【連載】ドキュメンタリストの眼 vol.23 タル・ベーラ(映画監督)インタビュー text 金子遊

『ニーチェの馬』について

——いま『ニーチェの馬』について言及があったので、もう少しお聞きしたいです。この映画は『サタンタンゴ』に比べると、多くの場面が室内で撮られています。メインの登場人物も初老の男とその娘だけであり、シンプルなことこの上ないフレーミング、カメラワーク、人物の動きに達していると思います。具体的に『ニーチェの馬』のなかのどのようなショット、どのようなモンタージュにおいて、ご自身の映画言語は完成されたと感じたのでしょうか。それによって、長編劇映画からの引退宣言までなさっているのですから、どこにその実感があったのかお話してもらえないでしょうか。

タル・ベーラ もちろん、満足していなければ、映画として完成し、世に問うことはないでしょう。スタッフやキャストに訊いてもらえばわかりますが、わたしは完璧主義の人間です。そして、『ニーチェの馬』をどのように撮ったのかは、本当にその撮影現場のロケーションから、そこに配置された登場人物たちから立ち現れてきたのであって、そこに創作の秘密はないのです。撮影現場に座っていると、ここはこのように撮るべきだ、これでいくべきだと理解できます。それをカメラマンや他のスタッフに伝えると、複雑すぎてスタッフがパニックに陥ったり、さまざまな困難に直面したりすることになる。

わたしは、たくさんではないけれど、それなりに映画作品を撮り続けてきました。ここ四〇年にわたって、一作品ずつ、少しずつ自分の映画的言語というものをつくり上げてきました。より純粋で、より豊かな、より難解なものになってきました。自分がどのような映像をスクリーンの上に描きたいのか、そのヴィジョンを育ててきたのです。ひとつよく覚えているのは、わたしと一緒に仕事をした撮影監督の誰もが、現場で照明や美術や衣装や俳優をセットしたあとに、わたしが「このように撮って、こうカメラを動かして、俳優をこう動かしたいんだ」というと、すべてのカメラマンが「それは不可能です」と答えたことです。ですが、わたしは「不可能」という言葉が大嫌いなんですね。

ここでひとつ、あなたに問題をだしてあげましょう。今から『ニーチェの馬』のなかの2つのショットを見せるので、これらをどのように撮ったのか答えてください。最初のショットは、娘が窓の外をむいて窓際にすわっているフルショットです。その次にくるのが、石造りのかまどの上で、じゃがいもを茹でている鍋のショットですね。さて、カメラの位置はどこにあるでしょうか? よく見てくださいね。壁のところにかまどがあり、その上に鍋が置いてあります。そのかまどの上には煙突がついています。さて、わたしたちがどうやって撮ったか説明してみてください。

——ああ、なるほど。最初のショットは、室内から窓ぎわに座っている娘を撮っています。しかし、後続のショットでは、カメラがイマジナリーラインを越えて、まるで家の外から撮影したかのようなアングルでかまどの上の鍋を撮っています。ということは、この家はロケセットで、あなたは壁を取り外せるようにしておいて、このショットを屋外から撮ったのではないですか? このショットが壁の側から撮られたことは確かです。壁を取り外したのでなければ、鏡を使うしかなかったでしょう。

タル・ベーラ ちがいます。これは本物の家であり、壁も石造りの本物なので動かすことなどできません。ノー。どこの誰が、鏡なんか使うものですか!

——お手上げです。

タル・ベーラ まず、監督は後続のショットのような、かまどの上にある鍋を撮りたいというヴィジョンををもっていなくてはなりません。この田舎家の内側の家具を並べたときに、事前にかまどを動かさなくてはいけないということを、美術部に伝えておきました。ですので、石造りの重たいかまどは移動できるようになっていました。けれども、先ほどいったように、そこには煙突がついていて、実際にかまどに火をくべているので、両者を丸ごと動かせるようにしなくてはならない。わたしが『ニーチェの馬』の舞台となる家屋に入ったときに、何を見せたいのかが自然と立ち現れてきて、それを感じたので、自分のヴィジョンの通りに撮影できるようにスタッフに頼んだのです。

このかまどの上の鍋のショットを実際に撮影したときは、かまどを動かして、石の壁とかまどの間にカメラを入れて撮りました。そして、もう一度カメラがまわりこむので、煙突とかまどを元の位置にもどしました。すごくシンプルです。上からパンダウンしてきて、鍋でじゃがいもを茹でている光景が映り、カメラがまわりこんで娘を見て、彼女が鍋からじゃがいもを取りだす姿があって、それをテーブルに運んでから食べる。そして、カメラがまわりこむと、今度は初老の父親がどのように座っているかが、スクリーンに映しだされるというわけです。

——なるほど。ところで『サタンタンゴ』に近い特質が、2011年の『ニーチェの馬』にもあると思います。両者ともハンガリー田舎の村を舞台にし、人びとは大きな自然の力を前にして無力で、貧困に直面しながら生きている。『サタンタンゴ』と『ニーチェの馬』では、実際のハンガリー大平原における風土、そして人々の生活習慣や民俗をモデルにしているのでしょうか。

タル・ベーラ 同じハンガリー大平原といっても、『サタンタンゴ』と『ニーチェの馬』の舞台は異なっています。『ニーチェの馬』は東部で撮っていて、『サタンタンゴ』はハンガリー国内の一八の異なるロケーションで撮影されています。『ニーチェの馬』は基本的にはロケセットとして建てた田舎家と、その家のまわりで撮影をしました。ロケハンをしていたときに、盆地にある丘の上に一本だけさびしそうな木が立っているのを見つけて、その場所がいいと直感したんですね。そこに石材と木材をもちこんで、家を建ててもらった。その家の窓から、その木が見えるように窓の位置を決めました。『ニーチェの馬』で、そこまでしてとらえようとしたのは、何か普遍的なもの、本質的な何かでした。理解して頂きたいのは、わたしたち映画人が理解しなくてはいけない主なことは、世界を理解すること、自然を理解すること、自然のなかでわたしたち人間というものが自然の一部であるのかを知ることです。どうしようもなく絶望的であるのは、人間以外のものではなくて、まさに人間なのだということです。

舞台となっているハンガリー大平原を自分の視界におさめ、その時間と空間を体感するとき、わたしたちの人生がまさに時間と空間のなかで起きるものだと理解できます。自分にとって時間というものが重要なものになりました。たとえば、人生をどのように生きていくのか、日々を過ごしてどのように年を重ねていくのか、わたしたちはその時間をどんな風に過ごすのか。ですので、『サタンタンゴ』では、そのような時間を取りこんだ映画づくりをしなくてはならなかった。

人生というものの複雑さ、その全体像を映画の物語で描こうと思ったら、時間を無視することはできない。それと同様に、風景もまた重要です。風景も自然の一部であり、『サタンタンゴ』や『ニーチェの馬』には動物たちが登場しますし、わたしたち人間もまたその空間の一部です。ハンガリー大平原にいると、そのような感覚を自分の身体の内側に感じます。物事が永遠に終わらないのではないかという感覚です。たとえば、わたしが平原を何週間歩いたとしても、誰にも何にも出会わないのではないかと思ってしまう。そのような場所なんです。そこで感じるのは、もう何も永遠に変わらないのではないかという感覚。ただ毎日、時間がどんどん過ぎ去っていき、ずっと同じような状態が続く。『サタンタンゴ』は、そういった人生、そういった人びとを描いた作品ですから、時間、風景、そして人間の存在を含めなくてはなりませんでした。それは洗練された問いではなく、非常に実用的な問いです。その場所において、時間や風景の感覚をしっかりととらえなくてはいけない。わたしたちは誰もが時間や風景の一部であるわけで、それは地球上のどこに住んでいようと変わらないのです。

『サタンタンゴ』

——なるほど。『サタンタンゴ』や『ニーチェの馬』という映画の背後にある監督の哲学が段々わかってきました。それを実現するために厳格な演出法、厳格なカメラワークを駆使しているのですね。

タル・ベーラ ただ、そうやって題材と格闘している時間というのは、とても興味深い時間だといえます。キャスティングをするとき、上手な俳優というよりも、強い個性をもった人を採用しています。撮影に入ると、わたしは俳優に一切の演技をさせません。演技というものを一切求めていません。俳優は演技をすることを許されません。人間がただそこに存在してほしい。俳優が何かを演じているなと感じたら、「それは素晴らしいことだが、この作品には合わない」と言い渡します。わたしの映画では、俳優は彼ら/彼女たち自身の奥からでてくる深いものを表現します。彼らはその場所で本当に反応し、お互いに耳を澄ませ、リアクションを起こさなくてはならないのです。そうならないときは、撮影を中断して、次のテイクを撮ることになります。例外といえるのが、『サタンタンゴ』でいえば、イリミアーシュが葬儀で演説する場面と、彼が永遠について語る場面です。そこは事前に決めたセリフを話してもらっています。

とても難しいのは、演者たちのなかから湧いてくる自然発生的なものを大切にしつつ、どのようにして映像としては端正な構図や正しいカメラワークをとるか、そのバランスを保つことです。なぜなら、映画カメラはどうやって撮るかを学ぶために一定の時間を要するからです。俳優がリハーサルをくり返して何度も同じことを演じると、自然発生的な要素が失われてしまう。それは、わたしの好むところではない。なので、完全に撮影の準備ができるまで、俳優を現場には呼びません。むろん、リハーサルは一切しません。唯一おこなうのは、俳優のブロッキング、どこに移動してどこに立ち、次にどこに行くかという動きだけ確認してもらいます。

スタッフも俳優も、コレオグラフィ(振り付け)をすべて把握してから、いざ撮影に入る。そして、目の前で撮影がおこなわれるますが、それが良いショットかどうか、ファインダーをのぞかなくても、感覚でわかります。目の前で起きていることに耳をちゃんと傾けているからです。カメラがまわりはじめて、カメラ、照明、録音などすべてのスタッフ、すべてのキャスト、そして自分の呼吸がひとつになり、同じリズムになることが望ましい。その瞬間、ある種の緊張が走ります。そのような緊張感がなくては、ショットは退屈なものになるでしょう。そうやって、みなが同じ呼吸になったときに、みながそこに存在することになる。それが、映画を撮影することなんだと思います。

——ありがとうございました。すばらしいインタビューになりました。満足です。

タル・ベーラ だけど、あなたはまだ映画を撮ること、演出することの秘密にたどり着いてませんよね、大丈夫ですか(笑)。

タル・べーラ 監督プロフィール (『サタンタンゴ』公式サイトより)

1955年ハンガリー、ペーチ生まれ。哲学者志望であったタル・ベーラは16歳の時、生活に貧窮したジプシーを描く8ミリの短編を撮り、反体制的であるとして大学の入試資格を失う。その後、不法占拠している労働者の家族を追い立てる警官を8ミリで撮影しようとして逮捕される。釈放後、デビュー作“The Family Nest”(77)を発表。この作品はハンガリー批評家賞の新人監督賞、さらにマンハイム国際映画祭でグランプリを獲得した。
その後、ブダペストの映画芸術アカデミーに入学。在籍中に“The Outsider”(80)、アカデミーを卒業後に“Prefab People”(82)を発表。卒業後はMAFILMに勤務した。79年から2年間、ブダペストの若い映画製作者のために設立されたベーラ・バラージュ・スタジオの実行委員長も務めた。
「秋の暦」(84)で音楽のヴィーグ・ミハーイと、”Damnation”(87)では作家のクラスナホルカイ・ラースローと出会い、それ以降すべての作品で共同作業を行う。
1994年に約4年の歳月を費やして完成させた7時間18分に及ぶ大作『サタンタンゴ』を発表。ベルリン国際映画祭フォーラム部門カリガリ賞を受賞、ヴィレッジ・ボイス紙が選ぶ90年代映画ベストテンに選出されるなど、世界中を驚嘆させた。続く『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000)がベルリン国際映画祭でReader Jury of the “Berliner Zeitung”賞を受賞、ヴィレッジ・ボイス紙でデヴィッド・リンチ、ウォン・カーウァイに次いでベスト・ディレクターに選出される。2001年秋にはニューヨーク近代美術館(MOMA)で大規模な特集上映が開催され、ジム・ジャームッシュ、ガス・ヴァン・サントなどを驚嘆させると共に高い評価を受ける。
多くの困難を乗り越えて完成させた、ジョルジュ・シムノン原作の『倫敦から来た男』(07)は見事、カンヌ国際映画祭コンペティション部門でプレミア上映された。2011年、タル・ベーラ自身が“最後の映画”と明言した『ニーチェの馬』を発表。ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞をダブル受賞し、世界中で熱狂的に受け入れられた。
90年以降はベルリン・フィルム・アカデミーの客員教授を務め、2012年にサラエボに映画学校film.factoryを創設。2016年に閉鎖した後も、現在に至るまで世界各地でワークショップ、マスタークラスを行い、後輩の育成に熱心に取り組んでいる。彼に師事した映画監督は、『象は静かに座っている』のフー・ボー監督や『鉱 ARAGANE』の小田香監督などがいる。
2017年には、アムステルダムのEye Filmmuseumで、インスタレーションや展示で構成された“Till the End of the World”を開催した。

【映画情報】

『サタンタンゴ』
(1994年製作/438分/ハンガリー・ドイツ・スイス合作)

監督・脚本:タル・ベーラ
共同監督・編集:フラニツキー・アーグネシュ
原作・脚本:クラスナホルカイ・ラースロー
撮影:メドビジ・ガーボル
出演:ビーグ・ミハーイ、ホルバート・プチ、デルジ・ヤーノシュ、ボーク・エリカ
配給:ビターズ・エンド

公式サイト http://www.bitters.co.jp/satantango/

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