【INTERVIEW】『旅するダンボール』を巡って 岡島龍介(ディレクター、エディター、シネマトグラファー) × 島津冬樹(アーティスト) × 汐巻裕子(株式会社ピクチャーズデプト代表、映画バイヤー、映画プロデューサー)


映画『旅するダンボール』より

――映画の中で段ボールの「傷とか凹み」が大事だとおっしゃっていて、とても印象的でした。目の前にあるものがどういった経験をしてきた結果そこにあるのかということの時間軸を物語としてとらえ、その物語ともの自体を一緒に大事にするんですね。段ボール工場でのシーンも段ボールへの愛情を感じたのですが、元々段ボールが好きだったというよりも、色んな所で段ボールの物語に出会って、制作を経ていくことで段ボール自体に愛着、愛情が芽生えたのですか。

島津冬樹 
そうですね。最初に段ボール工場に行ったのは大学二年生の時でした。その時に、つくられたばかりの大きなロールの段ボールを見て、本当にパンみたいだなっておもったんです。そういう経験のなかで自然と段ボールの温かさにふれてきました。そうすると大切過ぎて財布に出来ない段ボールが増えてきたんです。色んな場所から拾ってきた段ボールが、もう二度と出会えないとおもうと財布にできない。財布にして人に渡すことは、段ボールを助けて財布にしてるように捉えられることもありますが、逆に、財布にすることはある意味で段ボールを殺すことになる感じがするんです。
そうやって色んな旅をして物語を知ると、それを財布にすることにとても勇気がいるんです。それはある意味究極の愛というか、大切なものです。――『旅するダンボール』の「旅」というキーワードは、この映画のなかでは「物語」と言い換えてもいいとおもいます。段ボールの旅=物語であり、段ボールを巡る島津さんの旅=物語という側面がかさねあわされています。ですから、ロードムービー的な要素もあり、ひとつのストーリーを映画自体がつくっているとおもいます。

岡島龍介 捨ててある段ボールも元はそこに無かった、元を辿って行くと全然違う所から来ていて、今回映画で追いかけた「ポテト」の段ボールも、たまたまそこに置いてあったものに出会い、ぼくらが段ボールが来た道のりを逆走して、新たな旅が生まれたんです。だから、あの里帰りプロジェクトというのがひとつの映画の軸になりました。

――目の前のものには、必然と偶然が絡みあっている。ひとつの段ボールとの出逢いがその出合いを体現しているんですね。段ボールに限らず、もの自体に時間軸の経験を感じるというのは、大事な視点だとおもいます。
映画のテーマにも通じるとおもいますが、例えばリサイクルとアップサイクルの差異もそこに浮かびあがってくるとおもうんです。リサイクルや再生紙等の考え方だと、段ボールなら段ボール、紙なら紙を資源として扱って、素材を原料化し、その再利用をしますが、ものの経験をゼロにしてしまう。島津さんのまなざしと活動は旅や経験や物語を込みで、ものを見つめています。旅の記憶や物語、イメージも段ボールと同じもののような対象として、見つめるまなざしがあります。島津さんが段ボールだけではなく、ものとの関わり、ふれあいで意識されていることはありますか。

島津冬樹 自然とですけど、ものとの物語は段ボールにかぎらず大事にしています。一期一会のものとして見てしまうんです。だから旅先で手にしたものは、ホテルのWi-Fiのパスワードが書かれた紙とか、なんでも捨てられなくなってしまう。ものを大切にするというのは、そういう気持ちも含めて、やっぱり出会いのなかで得たかけがえのないものなんです。ものとの向き合い方は、自分とものとの間に、いかに物語があるかと考えることが大切です。

汐巻裕子 今、断捨離ブームじゃないですか。島津君は、その真逆の発想でしょ? だけど、島津君のお家って、どんな断捨離をしている人よりとても綺麗に片付いていて、それが不思議なんですよ。ものを大切にするから、すごくたくさんのものがあるのに、とてもきれいに片付けている。そこにね、ヒントがあるとずっとおもっているんです。

――断捨離ブームって大雑把にいうと、ものとのかかわりを見直しましょうという発想だとおもうんです。一般的に人がものをためこんでしまう理由には、それが大切だからという基準とは別に、必要だからという基準があるとおもいます。日用品にかぎらず、必要になるかもしれないとか、ストックしておくと安心とか、どこか貯金をする感覚というか、漠然と将来不安だからすこしでも貯金しておこうみたいな感覚に通底するものがある気がするんです。結果、本質的に一体自分が何をストックしているのかがわからなくなってくる。消費していくものをどんどんかかえこんでしまって、ものとの関わりが見えなくなる。だから断捨離という発想が生まれているんだとおもいます。けれど、島津さんの場合は元々消費という概念がほとんどないような、そうではなくて、ものとの関係、一期一会の物語を側に置いておくという感じがします。だから見ている方は、所有とはなにかを、あらためて実感的に考えさせられます

汐巻裕子 断捨離の先をいっている!

島津冬樹 重要なのは、何かを手にするときに対話が必要なんです。

汐巻裕子 出会いを待ってるんだね。

島津冬樹 小学生から、ぼくもどっちかっていうと要らないものもふくめていっぱい拾ってきちゃってたんですよ。棄てられた粗大ゴミを拾ってきては、家に溜まって、要らないものを処分することが結構あったんです。やっぱり、捨てるって悲しいことなんです。それをちょっとでも減らしていく為にはどうしたらいいかと考えると、大切なものだけを手にするようにするしかないかなと。うちの親もぼくの子供の頃から描いた絵やおもちゃも全部取っていて、親も割と大切なものだけを残しておいてという感じでした。

――この映画ではじめて島津さんを知る人の中には、段ボールを作品にするという活動は、エコやリサイクル、環境問題への取り組みやアプローチ、関心の一環として作品制作がなされているのかなと感じる可能性があるとおもうんです。けれど、映画がすすむにつれて、そうではなくて、島津さんの段ボールへのひたむきな愛情、フェティッシュともいえる段ボールへの接し方、よろこびがベースにあって、そこに焦点があてられています。そして、その活動が結果的に、アップサイクル等の側面等、さまざまな面から多くの人たちの共感をえています。岡島監督から見て、島津さんのワークショップに参加する人の反応のちがいは、場所ごとにありましたか。

岡島龍介 お客さんの反応は、世界中どこでもだいたい同じでした。まずは、段ボールをつかって財布をつくること、実際に財布が完成することのよろこびがあります。ワークショップに参加して、実際にものをつくると、思考がすこし変わるんです。思考をちょっと変えるだけで、同じ段ボールがゴミにもなるしゴミではなくなる。その思考を変えることが、価値観を変える。そこがアップサイクルに繋がっていくんですね。

――段ボールのクオリティーやデザインからその場所特有の経済事情等が見えてくることと同じように、今、島津さんの活動、作品、ワークショップ等が世界各国で招待され、好評をもって受け入れられていることから見えてくる状況があるとおもいます。島津さんが各地でワークショップ等を行うなかでワークショップに参加している方々の動機、意識はどのようなものだとおもいますか。

島津冬樹 動機や意識の限定はあまりなくて、いろんな人が参加してくれます。工作してみたいとか。ワークショップが四年目を迎える高松では、主婦達が自分で財布づくりが出来るようになっていて、独自に開発して、ものすごくクオリティーが高い財布をつくれるようになっています。
だから、やっぱりアップサイクルという言葉が先に走ってアップサイクル商品とかアップサイクルフェアとか、それを売りにした産業になってしまうと、自分の活動とは違うんです。段ボールのよさが伝わるとか、実際にものをつくるよろこびが一番にあります。

汐巻裕子 アップサイクルは日本ではまだまだ浸透してないけれど、ただ同時多発的に世界中でポツポツそういう話題が出始めている。ムーブメントになるかもしれないけれど、それが根付くかどうかはまだわからないですね。

――映画を見ているとアップサイクルという名称は根付かなくても、島津さんのように自分自身でものとのかかわりを考えて、それを実践する人が増えるということの方が大事だとおもいました。

汐巻裕子 多摩美術大学の情報デザイン学科の永原康史教授が、島津君の活動を「行為だ」と定義してくれたんで、ありがたかったです。アップサイクルって呼ぶより、やっぱり「行為」なんですよね、一人一人の。それが一番腑に落ちる。

――島津さんとは本日はじめてお会いしたのですが、偶然、ぼくも島津さんと同じ多摩美術大学の情報デザイン学科卒業で、在学時期もかさなるので同じキャンパスですれちがっていたかもしれないです。だからというわけでもないのですが、この映画は美大生やこれから美術やデザインに関わっていきたいとおもう人に見てほしいなとおもいました。

汐巻裕子 『旅するダンボール』は良い教材でもありますよね。

――美大生時代をふりかえってみても、美術とはこうだ、デザインとはこうだ、作品制作とはこういうものだという常識に縛られている部分が多分にあるとおもうんです。けれどそんな決まりがあるなんて嘘で、本当は実際に作品をつくることはなんなのか、作品とはなんなのかという問いをそれこそ「行為」として考える必要がある。そういう意味でも、せっかく橋本MOVIEXでの公開が決まっているので、多摩美の学生さんに見てほしい。制作ということを見つめ直すヒントになるんじゃないかな。
アーティストとかデザイナーとか、そういったステイタスではなくて、島津さんのように「行為」、あるいは生き方として、ものにまなざしを向けようとすることで既成の芸術や美術のフレームとは別のスタンスが見えてくる。取っ払われるジャンルの枠もあるとおもいます。

汐巻裕子 それが監督の裏テーマでもあって、監督と島津君のふたりの相乗効果でそれは表現出来たとおもいます。

岡島龍介 ぼくの目線は、基本的には中立で、あれしなさい、これしなさい、ではなくて、ちょっと考えてみましょうっていう立場なんです。アップサイクルという言葉も日本ではまだ浸透してないので、ものとの関わり、アップサイクルについて皆で考えてみませんか、そして、その例として島津君のような人がいますよという構成にしています。

――「一緒に考えてみませんか」と呼びかけるような間口の開き方は、『旅するダンボール』の特徴ですね。

汐巻裕子 岡島君から冒頭のナレーションパートの案が出てきたときに、「大切とは、人とものが関わった時に生まれる」って書いてあって、この映画はこれで決まりだっておもいました。もちろんそこからナレーションは練っていきましたが、あの一言で決まった感じがした。その目線はたぶん、岡島君と島津君二人ともが、間口を開けてるアーティストだからというのがあるんだとおもいます。

――最初の話に戻りますが、エンターテインメント・ノンフィクションという考え方や、監督がお客さんを飽きさせない演出に力を入れているとおっしゃていた編集、映画のスタイルは、「一緒に考えてみませんか」という呼びかけのひとつの方法なんでしょうね。

島津冬樹 ぼく自身もこの映画を見ていて飽きないんですよ(笑)。

――最後にこの映画の活動含め今後の展開、あるいはそれ以降の展望をお話しいただければとおもいます。

岡島龍介 SXSW(サウスバイサウスウェスト)Film Festivalでのワールドプレミアがはじまりで、こうして日本公開も決まり、ぼくにとっても転換期かなってすごく感じています。1作目の次、2作目3作目でどういう作品をつくるのかがすごく重要になるとおもっています。だから今やっとスタートに立ったという感じです。ドキュメンタリーとか劇映画という枠を取っ払って、本当に世界中で見てもらえるような作品をつくり続けていきたいです。

島津冬樹 段ボールミュージアムというか、拾ってきた段ボールをアーカイブするような場所はつくりたいですね。段ボールの作品に関しては、今後は財布にとらわれずつくっていきたい。今まで家具とか建築とかは避けていたんです。そういうのは既にあるから。けれど、既成の段ボールの家具って、結構それ用に作られた段ボールだったりする事が多いんです。だから、拾ってきた段ボールでもこれだけオシャレになるんだというのをインテリアに溶けこませて、ぼくなりのアプローチをしていきたいなとおもっています。

左から島津冬樹氏(出演)、岡島龍介氏(監督)撮影:菊井崇史

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【映画情報】

『旅するダンボール』
(2018年91分/日本)

製作 ピクチャーズデプト
監督・撮影・編集 岡島龍介
出演 島津冬樹
ロサンゼルスユニット撮影 サム・K・矢野
VFX 松元遼
音楽 吉田大致
ナレーション マイケル・キダ
プロデューサー 汐巻裕子
配給 ピクチャーズデプト

オフィシャルサイト
http://carton-movie.com/

2018年12月7日(金) 
YEBISU GARDEN CINEMA/新宿ピカデリーほか全国順次公開