【Review】誰にだって「物語」がある――『僕の帰る場所』レビュー text 大内啓輔

 

 精神科医から薬を処方されている一人の女性。続いて、彼女が二人の子どもの世話に手を焼いているアパートの一室と、ある「申請」をめぐってトラブルを抱え込んでいるらしい男性が映し出される。すると彼らが家族であること、それも生活をともにするという、当たり前の幸福を手に入れることも難しい家族なのだということが明らかになる。父親を迎え入れる子どもたちの喜びようから、はたして幾日ぶりの帰宅なのだろうか? そして、彼らはいかなる問題を抱えているのだろうか? という疑問を呼び起こしていく。

 飾り気のない映像で家族の日常が描かれてゆく映画『僕の帰る場所』は、ある難民申請をしている在日ミャンマー人一家の物語であると、ひとまずは形容できる。ひとまず、とここで控えめに述べるのは、登場する家族についての説明は最低限に抑えられており、具体的な生活の内実もはっきりと明かされないからだ。アパートで帰国すべきかを話し合う夫婦の会話や、役所に掛け合う父親の場面も明快にバックボーンを示すことなく、それでいて、子どもたちの心配そうな表情や両親を思いやる言動が事の深刻さを訴えかけてくるようだ。

 狭いアパートでの家族の生活が映し出されるなかで、随所に「移民」として彼らが直面する問題が描かれてゆく。何かしらの問題で日本へやって来ざるをえなくなったことが示されるフラッシュバック。役所で難民認定を受けられず、正当な仕事ではないであろう飲食の仕事に従事する父親の姿。ミャンマー語を学ぶ子どもたちの表情。母国に帰還することを決意した同じく在日ミャンマー人の同胞との会話……断片的に示される場面場面で彼らの置かれている状況が少しずつ輪郭を帯びてゆく。彼らの状況はまさに、日本でもごくごく当たり前に存在する在日外国人の日常なのであり、そのなかに、難民の認定についての問題、在日外国人の雇用、彼らの言葉や教育など、アクチュアルな論点がさまざまに盛り込まれている。

 社会制度という「外」の世界と、家族という「内」の世界のギャップに戸惑う父親、家族の行く末を案ずる母親、そして兄弟は目に見えない連体感で繋がっている。しかし、そんな彼らに変化が訪れる。母親は、難民申請が認められないことや、父親の身に迫る危険に耐え切れず、日本で頑張るよう説得する父親との溝を深めてゆく。彼らはついに決意する。母親と子どもたちがミャンマーへ「帰還」し、父親は日本での生活を続けるということを。

 自分たちのことを日本人であると疑わず、自身ははっきりと日本人だとアイデンティティーを主張する子どもたち。移民一世の両親も「どこから見ても日本人ね」と口にする。そんな彼らが言葉もままならない「母国」へと帰還して、これまで日本で仲良くしていた友人とも別れを告げることになれば、不安や葛藤は想像に難くない。ミャンマーでの生活水準に不平を募らせ、日本人学校への入学もスムーズになされないという先行き不安な状況のなか、母親と子どもたちはミャンマーで生活をスタートさせてゆく。

 映画の後半からは、日本での4人の暮らしを終えて、ミャンマーでの父親を除いた3人の生活がつづられてゆく。この変化で浮かびあがるのは、日に日にストレスを募らせてゆく子どもたち、とくに長男の様子と、逆に活気を取り戻してゆく母親の対比だ。ここには一世と二世の確執という移民問題が、等身大の家族の関係として描き出されている。移民である両世代にとっての「母国」は同じものを意味しない。そのいっぽうで父親の影は薄くなり、テレビ電話の不調のせいもあいまって、その物理的および心的な距離は大きくなってゆく。家族としての繋がりが失われ、世代間のギャップという新たな問題が浮かび上がる。「外」の世界の出来事であった移民問題が、家族という「内」においても形を帯び始めたというわけだ。

 そして兄弟間にも適応に差があるようだ。順調にミャンマーの生活になじんでいく弟を尻目に、抵抗感から「母国」になじめない長男。不満が高まったある日、母親とのささやかな喧嘩を経て、長男の家出という展開を迎える。これまで常に受動的に行動をしてきた彼が初めて主体的に運命を選択するこの場面は、本作のなかで最も心を動かされるものだ。日本語しか満足に話せない彼は、日本への望郷の念を募らせて空港をひとまず目指すが、現地民とのコミュニケーションもままならない。そんな彼は「母国」においてまったくの異邦人なのである。ミャンマーの街をあてどなくさまよい、空を見上げて飛行機に目をやり、鉄道の路線が続く先に思いを馳せる。

 そして、彼はその後、偶然出会った同じ日本からの「帰還移民」の少年たちとの友情を育んでゆく。日本語でコミュニケーションを取り、何気ない遊びに興じていく。その生き生きとした表情は、それまでの曇りがちだった顔つきとのコントラストが絶妙に際立つ。長男が家出という新たな友情を育むことになった短い旅から戻った後、家族はどのような展開を迎えるのだろうか。そして、ひとり日本で家族のために奮闘する父親はどのような「解決策」を手に入れるのだろうか。彼らの物語は続いてゆく。

 彼ら在日外国人の家族の情景は、日本に暮らしていれば日常のなかで目にするありふれた出来事だ。そして、彼らの存在があまり当然のこととして、直視して議論がなされることも多くはないだろう。そう考えるとき、本作が教えてくれることは、私たちが目にしている移民たちも、映画のミャンマー人家族のようにそれぞれの「物語」を持っている、ということだ。移民もしくは難民問題という政治的あるいは制度的な観点からではなく、彼らの物語から現実を見つめること。そんなささやかなアプローチのしかたを、本作は教えてくれている。『僕の帰る場所』がフィクションである以上、映画とともに画面上の物語は終わる。しかし、現実に存在する移民たちの、そして個人の物語には終わりはなく、その数だけ物語が続いていく。そんなごくごく当たり前の事実を改めて教えてくれるのだ。

 長男を演じたカウン・ミャッ・トゥはオランダ・シネマジア映画祭で最優秀俳優賞を受賞する快挙を成し遂げた。クランクイン前から実際にロケ地のアパートで生活するなど、役づくりにこだわったというが、この映画が描いた移民をめぐる問題は、彼の細やかな感情を表現する立ち振る舞いによって、具体的な説明を伴わずとも確かな輪郭をもつことができたといえる。その彼が演じた劇中の“カウン”の帰る場所はどこなのだろうか。彼にとっては日本やミャンマーという具体的な場所 なのではないのかもしれない。それは「家族」という場所なのだ。そして、私たちは改めて気がつくはずだ。彼の「帰る場所」をめぐる物語は、私たちに無関係な遠いところにあるものなのではなく、私たちのすぐそばにあるものなのだ、と。

 

【作品情報】

『僕の帰る場所』
(2017年/日本、ミャンマー/カラー/98分/日本語、ミャンマー語/DCP/ステレオ)

監督・脚本・編集:藤元明緒
出演:カウン・ミャッ・トゥ ケイン・ミャッ・トゥ テッ・ミャッ・ナイン 來河侑希 黒宮ニイナ 津田寛治 ほか

写真はすべて ©E.x.N K.K.

106日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開

【執筆者プロフィール】

大内 啓輔(おおうち けいすけ)
早稲田大学大学院修士課程修了。論文に「ウディ・アレン『アニー・ホール』におけるオートフィクションの様相」など。