【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第18回 ジョアン・サラヴィーザ、リスボンの闇と光

10年以上前に初めてこの地下鉄に乗って、オリエンテ駅に行ったときのことをよくおぼえている。この路線は今では空港まで伸びたが、そのころはまだオリエンテ駅が終点であり始点だった。オリエンテ駅の手前三つぐらいの駅間は地上を走る。それも途中に小さな谷があり高架になっているので、まわりの景色がパノラマ的に見える。そこにあったのは巨大な団地群だった。並び方が均等でなくあちこちを向いているような団地群。建物の壁はピンクもあれば黄色もある。その壁のあちこちには落書きアートがくすんだ色になっていて、まわりの草地は荒れてゴミが散乱している。電車から見えるその殺伐とした景色におどろいて、窓の前にくぎづけになった。知らないリスボンの光景だった。ここに住んでいるのはどんな人たちなのだろう、そう思ったのだ。

1960年代中ごろに、リスボンとテージョ川を隔てたアルマーダ地区とを結ぶ、あの有名な長い高架橋「4月25日橋」建設のために、リスボン側の橋のたもとにあたるアルカンタラ地区の住民800世帯を立ち退かせて、シェーラスに建てた団地群に移住させた。この団地群は、立ち退きの住民のためのみならずリスボン中心部に最も近い近郊居住地として、ユートピア的な町づくりをめざしてつくられたという。そこに集まる労働力のための工場もつくられた。それから半世紀を経て、「ユートピア」は「『時限爆弾』を抱えた問題のある地区」に変貌した。

『Arena』は、「在宅服役」という行き場のない状態にある青年と、実在する変わりゆく町を対比させて、リスボンが抱える現代の絶望感を、夏の光のなかににじませている。タイトルの「アリーナ=闘技場」は、部屋の中も外もこの社会の壁に囲まれて抜け出ることができない状況を象徴しているのだろうか。1984年生まれのジョアン・サラヴィーザ25歳の第一作は、わたしのリスボンに静かな衝撃を打ちこんだ。

短篇第二作『Cerro Negro』(2012年、21分)と第三作『Rafa』(2012年、25分)もまた、閉塞された場所=刑務所とリスボンの街を描いて、三部作共通のテーマが横たわっている。

『Cerro Negro』面会する夫婦

『Cerro Negro』は、ブラジルからの移民夫婦の妻が、刑務所にいる夫に会いに行く一日の時間を追っている。朝方仕事から戻ってきた妻は、睡眠もとらず幼い息子を学校へ連れてもいかず、リスボンから70キロ離れた町サンターレンにある刑務所にいる夫との面会に急ぐ。差し入れを用意し、地下鉄に乗り、バスターミナルを走ってバスに間に合って乗りこむ。疲れきった表情、なりふりかまわぬ服装とバッグ。妻をとらえたここまでのシーンだけで、この家族の貧困が浮かびあがる。きびしい身体検査を受けて、ようやく会えた夫もまた暗い表情で妻に向きあう。交わす言葉もみつめあうまなざしもない。

夫は他の受刑者から、タバコと交換でテレフォンカードを手に入れる。体調が悪くて(妻の言葉)面会に来なかった息子の声を聞きたいのだが、彼は眠っていると言われる。独房に戻った夫は、妻から差し入れられた息子の描いた絵を壁に貼る。テレビの映りが悪く、窓際のアンテナをいじるが直らない。暗くなってきた外を、小さな格子窓から茫然と見る夫の後ろ姿。その背中は、何かに抗う力もなく、絶望だけがただよっている。

タイトルの「cerro negro」は直訳すれば「黒い丘」だが、妻が刑務所内に入るときに受ける身分証明で、出生地を「Cerro Negro, Brasil」とブラジルの実在する地名で答えるその名前でもある。夫には、70キロ離れたリスボンが黒い丘に見えていたのだろうか。

『Rafa』アルマーダのアパートのラファと姉

三作目の『Rafa』は、テージョ川に架かる「4月25日橋」を渡った地区アルマーダに住む13歳の少年ラファ(ラファエル)が主人公。アルマーダはリスボンの対岸だが、橋を渡るかフェリーで渡るかの方法しか交通はない。ラファは年上の友人のバイクに乗せてもらって、リスボンの警察署に勾留されている母に会いにいく。アルマーダのラファのアパートの暗い夜から、いきなり翌朝の長い橋を渡るバイクにまぶしい光がそそぐ。リスボンの旧市街をまるで旅行者のように道を尋ねながら歩くラファ。わたしにも親しい場所、ロッシオ広場からドニャ・マリア劇場の脇を通って、その裏にある警察署へと。警察署の受付で母の名前を告げると「後で来い」と言われ、ラファは時間をつぶす。

観光客なら誰もが行くコメルシオ広場。テージョ川に面したそこでは、初夏の光のなかでスケボーの若者たちが、乾いた空気に音を響かせて遊んでいる。この広場からは、「4月25日橋」もアルマーダ側にそそり立つキリスト像も見えるのだ。ラファはスケボーの若者たちのリュックから金を盗む。ふたたび警察署に行くと家族についての事情聴取が待っていた。母と姉と彼女の赤ん坊とラファの4人家族。母は愛人と車で出かけて事故を起こしたのだ。警察官の声が聞こえて、カメラはラファの表情だけを映して、13歳の少年がこの世界と対峙する様子をとらえる。外に出るともう夜だった。わたしも何度か行ったケバブ屋で、ラファが金を盗んだスケボーの若者三人にみつかる。殴られ、金を取り返される。ラファが警察署の前でケバブをほおばっていると、赤ん坊を抱いた姉が現われる。姉は赤ん坊をラファに託し、警察署に入っていく。赤ん坊を抱いて暗い空を見上げるラファの顔には、きのうと違う何かが宿ったように見える。

▼page3 に続く