【Review】『牧師といのちの壁』(加瀬澤充監督)―― 人を生に繫ぎ止めるもの text 長本かな海


うちの近所の弁当屋の息子が年明けに首を吊ったらしい。まだ19歳だったらしい。自然が豊かなことで有名な私が住んでいる離島では、都会よりもずっと人の死が身近だ。しょっちゅう葬式の案内を見るし、みんな知り合いなので葬式に行く機会も都会よりずっと多いだろう。直接は知らなくても、どこどこの誰が死んだという話もよく聞く。私は弁当屋の息子の存在はこの話を聞くまで知らなかったが、19歳という若さで自死を選んだ彼は何を考えていたんだろうか、と若者が自死を選ぶこの社会に思いを巡らせた。

加瀬澤充監督のドキュメンタリー映画『牧師といのちの崖』は、和歌山県白浜町の観光名所であり自殺の名所である三段壁で、いのちの電話を運営している牧師の藤䉤康一さんの活動を追ったものだ。藤䉤さんは電話をかけてきた人の話を聞き、思いとどまらせ、必要ならば生活再建をめざすための共同生活の場を提供している。

映画は、2人の男性がうどんのテイクアウトを始めたらどうか、と話し合っているシーンからはじまる。いつもの軽い話し合いの最中に鳴る携帯電話。無言のまま切れた電話に藤䉤さんのそれまでの笑顔は消え、表情や行動は一気に重苦しいものになる。自殺志願者からの電話は今までに何度も受けてきたはずだが、何度経験しても慣れないのであろう。そのまま彼とカメラを持った監督は車に乗り込み、公衆電話のある三段壁へと向かう。暗い中、ひとりベンチに座る女性。藤䉤さんは車を止め、大きな溜息をついた後、車を降りて女性に歩み寄り話しかけた。監督はもちろん車の中に残り、2人が居る方向の暗闇を撮り続ける。そこで何が話されているのか、女性は何を思ってここに来たのか、なぜいのちの電話に電話を掛けたのか、ここに来る前はどこに居たのか、そこで何があったのか、どんな人生を歩んで来たのか。その間なにが話されていたのかは2人にしかわからず、暗い画面を前に待たされる私たちの頭には否応無く様々な問いが浮かぶ。

こんなドラマチックなシーンが延々と続くのか、という普段あまり覗くことのできない世界への不謹慎な好奇心を裏切り、シーンは彼ととりあえず自殺を先延ばしにした人たちが共同生活をしながら営む食堂兼宅配弁当屋の厨房へ移る。淡々と映し出される彼らの日常生活に、好奇心を掻き立てられるようなドラマチックな展開はない。他人とは思えないほどの情熱で彼らに向き合う藤䉤さんの姿は心を打つが、金の使い道や、親との関係の修復、人間関係へのアドバイスなど、内容は日常に溢れている問題ばかりだ。ただ、登場人物に共通しているのは、何らかの迷いで死に切れず、いのちの電話に電話をし、死ぬことを先延ばしにしているということ。

「死のうと思っている人は、ずっと死にたいと思い詰めているわけではないんです。波があって、もう今死のう、と思う時と、死のうかどうしようか考えている時がある。今死のうという思いが失敗に終わり、教会に連れて来たあと、私はいつも明日の朝にミーティングがあるので声をかけますね、と小さな約束をすることにしています。そしてその後も小さな約束を繰り返していくことによって、その人を繋ぎ止めていくことができるんです。」

映画の中で藤䉤さんはこう語る。彼の最終的な目的は、自殺を先延ばししている人に、死にたい気持ちを乗り越えてもらうことだ。そのためにひとりひとりの問題と感情的になりながらも厳しく切実に向き合う。

しかし、彼はなぜここまで他人を救うために力を注いでいるのだろうか?牧師であるが故の信仰心からだろうか?自殺志願者たちの自殺願望の意図がはっきりとは語られないように、彼の熱意の根拠も映画の中でははっきりと示されない。それはこの映画が、混沌としておりわかりにくい、そのままの現実を映し出しているからだろう。

何が人を救おうとさせるのか、何が人を自死へと導くのか、どこに生きる意味があるのか。全体に漂うモヤモヤとした雰囲気の中、それを一掃する明るさと明快さと安定感を持って登場するのが藤䉤さんの妻の亜由美さんだ。亜由美さんは人間同士の深い関係こそが、その人を生に繋ぎ止めるのだ、と繰り返し説く。その中でもデュルケームの自殺論を例に出し、人は自由検討が多いほど幸せになれず、ある程度枠組みがある方が力を発揮でき、願いが叶いやすいという話が興味深い。

自由検討とは、キリスト教のプロテスタント信者が聖書を自分の解釈で読むことを言う。教義をただ受け入れることを要求されるカトリック信者よりも、自由に解釈する事が個人に求められるプロテスタント信者の方が自殺者が多かったことから、デュルケームは自由検討が個人主義を高め、孤独感を誘発しやすいのではないかと分析した。

現代では、選択肢が多く、縛りがなく、自由なほど幸せだという風潮があるが本当にそうだろうか。映画の中盤で藤䉤さんがひとりの男性に新しく買って来たであろう、まだ花が咲いていない鉢の並び順を考えてもらうシーンが挿入されている。限られた鉢を花が咲いた未来を想像しながら、自分が良いと思う位置に並べる。私にはこの行為が、人を生へと繫ぎ止める象徴的な行為に思えてならない。

キリスト教社会で厳しく禁じられているはずの自殺を「それも神様にゆだねること」と言う彼の言葉からは、人が死んでもなお孤独に陥らないよう、可能な限り相手の拠り所になろうとする、信仰心という言葉では片付けられない想いが垣間見える。


写真は全て映画『牧師といのちの壁』より©ドキュメンタリージャパン、加瀬澤充

【映画情報】

『牧師といのちの壁』
(2018年/100分/カラー/英題:A Step Forward)

監督・撮影・編集:加瀬澤充
プロデューサー:煙草谷有希子
音響:菊池信之 音響助手:近藤崇生
宣伝協力:細谷隆広 宣伝デザイン:成瀬慧
制作・配給・宣伝:ドキュメンタリージャパン、加瀬澤充
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)
   独立行政法人 日本芸術文化振興会

公式サイト https://www.bokushitogake.com/

好評につきポレポレ東中野にて延長上映中!
2/9(土)~15(金) 10:30
2/16(土)~3/1(金)10:30/21:00

大阪シネ・ヌーヴォーほか、全国順次公開予定

【執筆者プロフィール】

長本かな海(ながもと かなみ)
多摩美術大学芸術学科卒業、シエナ大学人類学専門課程中退。
日本の夜神楽からヨーロッパの奇祭まで、辺境の祭り女。
現在は障害者のための就労施設でアートプロジェクトを遂行中。