【Review】東京に残る「ぬかるみ」の感覚と記録『東京干潟』『蟹の惑星』(村上浩康監督)text 細見葉介

『東京干潟』

村上浩康監督のドキュメンタリー『東京干潟』と『蟹の惑星』が公開された。東京湾に注ぐ多摩川の河口部にある干潟が、2作品の共通した舞台だ。東京都大田区と川崎市川崎区を結ぶ大師橋下の左岸、羽田空港や京浜工業地帯に近接した大都会の一角に現れる干潟には、多くの生き物の住処であり、関わる人間たちのドラマがあった。同じ場所で、同じ期間に並行して撮影を進められた2作品だが、それぞれ異なった物語を描く。

『東京干潟』は、河川敷に自ら建てた小屋に住み、干潟でのシジミ採りに生きる80代男性を追いかけたものだ。15匹の猫たちに囲まれて親代わりも務めている。彼は自然への敬意を忘れない。乱獲によるシジミ減少、猫を虐待する人の存在など、自然と人間との歪んだ関係を明かすその言葉には、多くの経験に裏打ちされた気迫があった。インタビューを重ね、彼が大牟田で生まれてからアメリカ占領下の沖縄を経て、この河川敷にたどりつくまでの長く波乱万丈の人生を掘り起こしていく。そこで、芯を通して行動し続ける原動力を知ったと思った。東京五輪を目指して進む開発の波は、このわずかに残ったサンクチュアリにも押し寄せていた。2015年から2018年まで4年の取材期間にも、海側では新しい橋の建設が始まり、干潟の環境は変わっていった。彼は堤防の上で、自らの経験を重ねつつ建設ラッシュを冷ややかに見つめていた。

『蟹の惑星』は、干潟に棲息する多様な蟹たちの生態に絞り込み、その魅力にとりつかれ10年以上にわたり研究に没頭する男性・吉田唯義の姿とともに描いている。吉田もまた、80代。蟹たちの迫力には圧倒された。コメツキガニは干潮の間に驚くべき勢い砂団子を作り上げ、一面を埋め尽くしてしまう。何か機械じかけで連動しているかのような、求愛ダンスに興じるチゴガニの集団。———時に微速度撮影、クローズアップ、望遠も駆使し生態を取り上げたかと思えば、かつて蟹とも干潟とも無縁だった吉田が研究に至る人生をも引き出し始める。

『蟹の惑星』

80年近く前、吉田が生まれた時代に撮られた科学映画の名作『或る日の干潟』(下村兼史監督、1940)を思い出した。有明海のぬかるみの中から現れた蟹たちのモノクロームの姿が重なって見えたのだ。群れの迫力では『或る日の干潟』以上のインパクトを残す。多摩川河口部にはかつて三角州があり、周辺の遠浅の海では海苔の養殖も行われていた。戦前、現在の川崎市の浮島一帯が埋め立てられる前の地形図からは、海へ向かって広がった三角州の形を確認することができる。今では一角に残るのみになった干潟は、京浜工業地帯の開発前には遥か沖合まで広がっていたことだろう。

村上がかつて監督した作品に、神奈川の中央部の相模川の支流・中津川の自然と人々を描いたドキュメンタリー『流 ながれ』(2012)がある。『蟹の惑星』の吉田と同様、生態に魅せられ、研究・保護する在野の活動を描いており、同じ系譜に連なっている。中津川では、上流に宮ヶ瀬ダムが完成した後、生き物たちに大きな変化が訪れた。ただ、丹沢山地を間近に控え緑豊かな県西部の中に流れる中津川の生態と比べると、『東京干潟』と『蟹の惑星』の映す多摩川の干潟には、場所自体の意外性、驚きがある。都会の真ん中とは思えない風景、どこの話であったのかを忘れてしまうような場面が積み重ねられているためだ。
『蟹の惑星』(蟹の数を調べる吉田さん)

『東京干潟』のシジミ採りの男性が住んでいる小屋は、前には水面が広がり、後ろにはコンクリートの絶壁のような堤防が迫る、わずかな河川敷の雑木林の中に建つ。高い堤防の向こうには住宅地が広がっているが、世界が隔絶されている。長いインタビューシーンの最中など、後ろにある小屋の造りの立派さもあいまって、そこが河川敷であることを忘れ、田園地帯の中にある農作業場であったのかと錯覚してしまう。晴れた日には、彼方に富士山が望む。夏に響き続けるミンミンゼミの声は、干潟という場所であるとは思えず、雑木林の中を歩いているような不思議な感覚を与える。季節の区切りは特に強調されており、音のモンタージュによって空気感を再構成している。地形図で見た戦前の自然の海岸線、三角州があった頃の情景をふと想像する。もちろん、遠景に高速道路の高架橋や、羽田空港を離着陸する飛行機や、工場地帯が映り込むたびに、現実に引き戻されてしまうのではあるが。

干潟の風景が一通り登場して目に慣れてきた頃、彼が堤防を越える場面がある。自転車に乗りシジミを出荷しに出かけ、スーパーで猫の餌やアルコール飲料を買って帰るのである。その時、堤防の向こうの世界———ごく普通のアスファルトの道路や住宅地が、息苦しいほど無味で乾燥した風景に見えてしまった。夕暮れ時に輝くほのかな街路灯、看板の光もでさえもよそよそしく感じられた。この作品が、対照的に自然の中のウェットな感覚を伝えきっていることの証左だろう。

『東京干潟』(猫とおじいさん)

2作品には、その場の空気がじわりと画面から漏れ伝わってくるような巧みさがある。河川敷の草むら、工事現場の土、水面や工業地帯から流れてくる多様な匂い。足をとられるぬかるみと、歩いた後の疲れ。夏の焼けつくような日差しやその熱気を含んだ海風、手にこびりつき、爪の間に入り込んでいるはずの泥の心地悪さ。———それらが、時にふと伝わってくるのだ。低く屈んだ水面、泥の面に近いアングルが多いことも奏功している。今回の2作品では『流 ながれ』とは違って別の撮影監督を立てず、監督の村上が一人カメラを回している。泥に足をとられたエピソードが登場するが、干潟の上で粘りに粘って撮影を続けた労苦は、作品に現れないところにも多々あったと察せられた。

『流 ながれ』が環境の変化を描きつつも、未来に淡く期待を抱かせて終わるのに対して、『東京干潟』が示している干潟の未来は、生き物たちにも、ここに生きる人々にとっても、決して明るくはない。しかし2作品は、ぬかるみの印象とともに、それらの記憶を残す。シジミを食べる時にあの漁の光景を思い出し、東海道線や首都高に乗って窓外に過ぎ去る多摩川の水面を見た時には、あの泥の風景を想像するだろうと思った。

(文中敬称略)

【上映情報】

『東京干潟』 
(2019年/83分/カラー/HD)
『蟹の惑星』 
(2019年/68分/カラー/HD)

共に製作・撮影・編集・監督 村上浩康

ポレポレ東中野にて公開中、他、全国順次公開

<公式サイト> ※最新の上映情報はこちらをご覧下さい

https://higata.tokyo/index.html

<監督ブログ>

https://tokyohigata.hatenablog.com

<予告編>

【執筆者紹介】
細見葉介(ほそみ・ようすけ)
1983年生まれ。会社勤務の傍ら、映画批評などを執筆。連載に『写真の印象と新しい世代』(「neoneo」、2004)。共著に『希望』(旬報社、2011)。著書に『躍動 横浜の若き表現者たち』(春風社、2019)。