遠くにアソーレス諸島があることも小さく記されていた。水平線の写真はつよく心に残ったが、ポルトガルの島だという以上の興味がそこで湧いたわけではなかった。

この原稿を書くにあたって、久しぶりに小畑雄嗣さんの写真集を開いてみた。いまだマデイラには行っていない。けれども、古びた町の通りも、人々の表情も、標識の言語も、看板のメニューも、お酒の種類も、写真に収められたほとんどのものが、すでに親しいものになっていた。そこはポルトガルだったのだとあらためて思う。長い時間が流れたのだ。

アソーレスの名前をポルトガルで初めて耳にしたのは早く、初めてのひとり旅の2003年。アレンテージョ地方のボルバBorbaというワインの産地の小さな町のカフェで、朝食にトーストを注文した。すると女主人が「アソーレスのバターだから、すごく美味しいわよ!」と言った。わたしはアソーレスの名前をもう忘れていて「えっ、どこのですか?」と聞き直した。彼女は「遠くの島のアソーレスよ」と答えて、バターのパッケージを見せてくれた。牛の絵が描かれたそれにはAçoresの文字があった。彼女は、どっしりしたアレンテージョのパンを焼くと、バリバリと音を立ててアソーレスのバターをたっぷり塗ってくれた。彼女が言ったとおり、ほんとうに美味しかった。甘い香りがした。その味をかみしめながら思い出した。アソーレスはあの写真集のマデイラではなく、もっと遠い大西洋にある島々だと。

その後、アソーレスのバターに出会える機会はひんぱんではなかったが、その味はまだ見ぬ島への思いをすこしずつかき立てていった。

9つの島からなるアソーレス諸島。大西洋の真ん中より少しヨーロッパ大陸寄り。

アソーレス諸島(Arquipélago dos Açores)は、ほぼ東西に点在する9つの島からなるかつての火山の群島である。リスボンから約1500キロ西に位置し、リスボンに一番近い島に飛行機で2時間。ボストンからは4時間。大西洋の真ん中よりもすこしイベリア半島に近い位置にある。ポルトガル本土との時差が1時間ある。

面積の大きい順に、サン・ミゲル島、ピコ島、テルセイラ島、サン・ジョルジュ島、ファイアル島、フローレス島、サンタ・マリア島、グラシオーザ島、コルボ島。大きい順といってもおどろくほど小さい島ばかりで、アソーレスの中心であるサン・ミゲル島で東西65キロ、南北7〜15キロ、その面積は760平方キロ、宮崎県の約10分の1というサイズ。人口は、中心であることから約14万人と、ほかの島に比べるとはるかに多いけれど、次に多いテルセイラ島の5万8千人を除けば、1万人に満たない島ばかり。一番小さいコルボ島は、面積わずか17.5平方キロ、人口400人である。
大航海時代の1400年代後半にポルトガル人が発見したときは、アソーレスのどの島にも人は住んでいなかった。そこにポルトガル本土から、つづいてベルギー・オランダ・フランスなどからの入植者が来て、のちに捕鯨(燃料のための脂をとる)のために、アメリカ大陸からたくさんの人間がやってきた。ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸の中継点であり、当時貴重な燃料の宝庫として、産業的にもアソーレスは重要な位置を占めるようになっていった歴史がある。

アソーレスへは、日本からだとひとまずはリスボンに行って、そこから飛行機で行くのが一般的なルート。リスボンへは日本からの直行便はないから、アソーレスのどの島に行くにも、そこまでに3フライトは必要になる。
2014年夏、わたしと夫のアソーレスへの旅は、二つの島の周遊、つまりリスボン→テルセイラ島→サン・ミゲル島→リスボンというフライトを予約した。テルセイラ島に6泊、サン・ミゲル島に9泊して、ふたつの島から近い他の島を船でまわろうと予定していた。

7月3日、早朝の飛行機でテルセイラ島に向かう。飛行機が離陸してから雲の中に入るまで、下に見えているのは海だけ。大西洋をひたすら西に向かうのだ。初めての体験。そのこと自体に、わたしの胸はもう熱くなっていた。どんな海が、陸地が、樹々や花が、町や村が、人々が、食べものが、待っているのだろう。旅はいつも見知らぬ土地への思いに胸がふくらむ。だが、今回は格別だった。

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