【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」 第14回 ポルトからナザレへ text 福間恵子

「ポルトガル、食と映画の旅」
第14回 ポルトからナザレへ

<前回 第13回 はこちら>

ポルトガル第二の都市ポルトは、リスボンから大西洋沿いを北へ約300キロ、23万人が暮らす大きな街である。年配の日本人にとって、ポルトガルという名前よりもなじみの深い名前「赤玉ポートワイン」。この「ポート」が、ポルトである。

子どもの頃、おばあちゃんがまるで薬みたいに飲んでいた赤い液体。夜寝る前に、プラスチックの小さなフタカップにとろりと注いで、舐めるように大切に飲んでいたあれ。お酒だから子どもはダメと言われたけど、どうしてもとせがんで、飲ませてもらったら、そのあまりの甘さに辟易して、二度と欲しがらなかった。物心ついてから、西洋人はあれを貴重な酒として飲むのだと聞いて、おどろいたものだ。

そののち「赤玉ポートワイン」は日本人が作り上げたエセ・ポルト酒であり、酒屋の棚の高いところに高い値札をつけて鎮座しているのが本物だと知った。

それから30年以上が過ぎて2005年、ポルトガルの旅四度目にして初めてポルトを訪ねた。トラス・オス・モンテス地方やミーニョ地方をまわってリスボンに戻る途中にポルトに寄ったのだ。当時東京で通っていたポルトガル語のクラスメイトが、ちょうど卒論の調査でポルト大学の図書館に通っていたので、落ち合うことができた。学生でにぎわう安い食堂でいっしょに夕食を楽しんでから、小さなカフェに行った。そして、今日は特別と奮発して、ポルト酒を飲んだ。初めて飲むポルトガルのポルト酒。とろりとした琥珀色の液体。グラスを振るといい香りがした。口に含む。なかなかアルコールがつよい。けれども、独特の甘さがある、それもかなりの。うーむと、わたしは赤玉ポートワインのことを友人に話した。すると何にでも詳しい彼はポルトについての薀蓄を語ってくれた。

ポルト=vinho do Porto、つまりポルトワイン(ポートワイン)は、まだぶどうの糖分が残っている発酵の途中にブランデーを加えて酵母の働きをとめて、熟成させる。いわゆる酒精強化ワインと呼ばれるもので、ポルト、マデイラ、シェリーが世界三大酒精強化ワインと言われている(ポルトガルには二つもある!)。ポルトの種類は、8〜10種類くらいあって、甘いものも辛口のものもある。ヴィンテージものは、7年以上熟成させて味に深みを出して、高級ポルトとして世界の市場に出している。ヴィンテージものには、20万円以上するものもあるそうだ。

わたしが初めて飲んだポルト酒は、「ルビー」と呼ばれるもっともポピュラーで一番安いクラスのものだっただろう。だからというわけではないが、わたしはどうもポルト酒はあまり好みではないようだ。その後、ドウロ川上流の蔵を訪ねて、ヴィンテージものとまではいかないが熟成5、6年ものを奮発して買った。期待して飲んだけれど、やはり甘さが気になって、以後買ったことはない。

このときのポルト滞在は2日と半日。街の中心地を歩き、書店をめぐり、市場を見てまわるだけで精一杯だった。ポルトを去らねばならない日の3日後から始まるという映画祭「ファンタス・ポルト」のポスターやプログラムを街でみかけた。日本からは塚本晋也監督の『鉄男』『鉄男Ⅱ』とたしか『東京フィスト』の3本が特集上映されたはずだ。まだポルトガルとつきあい始めて間もないころの自分には、映画祭は眼中になかったが、あとから思えば惜しいことをしたという気持ちが残った。

リスボン同様に坂ばかりの街、リスボンより少しモダンな空気の街、学生が目立つ街、そんな印象の初めてのポルトだった。

写真1 ポルトの街を対岸から見る。対岸のガイア地区には、ポルト酒の工場が林立している。

それから7年後、二度目のポルトを訪れた。ポルトが初めてだった夫の積極性もあって、かなり活発に動くことができた。

夫とわたしの旅への向きあい方は微妙にちがうところがあって、いつもケンカの種になるのだが、根本のところでは一致している。

・有名な観光地や名所、旧跡にはほとんど行かない。

・大都市では、地下鉄やバスにできるだけ乗って街の全体像をつかむ。

・古くから人々が住んでいる地区をくまなく歩く。

・市場には必ず行く。市場がない田舎町ではスーパーに行く。

・その国の映画が上映されていたら必ず観る。

・地元の人でにぎわう安くて美味しい食堂をさがす。

・現地の言葉をできるかぎり使う。

などだが、毎回うまくいくことばかりではない。でも、このときのポルト4泊では、とりわけ基本を実現できたように思う。

バスはルートをつかむのに時間がかかったが、地下鉄には乗りまくった。終点まで行って戻ってくることも数ルートやった。ホテルにもまずまず恵まれた。古い地区に迷い込んだのを幸いに、そこをしっかり歩いた。市場には二度も足を運んだ。安くて美味しい食堂にも出会えて、毎日通った。そして、映画にはめぐりあえなかったけれども、ポルトに着いたその日に、おもしろい一人芝居を見た。ふだん東京で芝居などほとんど見ないというのに。

『A Bailarina vai às Compras』(『ダンサー、買い物に行く』)。

観光案内所にあったチラシに何か惹かれるものがあったので、スケジュールを尋ねたら今日が最終日だという。よし! とばかりに見ることを決めたものの、ポルトガルで初めての芝居。はたして、りっぱな劇場で上演されるのか、小さな小屋でぎゅうぎゅう詰めで見せられるのか、見当もつかない。まだポルトの地理もわからなかったので、時間が迫って、その劇場「ENTREtanto TEATRO」へとタクシーで急いだ。18時開演に間に合って入ったけれど、観客は20人ほど。不安になる。天井の高い、シンプルでモダンなゆったりした場内。キャパは80ほどだろうか。そこがだんだん暗くなっていって、客席とあまり高低差がない舞台に照明があてられていき、18時5分、始まった。

4〜5台のスチールの棚に、食品と思われる箱が置かれている。ショッピングカートとともに登場したダンサーは、ショッキングピンクのスカート部分と上部が明るい紫のチュチュ、タイツもトウシューズも紫色、頭には薄紫のふわふわリボン。音楽に合わせて歌いながら買い物をしている。動きはきれいだが、肩の広さも筋肉も声も男性である。「はい、はい、はい、はい。赤ワイン、トイレットペーパー、牛乳、トマト、オレンジ……買わなきゃね」と歌いながら、棚のまわりをかろやかに踊っている。その動きに点滅ライトがあたり、わたしたちは、彼が濃い化粧をし、胸をトウシューズでふくらませた中年のゲイのダンサーであることを確認する。ほどなくして、彼の携帯に電話がかかってくる。音楽がやみ、かけてきたのは彼の母親だとわかる。年老いた母が同じことを何度も彼に話している。彼は「もうわかったわよ」という表情をしながらも根気よくそれを聞いてあげている。ここから「Bailarina」の物語が展開してゆく。「Bailarina」は、Bailarinoが男性で、語尾が「a」になっているここでは、女性のダンサー、バレリーナを意味している。つまり、この大柄な男のダンサーは、女性なのだ。

彼は4台の携帯電話を持っている。母親、恋人、かかりつけの女性の精神科医、「ゲイのダンサー」としての彼への電話インタヴューをするジャーナリスト。この4人との「会話」が、物語を進めていく。母親専用の電話は着信音を変えてある。買い物のさなかに、この4人から次々に何度も電話が入る。電話を取りまちがえては、会話が混乱する。母への苛立ちが増す。精神科医には悪化していると言われる。ジャーナリストには自分のキャリアを語る間の、ひんぱんな中断と言動のあやうさのために掲載を断られる。彼は、自分のこれまでの人生について深刻に悩みはじめる。その挙句、恋人からの夕食への誘いに「今日はひとりでいたいの」と返事してしまう……。

ゲイのダンサー、携帯電話、母、ゲイの恋人、精神科医、ジャーナリスト、そしてスーパーマーケットでの買い物。現代が抱える問題の要素を盛り込みながら、ゲイのダンサーである主人公に一人芝居をさせて、彼の心の孤独をくっきりと浮かびあがらせている。この芝居の美術、舞台にはスチール棚とカートがあるだけ。徹底したシンプルさが、シュールで無機質な空間を作っている。全体の光と影の使い方でダンサーの顔も姿もきわめて映像的であり、言葉は詩のように歌のように流れている。そして、この作品の台本も書いている役者のジュニオール・サンパイオ(Júnior Sampaio)がすばらしい。いかつい肉体の持ち主にもかかわらず、足の運びから手の動きまでダンサーであり、違う相手と電話で語るときのそれぞれの表情と語りの豊かさは秀逸だ。

後半、電話の「会話」は弁解と自己弁護で終息してゆき、自分の人生はまちがっていたのだろうかと自らに問う独り語りになってゆく。スーパーで何を買うのかと自分に問う。

ニジンスキーにうっとりしていたい。オーノ・カズオを買って、踊りたい。ウィーンの天使たちと踊りたい。わたしはアートを買いたいのよ!

そして彼はこちらに背を向けて、チュチュもトウシューズもかつらも脱ぎ捨てて、坊主頭を見せてトランクスを履く。顔にはレースの目隠しをして、その表情を殺している。そして、米のような白い粒を頭にふりそそぎ、泣き笑いのほほえみを残した顔はレースのなかであいまいになったまま、ゆるやかな暗転ののちに終演する。

「自分は何ものなのか。どこからきてどこへいくのか」という人間にとっての永遠の問いを、性同一性障害の視点から描いた力作だと思う。芝居に無知なわたしたちにも、この作品は総合的に高く評価されるものだと思えた。

写真2 『A Bailarina vai às Compras』のパンフレット

シナリオの掲載されたシンプルなパンフレットを、会場で購入した。

ジュニオール・サンパイオは、1963年ブラジル北東部のサルゲイロという街で生まれた。サンパウロで演劇の役者・演出家・脚本家としてのキャリアを積んだのち、1994年からポルトガルに住んでいる。劇作家として、この『A Bailarina vai às Compras』までに26本もの作品を舞台化しているというベテランの人であった。この芝居は、ポルトガル各地はもとより、サンパウロでも上演されたそうだ。

ジュニオール・サンパイオ。彼の名前と顔を、しっかり刻んだ。ポルトの大きな収穫だった。

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