【Interview】内なる旅で宇宙とピンポンする 『500年の航海』キドラット・タヒミック監督 インタビュー

ラヴ・ディアス、ブリランテ・メンドーサなど、近年世界の注目を集めるフィリピン・インディペンデント映画。そのシーンの中で精神的支柱となっている映画作家がキドラット・タヒミックだ。フィリピンの反独裁政権運動や、世界各地の先住民族との交流、近年のアートフェスティバルでの作品制作など、ジャンルを越境し、ドキュメンタリーとフィクションの入り混じった手法で彼が、35年の歳月をかけて完成させた最新作『500年の航海』がついに劇場公開される。マゼランの世界一周航海を奴隷の側から描くという大胆な試みをベースに、第2、第3の物語が派生、増殖し、タヒミック自身の人生が重ね合わされた壮大な叙事詩はいかにして誕生したのか。昨年10月末の東京国際映画祭で来日した監督に、インタビューを試みた。
(取材・構成=小林英治)



奴隷の側から描くマゼランの世界一周航海

―――『500年の航海』、実に壮大なスケールの作品で、正直まだ何からうかがえばいいのか途方に暮れています……。

キドラット・タヒミック(以下KT):何でも聞いてください(笑)。

――まず、この映画の一つの軸としては、マゼランの世界一周航海についての「正史」を、同行した奴隷の側から書き換えるという側面があります。一方で、完成までに35年もかけてらっしゃるので、劇中で演じている監督自身の若い頃の姿も出てきたりして、監督自身の人生も綴られた作品になっているようにも感じました。

KT:私はいわゆる脚本を書かないんです。物語のプロセスにあたって、日々“宇宙”からの声を聞いてアドバイスを受けたり、日常生活に起こってることを作品の中に取り込んでいったりするので、普通に脚本を書くのとは違った物語の語り方になっています。

――では、最終的に『500年の航海』となったこの作品の出発点はどこにあったのでしょうか?

KT:この映画を作り始めたのは1979年で、主な部分は82年から84年に撮影しました。そのときに興味があったのは、マゼランの世界一周航海で、フィリピン人であるマゼランの奴隷エンリケ(※)が、世界一周の航海の途中でフィリピンに着いたときに、既に世界一周を果たしていたのではないかということでした。ですから、80年代の前半は主にマゼランと奴隷エンリケの主従関係をどう定義づけるかというシーンを大量に撮っていました。しかしあとから考えると、その撮影プロセスというのはある種のウォーミンググアップの期間だったのかもしれません。自分の映画には脚本がないわけですから、そうやって撮影しながら二人の人物像を固めていくことによって、スペイン人たちによって書かれた公式の歴史とは違った視点で歴史を見るという、より大きな枠組みの物語に拡げていくことができるのではないかと考えるようになっていったのです。
――でも、そこで撮影を中断されたんですよね。

KT:はい、87~88年くらいにいったん撮影をやめました。その時期はちょうど子どもたちが成長していく時期で、これは一生に一度しかないことだから、今はその時間を楽しむことにしようと思ったからです。同時に、子育てのあとでこの映画に戻ってきたら、映画をどういった終わり方にすればいいかわかるかもしれないから、しばらく寝かしておこうと考えたわけです。いわば、棚上げ状態にしたわけですね。ある意味で、この映画を20年近く放ったらかしにしてたのは、“宇宙的な事故(cosmic accident)”だったのかもしれません(笑)。

※正確にはエンリケはマレー語圏出身であると思われるが、フィリピン人だったかどうかは不明。

映画「500年の航海」より

多次元的、多層的な物語への発展

KT:2012年に再び撮影を始めるまで、その間にまったくこの映画のことを忘れていたわけではありません。かといってこの映画のことだけを考えて過ごしたわけでも、もちろんありません。その中で、最初はまったく計画してなかったことが自分の人生の中にも起こって、それがこの映画の中に取り込まれていくという結果になっていきました。

――画家が二重露光の写真に写っている老人を探すというもうひとつの物語も、そのときに生まれたのでしょうか。

KT:成長した私の息子が写真をやってるんです。彼が、一度撮った写真のフィルムを箱に放り込んでおいて、3年後とかに無作為に撮り出したフィルムで二重写しをするという創作活動を、アーティストとしてやっていました。だから、彼がこの老人を探すという第2の物語が始まるヒントをくれたんです。そしてその物語によって500年の物語自体は終わります。2013年にまずその段階でシンガポールで上映しました。

――一度はエンドマークが出て終わっていたんですね。

KT:その時の基本的な物語の構成は、マゼランの航海から500年経って、山の中で再びマゼランとエンリケが出会うというところで終わっていました。そして、最初はそこに10分くらいのエピローグを付け加えようかなと思いました。そうしたら、1992年に撮ったチンパンジーの映像があったぞ、あれは考えてみればエンリケとマゼランの物語と関係あるじゃないかと気づいていしまったんです。さらに、私自身の家族の生活であったり、政治運動のデモであったりと、いろんなものが入り込んできて、第3部が突然見えてきてしまいました。自分自身の人生で起こってることが、映画のストーリーラインと組み合わさって、多次元的、多層的な物語になっていったわけです。

映画「500年の航海」より

――作品自体が生命を持って、このままでは終われないと叫んでいるかのようでした。

KT:そこででき上がってきたのは、映画の中で奴隷を演じている私ではなく、映画の終わり方を探している映画作家としての私のストーリーです。こういった物語の発展の仕方というのは、たぶん私が映画学校で学んだことがないからできることだと思います。まず準備して、撮影をして、ポストプロダクションがあって、上映して、お金を稼いで、予算を集めて、それで次の映画を撮るといったルールを私自身は定めていないので、1本の映画をどんどん続けることができるのです。

――まさに本当の意味でのインディペンデントですね。

KT:そう。それは商業映画として期日までに収益を上げるという考えではなくて、かといって知的なエクササイズとして自分が映画作家としていかに賢いかを誇示するためのプロジェクトでもなく、何か政治的な思想があって現代の社会に対して意見を言うために作っているというわけでもなく、学術的に検証をして歴史を書き換えるという試みでもありません。むしろ、個人的な要素、政治的な要素、歴史的な要素、そのすべてが絡み合ってごちゃまぜになっていくわけです。

――ごちゃまぜと言えば、この作品には様々なメディアが登場します。意図したというよりは、完成までに長い年月かかったことの結果だと思いますが。

KT:ええ。それが自伝的な部分の要素にもなっています。16mm、VHS、Hi8、友だちに借りた携帯電話で撮った動画…。それらは自伝的であるとともに技術的な進化の物語でもあって、様々なテクノロジーと格闘することもこの映画の1部になっているといえるかもしれません。

――映像メディアだけではなく、写真の二重露光もありますし、絵画や彫刻もあります。そのことによる厚み、多層性が、作品の豊かさにつながっていると感じました。

KT:その意味でも本当にマルチメディアですね。

映画「500年の航海」より

▼page2 先住民たちから学んだ世界における存在のあり方 につづく