【Review/Interview】 幻を見る瞳にうつされるもの〜 井上春生監督にきく映画『幻を見るひと』 text 菊井崇史

「京都に龍を探しにいきませんか」という導きを端緒として、京都におもむいた詩人吉増剛造の営為に迫る映画『幻を見るひと』の旅ははじまった、本作のエグゼクティブプロデューサーである詩人城戸朱理はそう語っている。ここでの「龍」とは、琵琶湖の水量に匹敵するともいわれる豊富な地下水をたたえている京都の、その「水脈」を称したものだ。地下の「水脈」は、詩の道ゆきにかさなる。水、あるいは秘された水を見つめる詩人のすがたは、半世紀以上の吉増剛造の詩作を辿るとき、まさに途絶えることのない地下水のように書き継がれていることが確認できる。そして、2011年3月11日以降の吉増の詩作において、あるいは「怪物君」と名づけられた原稿そのもののヴィジュアルにおいても、特権的に顕現されてきたものが、水の形象だった。城戸のことばを引けば「水というエレメントの残酷さと優しさ」の、その双の極に全身を晒すように吉増は詩を生きるのだ。

2011年9月30日に刊行された詩集『裸のメモ』(書肆山田)におさめられた詩篇「、、、、石を一つづつ、あるいは一つかみづつ」には、「わたくしは、水凝視(water gazing)のトキのヒトとなることになった、……」いう詩行がある。これは水を凝視することで、そのまなざしの彼方に「幻を見る」(vision gazing)ことだと言い換えてもよい。その意味でも、2015年の春から2016年冬まで断続的に撮影がつづけられた旅を導く「龍=水脈」は、吉増剛造という詩人の現在に迫る映画の契機となるのだった。

*本レビューは以降、筆者(菊井)が、監督の井上春生氏に『幻を見るひと』についての話をうかがい、監督の発言とともに映画の紹介をすすめる。
「映画とは、その物語がどのようなすがたで生まれてこなければならないのかということにつきる」と話す井上春生監督は、吉増剛造を撮り編集するにあたり、「If prose is a house, poetry is a man on fire running quite fast through it.(散文が家とするなら、詩とはそれを高速度で駆けぬける燃える者だ:筆者訳)」という詩人アン・カーソンのことばが念頭にあったのだという。それは、疾走の詩を生きた吉増剛造の初期の代表作の一篇でもある「燃える」を想起させるものであり、「非常時性の地金」が剝き出してくる瞬間にこそ、自身の詩を見出す吉増の見地と響きあう。

この視座は、例えば吉増剛造が京都にむけるまなざしをひとつとっても明らかだ。吉増は、「文化」の象徴的な「都」として「定型」化したまなざしがむけられる京都を訪ねたのではない。本作でも、石庭に座す吉増が近年の自身の詩作に言及しながら、定式化してしまった規制の「美」のなかに身を置くことに「耐える」という言い方をするシーンがある。吉増剛造は、京都という場から、「文化」と称される既成の「美」もしくは「美の定型」に親和しようとするのではない。詩人は安住の「家」を求心してはいないのだ。「詩乃傍で」から「怪物君」以降も、吉増は言語表記そのものを瓦解させ試練にかけるかのような詩の実践をつづけている。『幻を見るひと』の旅のなか、真澄寺別院 流響院、醍醐寺、貴船神社、北山杉の産地・中川地区、大徳寺瑞峯院、妙心寺等、幾多の地におもむく吉増は、眼前の光景に上書きするように、別の光景の閃きを見いだす。「水凝視(water gazing)」の瞳は、水に似て奔流する。吉増剛造のまなざしは、「それを高速度で駆けぬける」。

井上監督は、被写体としての吉増剛造に、その「速度」を見てとっている。太秦の東映撮影所に入り、深作欣二監督らの助監督をつとめ、以後、多くの商業映画のみならずCM、テレビ番組の制作等、多岐に渡る仕事を手がけてきた井上監督は、その「速度」を撮影現場における俳優にたとえた。

「映画とテレビをやってきて感じるのは、圧倒的な速度が要求されるドラマ撮影において、役者の潜在能力が発揮されやすい気がすることです。すごい速度で撮っていくドラマの場合、考えずに演じていくすごさ、それが役者がもっている演じることの定型を破ることがあり、そのすがたが最終的には映えることが多い。これをそのまま比較はできないけれど、吉増さんの「怪物君」には、それに近いニュアンスがあって、ものすごい量の言葉、文字を毎日書いている。撮影のあいだの移動中も新幹線で書いている。その量に驚くけれど、実は速度がすごい。」

井上監督は、ドラマ撮影現場の「速度」によっておもいもよらない潜在の力が現れる経験が、「俳優のトレーニング」になるのだという。これを吉増剛造のことばでいえば「電車デモヤリ続ケテイル。修行ミタイナンダケレドモ」(『星座』2017年春虹号)ということになるだろう。井上監督が吉増剛造に見る「速度」のまなざしは、吉増が絶えずみずからを「非常時性」へと追いこみ、意図や予期をこえて不意打ちのように顕ち現れる未見の身体、ことばのしぐさとの出逢いを詩に綴りつづけた営為を映画にとらえてゆく。それこそが、秘された「水脈」にふれる方途だったのだ。

「あるとき、吉増さんがローライ製の二眼レフ・カメラを入手されて、監督、これシャッター音がするでしょ、もっと音が鳴るように仕組んでよ、とおっしゃったことがありました。カメラで絵を撮るのに、どうして音なんだ、と普通はおもうかもしれないけれど、そのとき、吉増さんは音を撮ってるんだとおもった。絵と音を同時変換している。実は、そのことに気付いてから、映画の編集方針(編集の実作業はまだでしたが)を全く変えなければならないと直感的におもったんです。」

波うち、きらめき、流れる水を見ることは、瞳にとり、音を聴くことに近いのかもしれない。その揺らぎまなざしをくゆらせること。撮影中、春の醍醐寺の三宝院で、吉増剛造が白紙の「怪物君」原稿に線を引きはじめたとき、原稿の置かれたその縁側の木の年輪が線の揺れとなり現れた、この経験が、「怪物君」のヴィジョンに新たな局面を示唆したことが告げられるシーンがある。このように不意の揺らぎが、コーナーが、別なる光景を呼びこむことは、『幻を見るひと』の旅路でもあるのだ。キャメラによる筆記が吉増剛造をとらえることに生じる揺らぎが「水脈」への指標となるのだ。

映画『幻を見るひと』より

吉増剛造は、『幻を見るひと』の「龍=水脈」を巡る旅の末に、一篇の詩を書きあげる。冬の妙心寺、法堂の狩野探幽「雲龍図」のもとで吉増剛造が朗読する詩篇「惑星に水の木が立つ」がそれだ。天井の「雲龍図」は、その「龍」それ自体がひとつの瞳のようでもあり、その「龍」のまなざしのもとで、吉増は詩を声にする。そこで吉増は、わらい声を放つ。わたしはその不意のわらい声に「ワッハッゝゝゝハ、ワハゝゝゝハ//灰色の薄暮のフィルム」という、詩集『花火の家の入口で』におさめられた詩篇「麒麟―石狩河口」の詩行をおもいおこした。このシーンは、『幻を見るひと』の旅における「龍=水脈」がもっともつよく迫る本作のハイライトのひとつとなった。「水凝視(water gazing)」と「水脈」と「龍」と詩人吉増剛造が、かさなる瞬間だったのだ。

展覧会「詩人吉増剛造展 涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ)」において、足利市立美術館と沖縄県立博物館・美術館での二回にわたり吉増剛造と対話をおこなった鶴岡真弓は、著書『装飾の神話学』(河出書房新社)のなかで、「龍=ドラゴン」の本質がその名に秘されていると述べている。
「龍」の英語名「ドラゴン」は、ラテン語の「ドラコ」、さらにギリシア語「ドラクン」に由来するが、これらの語の語幹「drak」は「眼」や「見る」を意味するインド=ヨーロッパ語の「drk」に結びついている、そして「人をすくませるような驚異の『眼』こそが龍の本質と考えられていたようだ」と。「龍」こそが「gazing」の化身でもあった。『幻を見るひと』は、「龍=水脈」を巡る旅であり、同時に、「龍=見ること」そのものを見つめ直す旅でもあるのだった。だからこそ、「雲龍図」のもとで詩を朗読する吉増剛造のまなざし、「幻を見るひと」のまなざしそのものが、「龍」の瞳につよく呼応し、吉増のわらい声が「龍=水脈」のそれにきこえたのだ。

吉増剛造がひとり、湖の辺にたたずむシーンがある。井上監督は、この光景にことばの淵に、身を置く詩人のすがたをこめたのだと言った。臨界の岸だ。上空を舞うように、遠景として水辺と吉増をとらえるシーンには、ひとりである人、詩人のシルエットがコントラストとしてきわだっていた。しかし、吉増剛造が見つめる、あるいは、吉増の、「龍」の瞳にうつりこむヴィジョンは、現実と隔絶したものでは決してない。

『幻を見るひと』の道ゆきを辿りなおすかのような、吉増剛造と城戸朱理との対話(「詩を越えて、詩へ」『現代詩手帖』2016年7月号)のなかで吉増は、「河口」を「文明の発祥の舞台」ととらえ、その「河口が巨大な最終処分場」になっている水辺において「瓦礫状態をどうにか自分なりに巨大な海の龍のヴィジョンに変える」試みを90年代の長篇詩「石狩シーツ」ですでになしていたのだと述懐している。「文明の発祥」と「瓦礫状態」をひとつのまなざしのうちにうつしこもうとする吉増剛造の、「龍」に比する巨視的な瞳は、今、なにを見つめるのか。

『幻を見るひと』には、吉増剛造を撮影したシーンとは別の映像が挿される。震災への言及や、原民喜への言及のシーンで、実際の津波、原爆の「記録映像」が挿されるのだ。わたしは試写会でこの映像をみたとき、驚き戸惑いを感じた。その理由について、幾度もおもいを巡らせた。ことばを書くこと、映像を撮ること、そのことが何事かを「記録」し、「記録」されるものがあること、そして、おおきな意味での「報道」ということを考えざるをえなかった。本作は、詩人吉増剛造を、吉増の営為を、ただ紹介するための映画ではない。この映画を見た人ひとりひとりが、現在をいかに生きるのか、もしくは、現在にいかなるまなざしをむけるのかを問いかける映画でもある。「幻」を停止させるかのような「記録映像」は、今を生きる誰もにその問いをさしだす。そして、わたしは吉増剛造のある一文とともに、吉増剛造が詩にこめる「報道」性を考えていた。

「二〇一一年三月十一日の大震災の日に」応答するかたちで「緊急の上梓の経緯」が記された『裸のメモ』には、この書物を「波頭で汐に濡れた、新聞のように、読んで下さることを心より願う、――」と記されている。この『幻を見るひと』もまた、「波頭で汐に濡れた、新聞のように」届けられる映画なのではないか、と。

井上監督は、わたしの問いに対し、「散文が家とするなら、詩とはそれを高速度で駆けぬける燃える者だ」という先のアン・カーソンのことばを引きながら、「詩人が燃えながら、駆けぬける存在だとすれば、家そのものが壊れるかもしれない。家が瓦礫化するかもしれない。そして、家が解体されたとき、瓦礫のなかから、その家がいつ建てられたものなのかを伝えるものが出てくる。それは、建築時、板間と畳の間に敷かれた新聞が出てくるから。畳が剝されると、畳と板間の間から湿気取りに使われていた当時の新聞が、日付が、そのままに出てくる。あの記録映像は、そのような新聞のイメージで挿した」と話した。わたしは井上監督のこのおもい、意図をしることで、ジョナス・メカスが本作へあてた「映像のフォルム自体が、詩になっている」ということばをあらためて考えていた。映画『幻を見るひと』は、「散文が家とするなら、詩とはそれを高速度で駆けぬける燃える者だ」という文言の「詩」のありようをフィルムの「フォルム」とすることで、吉増剛造という詩人の詩の現場に接近したのだと。

「吉増さんを映画に撮って、わたしが答えなど用意できない。考えているのは、その物語がどのようなすがたで生まれてこなければならないのかということにつきる。奇妙な形の有機体にはならず、『幻を見るひと』の旅のなかで生まれた詩篇「惑星に水の木が立つ」のように、すっと立っている映画になっていてほしい。」
左から井上春生監督、吉増剛造、城戸朱理

写真は全て©Keiko Onoda

【映画情報】

『幻を見るひと』

出演 吉増剛造
監督・編集・プロデューサー 井上春生
エグゼクティブプロデューサー 城戸朱理
配給プロデューサー 小野田桂子
制作・配給 HUGMACHINE
製作 「幻を見るひと」製作委員会
翻訳監修・「惑星に水の木が立つ」翻訳 遠藤朋之
翻訳 甲斐菜穂美
朗読 大鷹明良 小林あや
英語朗読 マーク・カーポンティエ
タイトルデザイン 井原靖章
撮影 安田浩一 大木スミオ(J.S.C.)
照明 渡辺大介
スチル 小野田桂子
出演協力 大友良英

オフィシャルサイト
https://www.maboroshi-web.com/

東京都写真美術館ホール(恵比寿ガーデンプレイス内)にて11月24日から7日間限定ロードショー
(11月26日、12月1日を除く)


【著者プロフィール】

菊井崇史(きくい・たかし)

大阪生まれ。
詩や写真、また映画等の評論を発表。
2018年に『ゆきはての月日をわかつ伝書臨』『遙かなる光郷ヘノ黙示』(書肆子午線)の二冊の詩集を刊行。
neoneo誌のレイアウトにも参加する。