【連載】「視線の病」としての認知症 第6回「天国の待合室」にて text 川村雄次

クリスティーンと石橋典子さん

「視線の病」としての認知症
第6回「天国の待合室」にて

<前回 第5回 はこちら>

2003年 2月23日。
この日、認知症の人の語る時代の扉が開いた。

その日の午前11時半、私はブリズベン市内のホテルのロビーで迎えを待っていた。通訳のジュリー・ヘイズ。身長168センチ、髪は茶色で眼鏡をかけていると特徴を知らされていた。やってきたのは、私と同年代。やさしい目、やさしい低い声の、「日本人よりも日本人らしい」と言われそうな、静かな印象の女性だった。彼女が乗ってきた車は、オーストラリアでは破格に小さく見える緑の小型車。その車で私たちは直ちに、69キロ北、クリスティーンが暮らすブライビー島に向かった。そこで石橋さんたちと落ち合うことになっていた。
高速道路の脇に広がるユーカリの林を眺め、道路標識に表示されるBurpengaryとかCabooltureとかBongareeとかいう地名を見ながら、私は、先住民族アボリジニーの土地に来たことを感じていた。運転しながら、ジュリーがあれこれ教えてくれた。彼女の母親が、クリスティーンと同じブライビー島に住んでいること。その島が、夕日の美しい砂浜があることで知られる、温暖で暮らしやすいところで、高齢者が引退後の人生を過ごすため移り住む「天国の待合室」と言われていることなど。
機中で読んだ本の中のクリスティーンは、連邦政府の官僚として内陸の首都キャンベラで暮らしていたから、認知症の診断の後、様々な葛藤を経て、彼女もそうした老人たちの仲間入りをしたのだろうか。私は、砂浜のヤシの木陰にゆったりと腰掛けて夕日を眺めながら人生最後の日々を送るクリスティーンを思い浮かべた。病み衰えた彼女の傍らには、妻を介護しながら遺産相続のチャンスをうかがう夫がいる。そんな暗いイメージだった。

大陸とブライビー島との間の海峡に架けられた、全長約830メートルの橋にさしかかる。橋の上に等間隔に立てられた街灯の一つ一つの上に何か白いものが乗っかっている。近づいてみると、ペリカンだった。動物園でしか見たことのない鳥が野鳥として棲むこの島は、想像したとおり、白い砂浜に囲まれ、緑のヤシが生い茂る、「南の楽園」に見えた。島の大半が国立公園で、約350種の鳥類やコアラ、カンガルーが棲んでいるという。

ジュリーと私は、約束の1時より30分ほど早く、クリスティーンの家の前に来た。緑の木々の中に建つ、こじんまりした平屋建て。私は、子どもの頃に読んだバージニア・リー・バートン作 石井桃子訳の『ちいさいおうち』を思い浮かべた。

すると、私たちの車の前の道を人が横切った。石橋さんだった。日本からの3人の道連れとともに先にタクシーで来ていたのだという。家に入る前にトイレに行っておきたいという人がいて、ジュリーさんが母親の家に連れていった。帰りを待つ間、石橋さんは興味しんしんといった様子で、クリスティーンの家の周りを歩き回り、パシャパシャと写真を撮り始めた。
私もビデオカメラを三脚に載せて、あたりの風景を撮影することにした。私はこの日のため、機材一式を購入し、持参していた。
撮影しながら、私の頭の中で戸惑いや疑いがうごめいていた。
この小さな家に住むただ一人の女性に会うことに何の意味があるのか?本に書いてあるからといって、それをそのまま信じるわけにはいかないのではないか?
私は、自分の役割を、石橋さんたちの訪問の記録係と定め、何が起ころうとありのままに見つめ、記録する、ということで自分を納得させようとしていた。

すると突然、家の扉が開き、真っ青なワンピースを来た金髪の女性が現われ、「アーッ!」と高い声をあげた。スラリと背が高く、銀縁の眼鏡をかけたその女性は、まぶしすぎる日差しに目を細めていたが、満面の笑顔だった。遅れて、濃い緑のポロシャツを着た、やはり頭もひげも金髪の男性が出てきて、やはり満面の笑顔を浮かべている。クリスティーンと夫のポールだった。ポールも銀縁の眼鏡をかけていた。
二人のあっけらかんとした明るさを見た瞬間、私はあっけにとられた。閃光で目がくらんだように頭の中が真っ白になった。この二人に、日本を発つ時からずっと私が疑っていたような、後ろ暗い意図や隠し事があるとは、とうてい思えなかったのだ。また、「認知症を病み苦しむ妻と、その介護のため自分を犠牲にする夫」という、「認知症介護」のイメージとも全く違った。
自分が一体誰に会っていて、何を見ているのか、分からなくなってしまったのだ。
私は意味も分からずカメラを回し続けた。

家の中に招き入れられると、自己紹介もそこそこに、お土産交換が始まった。通訳がいないから、自分たちで片言の英語で必死に話す。みんな興奮状態で、混沌としていた。日本からは、万華鏡やわらじなど。クリスティーンも、本の出版後に自分が書いた文章やオーストラリアのテレビ局に取材された時のビデオテープを用意してくれていた。
やがて通訳のジュリーが家に入ってきて、やや落ち着いてコミュニケーションがとれるようになると、ポールは、その日私たちがどこに泊まるのか尋ねた。私たちがどこにも予約を入れていないことを伝えると、「近所にモーテルがあるから予約を入れてこよう」と、車に乗って行ってしまった。

昼食を用意するクリスティーン

家には、クリスティーンと私たちが残された。
クリスティーンは、私たちのために昼食を用意してくれるという。「認知症のクリスティーンが私たちのために昼食を用意する」ということを、私たちは全く想定していなかった。認知症と言えば「介護の対象」であって、一人でそんなことは出来ないものだと高をくくっていたのだ。だがクリスティーンは、当たり前のように、広いキッチンに入って、まず大きな白い皿を出す。石橋さんたちは、日本人の私たちには少々高すぎるキッチンのカウンターにぶら下がるようにして、クリスティーンのすることを眺めている。興味津々、笑いが止まらないといったような笑顔で。冷蔵庫からとりだしたのは、ビニル袋に詰まった数種類のチーズ、生野菜、マスカット、豆の料理など。新聞紙にくるまれたローストビーフ。時折包丁を使いながら、皿の上に並べていく。それにパンとジュースという、ごくごく簡単な昼食だった。てきぱきと要領よく、という感じではなく、何度も何度も立ったまま頬杖をして考え込んでいた。呆然としているようにも見えたが、1分もしないうちにまた動きだした。
変わったことといえば、途中一度、「ポールはどこ?」と心細そうな小声で尋ねたことだった。私たちは、記憶障害か?と考えながら、「私たちのホテルを予約しに行ってくれました」と答えた。それでも不安が払拭されなかったのか、彼女はポールの携帯電話に電話をかけた。
また、戸棚から取り出したテーブルクロスを広げようと食卓に置いたところに電話がかかってきて受け答えをした後、台所に戻ったまま、何分も帰ってこないことがあった。私たちは、テーブルクロスを出したことを忘れてしまったのかなあと話しあい、自分たちで広げることにした。しかし、そのくらいのことは誰にでもある。

今から考えると、私たちは何でも「記憶障害」と結びつけて考えて、頭が固くなっていたのかもしれない。
食卓を囲むにあたり、日本から持参したシールにNoriko、Yujiなどと名前を書いて胸に貼りつけた。
そしてポールの帰宅を待って、食事をとりながらの対話が始まった。

この訪問の一つの大きな目的は、クリスティーンの著書の日本語版を出版するにあたって、この本を読むと当然起きてくるだろう問いに答える材料を得ることにあると、私は考えていた。
彼女が本当にあの本を書いたのか?書いたとすればどうやって?そして、彼女は本当に認知症なのか?

材料は一つ一つそろっていった。
クリスティーンと話すと、すぐに彼女の頭の回転の速さ、直観の鋭さと深さに気づく。例えば、クリスティーンは、石橋さんが日本語で話している時、日本語を聞いているだけで通訳を聞かなくても、言わんとしていることが分かるかのように表情が輝くのだ。もちろん、通訳された後に語る答えは的確だった。そして、言葉やジェスチャーを使った表現の豊かさ。本に書かれた内容が彼女自身の言葉であることを疑う理由は何もないと思われた。
では、記憶障害のある人がどうやって?私たちは彼女に問うた。思いついた時にすぐ書き留めるのだと、彼女は言った。夜中であっても。ある時は自分で、またある時はポールに口述筆記してもらうのだと。それを後で組み合わせていく。
そして、本当に認知症なのか?これについては、ポールが、毎朝作る「やることリスト」の束を見せてくれた。クリスティーンは、その日一日、何をするのか、優先順位や時間配分を決めることが難しくなっており、ポールと話し合いながらリストを作る。このリストに従って一つ一つやっていけば出来るのだという。(認知症の症状にそういうものがあるとは知らなかったが、後に、それを「遂行機能障害」と言うことを知った。)それだけで認知症であるということは出来ないが、もともと人並み外れて有能な官僚だった彼女に変化が起きていることは疑えないと思った。

食卓での対話では、クリスティーンが講演で、自分の脳のスキャン画像を示した時の話も聞いた。萎縮しており「120歳の人の脳」と言われたという画像。ある医師達は、「これが彼女のスキャンであるはずがない。もしそうだったら、そこに立っていられるわけがない」つまり、介護施設か病院で寝たきりになっているはずだと疑ったが、別の医師達は、「もしかしたら、自分の患者たちも思ったほどひどくないのかもしれない」と、自分たちのスキャン画像の見方を見直したという。

その時、私が考えたのは、こんなことだ。
進行性の知的能力の減退が起きていて、その原因が脳の病変であると認められれば、認知症と診断されるだろう。だが、知的能力の衰えている人が「私の知的能力は衰えている」と語った時、その信憑性を疑う余地はある。知的能力の衰えた人がそれを的確に認識し、表現することが出来るのだろうか、と。

だが、著書によれば、クリスティーンはもともと天才並みのIQの持ち主で、科学者であり、連邦政府では、首相に科学政策について助言を与える仕事をしていた人である。その人が、「自分は知的能力が衰える病気である」と、自分のプライドを傷つけるのみならず、地位や収入を失うような嘘をつく理由があるだろうか?

「動かぬ証拠」がない時に、その人の言うことを信じるのか、疑うのか。
疑われる人はどんなにつらいだろう。認知症の苦労に、疑われ、嘘つき呼ばわりされる苦労が重なるとしたら・・・と、私は考え始めた。
脳に顕著な変化が起きており、日常生活を一人で送るのが難しくなるような障害がある。それに対して対処法を工夫することで一日一日を楽しみながら過ごしており、2冊目の本を書き始めたところである、そんな風に今のクリスティーンの状態を理解した。

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