翌日、トゥリズモ(観光案内所)に行って、他の島への船便について尋ねた。夏の観光シーズンだから当然のように毎日運行しているとばかり思っていたら、そうではなかった。一番近いサン・ジョルジュ島とグラシオーザ島でも週2、3便で、片道6時間以上かかる。テルセイラ6泊では、他の島に行って戻ってくることは到底無理なことがわかった。つまり船便はあるけれども、長い滞在の旅行者が使うか荷物の運搬に使われていて、島間の移動は飛行機が当たり前になっているのだ。クルーズはあるとのことだが、それはまた別な旅。残念だったが、きっぱりあきらめた。テルセイラ島内の路線バスのルートと時刻表をもらったが、予想どおりとても少ない。
テルセイラにはアラモ・オリヴェイラという詩人で作家の人が住んでいる。この作家の『チョコレートはもういらない』という小説が日本語に訳されていて(2008年、ランダムハウス講談社)、わたしも夫もすでに読んでいた。それは、テルセイラからアメリカに移民した家族の物語である。夫はアラモさんの詩にも興味を持ったので、今回の旅で作者に会えて話ができるものならと密かに考えていた。トゥリズモでそのことを話すと、アラモさんにすぐ電話してくれた。すると、いまとても忙しいので個人的に会うことはむずかしいけれども、ちょうど今夜プライア・ダ・ヴィトリアで、新著の出版記念会があるからそれに来なさい、ということだった。いいタイミングだ。スタートは20時30分。じつにポルトガル時間である。
プライア・ダ・ヴィトリアPraia da Vitóriaは、アングラの次に大きい街で、島の東の海岸に位置し、空港のあるラージェスに近い。アソーレス諸島間の船の港の、テルセイラ島の拠点であり、広いビーチもそなえている。「プライア・ダ・ヴィトリア」は「勝利の浜」という意味で、先のスペイン侵攻の際に勝利したことから名づけられた。
アングラとヴィトリアを結ぶバスは、島内の交通ではダントツに便数が多く、往復ともに1時間に1本の割合で6時から19時まである。所要時間は50分。ほぼ海岸線に沿って走る。アラモ・オリヴェイラさんの出版記念会に行くべくアングラ発最終バス19時に乗りこんだ。帰りはタクシーしかない。
大西洋の夏の日没は21時ごろなのでまだ十分明るくて、バスの中から道中の景色を見ることができた。海岸線は砂浜はほとんどなくて、火山島だった名残りのように荒波でいびつになった黒い溶岩だらけで、それに沿うように小さな集落が点々とある。内陸側には急勾配の丘が広がり、石で区分けされた牧草地にたくさんの牛たちがいる。テルセイラは酪農の島。だからバターなのだ! 人間よりも牛の方がはるかに多い。それにしても緑の美しいこと。汚染のないみずみずしい草を食べる健康な牛たちの牛乳も肉も、まずいわけがないだろうと単純に思ってしまう。
出版記念会はヴィトリアのアウディトリオ(公会堂)で行なわれた。広くてりっぱな公会堂だ。ロビーにはぞくぞくと老若男女が集まり、アラモさんらしき人が登場し、みんなに挨拶している。様子をうかがいながら、声をかけた。「日本語訳の『チョコレートはもういらない』を読んでくれた日本人と会うのは初めてだ」と喜んでくれた。1945年生まれのアラモさんは、とても温和だが目の奥に鋭い光があった。
会は9時になってやっとスタート。新著『Marta de Jesus (a verdadeira)』(「イエスのマルタ その真実」)の、出版社側の紹介とあらすじ読み上げ。続いて、アラモさんが登場して挨拶し、作品の一部を朗読した。ポルトガル語はちっとも聞きとれなかったが、日本の出版記念会と似たようなものだと思った。アラモさんが終わると、なんとジャズライヴが始まって、それはかつてのジャズの名曲を6曲も演奏した。それからやっと本の販売、アラモさんがそれぞれにサインする。もちろんわたしたちも買ってサインしてもらう。「『チョコレートはもういらない』を通して、この島で出会えたことの喜びとともに」と添えてくださった。
しかし、新約聖書に登場するマルタを主人公とするこの現代の物語は、あまりにも難しくて冒頭の10ページを辞書首っ引きで読んで以降お手上げ状態のままだ。アラモさん、ごめんなさい!
帰りのタクシーは街灯の少ない暗い高速道路を走る。窓から見上げれば、まさに満天の星空。言葉もないほどにうつくしい。来てよかったと、心から思う。
アラモ・オリヴェイラさんの『チョコレートはもういらない』と『Marta de Jesus』。
快調な始まりのテルセイラの旅。バス便がガクッと減る土日が迫っているので、乗り継いでも島を一周することにする。バスルートと地図を見ているだけで、人が住んでいるのは、海沿いのアングラとヴィトリアと空港のあるラージェスの近郊、そして北の海岸線にあるビスコイトス、あとの小さな集落もすべて海岸線にしかないことがわかる。内陸部には、標高500〜1000メートルの山と過去の噴火でできた洞窟と湖が点在していて、集落はほとんどないようだ。
まずアングラのほぼ真北に位置するビスコイトスBiscoitosへ。ビスコイトスは、ポルト酒と同じ酒精強化ワインの一種であるヴェルデーリョを作っている村で、ワイン博物館がある。ここに行きたかった。バスは西の海岸線を走る。島の南に位置するアングラから見る海と、西側の海はずいぶん雰囲気がちがう。どこまでも海しかないのは同じでも、南側には明るさがあるが西側はどこか陰気な印象だ。けれども、その暗さを吹き飛ばすように白いアジサイの花が道路脇のあちこちに咲いている。アジサイはアソーレスのシンボル。日本からもたらされたとも言われている。島の雨や湿度が水好きのアジサイに適しているのだろう。
道路の西には低い石垣で区切られた牧草地があり、それが切れるところが段丘になって下が海、そういう地形だ。たまたま牛たちの姿は見えなかったが、牛が海に落ちるなんてことはないのだろうか。道路沿いは、2、3軒の家が現れてはまた消えという具合だ。アラモ・オリヴェイラさんが生まれたラミーニョという村は、ビスコイトスの少し手前にあった。比較的新しい20軒ほどのきれいな家が並んでいた。晴れていれば、このあたりからグラシオーザ島がよく見えるらしい。
50分ほどでビスコイトスに着いた。小さな村である。「MUSEU de VINHO」の看板がすぐ見えた。ところが「7月4日から31日まで休み」と書いてあるではないか! 今日は7月5日。なんという不運だろう! もう今回はどうにも不可能だ。
意気消沈して道路に戻ると、ビスコイトス発ヴィトリア行きのバスが停車しているのが見えた。これを逃すと3時間半この村で待たねばならぬ。いままさに発進、というところに走りこんで乗せてもらえた。5分間のビスコイトス。果たして次回があるのだろうか……。
ヴィトリア行きのバスは、北の海岸線を東に向かって走る。こちら側は入り組んだ海岸になっている。小さな漁港があるのだろうか。西側よりも集落が多いようだ。「Ponta de ……」の標識を何度も目にする。「Ponta」は岬。Miramar(展望台)やPesca(釣り)の標識も多い。ずいぶん表情がちがう。そうこうしているうちに、空港のあるラージェスに入り、南東へと向かい始める。このかつての米軍基地はそうとうな規模だということがわかってくる。うーん、テルセイラに米軍基地……。
バスは終点のヴィトリアに着いた。東のこの街に近づくにつれて天気は回復し、青空が広がった。街を歩いた。古い家並みと中心の通りの石畳の模様がよくつりあって、工芸品の店もあり、落ちついた雰囲気を出している。お昼を食べてビーチに行くと、ゆるやかな波に乗るサーファーたちがたくさんいた。
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