【連載】「視線の病」としての認知症 第14回 「認知症ケア」の夜明け text 川村雄次

グループホームの玄関に掲げられた「ケアの理念」

そしてもう一つ。武田さんは、それまで自分が完全に視野の外に置いていた「認知症」に目を向けることになる。「若年認知症」である。

先ほども書いたように、クリスティーンと武田さんはともに1949年生まれ。誕生日が1日違うだけの同い年。当時、二人とも55歳だった。

「自分がいま認知症になったらどうなるだろうか?」という問いが頭にとりついて離れなくなったのだ。

65歳未満で発症した認知症を、「若年認知症」という。当時、日本では医師の間でも、若くして認知症になる人がいることは、あまり認識されていなかった。記憶障害などを訴えて受診しても、「気のせい」であると言われたり、統合失調症やうつ病など別の病気と診断されるなど、見過ごされることが少なくなかった。自宅での暮らしに行き詰まって入院すると、若く体力があるため、行動を抑えるため手足をベッドに縛りつけられたり、強い薬で鎮静させられたりして、あっという間に寝たきりになり、死亡することもあった。こうしたことは高齢者でも決して珍しくないが、ついこの間まで元気に歩き、話をしていた人の変化はあまりにも激しく、「入院させなければよかった」と自分を責め、悔し涙にくれる家族に、私は何人も会った。

介護保険が出来てからも、若年認知症は、医療からも福祉からもこぼれ落ちていた。国による2006年からの実態調査で、全国に約3万7800人、18歳から64歳までの10万人あたり37.8人という推計値も出されている。当時、認知症の高齢者は百数十万人とされていたから、それに比べれば少ないが、無視していい人数ではない。だが、田舎であれ都会であれ、「うちには若年の人はいない」と言い切る専門職は今も多い。「いない」のではなく、「見えていない」「見ようとしていない」のである。

武田さんにしても同じだった。主に65歳以上の高齢者を対象とする介護保険を前提にして仕事をしていると、若年認知症の人はほとんど目に入ってこない。医療界でもケア業界でも認知症への関心がようやく高まりつつあった当時ならば、例外中の例外として、視野の外に置いていたとしても、それほど責められるべきことではなかっただろう。

クリスティーンについて知り、「もし自分がなったら」という思いにとりつかれた武田さんは、若年認知症の人を受け入れてくれるデイサービスなどの介護施設があるか調べてみた。札幌市内には一つも見当たらなかった。高齢者の認知症に比べて症状が激しく、病気の進行が早く、ケアは難しいとされ、「医療の対象」と思われていた。受け入れてくれるのは、精神病院だけ。介護施設で手をつけようとするところはなかった。「若年認知症の人を受け入れる」ということは、職員がけがをするほどの暴力を受けるか、そうでなければ、薬物や帯などで拘束する用意をするか、だと考えられていた。「ケアの場」というよりは、「暴力をもって暴力を制する場」のイメージ。武田さんは、そうではない道をひらきたいと思っていた。ベック・フリース医師に教えられた3つの原則を愚直にやり抜けば、その道はひらけるのではないかと考えたのだ。

それは単に専門家の立場で「数の少ない認知症に目を向けた」というのにとどまらない、武田さんの体も心も、職員の暮らしも、丸ごと巻き込む挑戦になっていく。

武田さんは、始まりつつあった「若年認知症」をめぐる全国的な動きにも目を向けるようになった。2001年には、若年認知症の人の家族会「彩星の会(ほしのかい)」が東京で結成され、国や社会に支援を求める活動を始めていた。札幌でも、家族会を設立する動きが起こっていた。武田さんはその準備会に顔を出すようになった。(設立されたのは2006年9月。)

出会う人々の多くが、これから何を頼りにどうやって生きていけばいいのか見通しを持てず、途方に暮れていた。武田さんは、若年認知症専門のグループホームとデイサービスを立ち上げたいと話した。それを聞いていた人々の中に、のちにオーストラリアへの旅を共にすることになる2人の男性の妻たちもいた。

男性たちは2人とも会社員で、50代で認知症と診断され、退職を余儀なくされていた。妻たちの悩みは、仕事はやめたものの心身ともにいたって健康で、時間と体力を持て余し、家で一日中何もしないでいる夫たちの行き場がない、ということだった。この2人が、武田さんの若年認知症専門デイサービスの初めての利用者になった。
グループホームの台所に掲げられた武田さんの座右の銘

(つづく)

【筆者プロフィール】

川村雄次(かわむら・ゆうじ) 
NHKディレクター。主な番組:『16本目の“水俣” 記録映画監督 土本典昭』(1992年)など。認知症については、『クリスティーンとポール 私は私になっていく』(2004年)制作を機に約50本を制作。DVD『認知症ケア』全3巻(2013年、日本ジャーナリスト協会賞 映像部門大賞)は、NHK厚生文化事業団で無料貸出中。