【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第15回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅰ text 福間恵子

着陸態勢に入った飛行機の下に見えてきたのは、ふたたび海だった。大西洋のほぼ真ん中のそこは、いまにも雨が降ってきそうな曇りだったけれど、群青色の海にはおだやかな波がさざめいていた。機内にしずかなどよめきが聞こえて、窓をのぞきこむと島が見えた。緑の平野が広がっていた。箱庭のような小さな家も点在していた。わたしは涙が出そうになった。陸地はどんどん迫ってきて、低空飛行とともに、その島が現実のものになってきた。

テルセイラTerceiraの空港のあるラージェスLagesに着陸すると同時に拍手が起こって、わたしもつられて顔がほころんだ。やはりここもまたポルトガル。ヨーロッパの大都市からリスボンに着くと必ず拍手が起こるのと同じ。観光客ばかりでなく、島の人たちも乗っていたのだ。

飛行機のタラップを降りてバスに乗り込む。どんよりと雲がたれ込めていてとても寒い。リスボンの朝の涼しさから始まって、いまの季節を錯覚させられるような気分だ。バスが目の前にある空港の建物まで大回りして行ったおかげで、ラージェスの町が一望できただけでなく、この空港がじつは米軍基地に付随してできたものだということがわかった。これについては追って書くことにするが、テルセイラの空港が、なぜ島の中心地アングラ・ド・エロイズモからかなり離れたこのラージェスにあるのかが納得できた。

空港の建物は、日本の地方都市のそれよりはるかに小さい規模で、もちろん国内線だからパスポートコントロールもなくすんなりと到着ロビーに出た。閑散としていてシンプルなこのロビーは、もう目の前が外である。約100人にも満たないほどだった乗客はそれぞれに、マイクロバスに乗る団体、迎えにきた家族の車に乗る人たち、というように空港から移動していく。さて、わたしたちを迎えに来ることになっている車は、探せども見当たらない。空港から、滞在するアングラ・ド・エロイズモへのバス便は少ないので、予約したホテルに迎えのタクシーを頼んであったのだ。まだ朝の10時、時間はたっぷりあるのだからと、ロビーにある観光案内所で船便のことなどを教えてもらいながら、地図や資料をもらった。そして迎えの車のことをホテルに尋ねてもらうと、いま向かっているということだった。ここもまたポルトガルなのだと二人で苦笑した。こういうことにせかせかしないでいられることに、旅の実感がある。

テルセイラは東西に楕円のかたちをしていて、中心地のアングラ・ド・エロイズモは南の底辺の海岸沿いのちょうど真ん中に位置している。空港のあるラージェスはアングラの北東の海岸近くにあるので、アングラへの道のりは島の東側内陸部を南西に縦断する高速道路を走る。アングラまで20分。ホテルに入るまでにすでに、この島の四分の一ほどを見物できるというわけなのだ。濃い緑の草地に牛たちがのんびりといて、小高い山が向こうに見えている。人家も大きな建物もほとんど見えない。心も身体もそこにすんなりと溶けこむようなおだやかな景色がつづいている。島は、想像していたよりも、広い印象を受けた。こんな遠くまでやってきてよかった。この旅で何度もそう思うことに遭遇するけれど、最初に思わせてくれたこの緑の広がりは、きっと生涯忘れない。

アングラの街

午前11時すぎ、アングラのホテル「ゼニテ」に着いた。パソコンひとつで世界へのアクセスが簡単にできる時代になって、実物を見ないでネットで予約したホテルというものは、現地に着くまでドキドキものだ。その心配をふき飛ばすように、ゼニテは立地も部屋も値段も働く人たちも申し分なかった。旅はホテルの良し悪しがとても大事だ。荷物を解いて、心も解く。ここからほんとうのアソーレスの旅が始まる。

アングラ・ド・エロイズモの街の中心を、お昼を食べるところを物色しながら歩く。広場や小さな公園に見えている樹々のその大きさに驚く。高さも枝の広がりも、これまで見たことがないほどに巨大だ。ちょうどたくさんの花をつけているねむの木も、これまた大きいし、花のピンクも濃い。島の風土が樹々を育てるのだろうか。それにしても、アングラの街の中心はほんとうに猫の額ぐらいなのかもしれないと思えてきた。小1時間ほど歩いて、あれ、またここに出た、という感じなのである。

まださほどおなかがすいていなかったので、ホテル近くのレストランでビファナとサラダだけでもいいかと尋ねたら、快諾してくれたのでそこに入った。観光客ではなく、地元で働く人たちがお昼を食べていた。アソーレスで初めての食事。本土と島の食べもの、どんな違いがあるのだろうと、興味津々だったから、まわりの人たちの食べているものが気になって仕方なかった。盗み見るようにほかの席を物色すると、とりあえずは本土と変わらない「ポルトガル料理」のようだ。

ビファナは、ポルトガルでもっともポピュラーな「サンドイッチ」で、楕円形の軽いパンを横半分に切って、その間に味付けした豚肉を挟んであるもの。もちろん店によって豚肉の調理の仕方や味は違っても、見た目はほとんど同じ。どこのカフェでも食べられるし、駅やバスターミナルの売店でも売っていて、みんな立ったままかぶりついている。安くて、ボリュウムもあって、どこででも手に入る。日本で言えば、まあ超大判おにぎりの感覚かな。

さて、ビファナがやってきた。その姿にまずおどろいた。大きいパンを厚めにスライスした2枚に挟んであるのだが、このパンが軽くトーストしてあり、中には豚肉のみならずレタスとトマトも入っているではないか! こんなビファナは初めてだ。頬ばって、さらにおどろいた。なんとバターが塗ってある! あのアソーレスバターだ! すごくいい香りで、豚肉の味も薄からず濃からず上品だ。なによりもバターの味を生かしている。

バターの香りのビファナ! アソーレス初めての食事から、まるでこの諸島の洗礼を受けたような気持ちになってほおばった。すばらしくおいしかった。豚肉もトマトもレタスもたくさん入っていた。二つでひとり分、それが2ユーロ。いやはや、たいしたものである。

バターが塗ってあるビファナ。サラダも美味しかった。

夕方になって晴れてきた。島の天気はよく変わるという。ホテルから5分も歩けば港があり、砂浜もある。ホエールウォッチングの案内所もある。どこまでも紺碧の海。その向こうの水平線は、信じられないほどに高く、ゆるやかな弧を描いている。こんな景色を見たのは生まれて初めてのこと。今いるここは、広い広い大西洋の真ん中の島なのだった。

テルセイラ島の「テルセイラ」は「三番目」という意味で、1427年にアソーレス諸島のなかで三番目に発見された島であり、島の面積も三番目に大きいところから名づけられたようだ。その中心の街アングラ・ド・エロイズモAngra do Heroísmoは「アングラ」が「湾、入り江」の意味、「エロイズモ」が「英雄的(ヒーロー的)」という意味なので、「英雄の湾」という名前の街である。16世紀、スペインのポルトガル侵攻に対して、本土は敗退していったが、テルセイラは最後まで守りきり、ほんの一時期だがここに摂政政府がおかれた。この地からその戦いの英雄が出たことから、この名前がつけられたという。また、1980年にテルセイラを襲った大地震で、アングラの街のほとんどが倒壊したにもかかわらず、その復旧はおどろくほど早く、「重要な寄港地として人類の歴史に果たした役割」が評価されて、1983年にユネスコの世界文化遺産に指定された。

人が住みついて600年ほどの島に、ポルトガルという国を背負うような歴史があったことを、アソーレスに来ることがなければ知らずにいただろう。しかしまた、その裏には大西洋の離れ小島ゆえのきびしい自然との闘いの歴史もあったはずだと想像する。

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