【Report】IFFR&Berlinale2020 <ベルリン国際映画祭編> text歌川達人

世界の多様性に出会える社会派ベルリン国際映画祭

今年で第70回を迎えるベルリン国際映画祭。今年からArtistic Directorが交代し、ロカルノ国際映画祭でArtistic Directorを務めていたCarlo Chatrian氏が新たに就任。セクションは、Competition, Encouters, Forum & Forum Expand, Panorama, Generation, Berlinale Special & Berlinale Seriesなど幅広く、多種多様な作品が上映されていた。日本からは、諏訪敦彦監督「風の電話」、想田和弘監督「精神0」、田中功起監督「抽象・家族」など9本の映画が上映された。詳細は下記のリンクを参照ください。

https://unijapan.org/news/awards/works/70th_berlinale_1.html

映画祭期間中、ドキュメンタリーを中心に合計35本近い映画を観た。35本観た映画のほとんどは、多様性に満ちていて、それぞれの作り手が自分のオリジナルな映像言語や興味を追求し、完成させた唯一無二の映画のように感じられた。中でも、特に2つのドキュメンタリー作品が印象的だった。白黒ノー・ダイアログで出演者は豚・鳥・牛のみで展開する「Gunda」。

https://www.berlinale.de/en/programme/programme/detail.html?film_id=202003145

そして、Panorama Dokumente部門「Little Girl」。

https://www.berlinale.de/en/programme/programme/detail.html?film_id=202010327

本作は、身体は男として生まれた1人の幼い子が女性として生きていくことを決心し、家族と葛藤しながら日々を歩んでゆく物語。主人公のSashaはまだ幼いので雄弁に自分の状況や思いを語るわけではない。しかし、彼女の眼差しを見ているだけで学校や社会で彼女がどれだけ苦しい想いをしているかが伝わってくる。そして、お母さんが素敵だった。我が子と共に悩み苦しみ、時には涙し、支えようと心を砕くお母さん。母は偉大だ。医師との定期面談のシーンなど含め、これだけパーソナルな空間を映画に共有するのはとても勇気のいることだと思う。それも、Sashaのように苦しんでいる他の子の助けになればとお母さんが考え、撮影に協力的だったのではないかと勝手に想像してみる。この映画を観て救われる人はいるのだろうなと思える、そういう類の素晴らしい映画。Panorama Dokumente部門観客賞3rd placeで、観客の拍手からも作品の高評価が窺えた。

多様な映画の中に埋れて気がつくこと

短期間に集中して多くの映画を観ると、自分を惹きつける素晴らしい映画に出会うことが出来る反面、自分には合わない映画にも出会ってしまった(映画の良し悪しの問題ではなく、単純に自分には合わなかった)。しかし、それはポジティブなことだし、作り手には必要なことではないかと感じた。それは「自分の興味がどこに向かっているのか」と言うことを改めて知ることに繋がるからだ。

作り手として、純粋に「この監督の表現やアプローチが面白い」とか「こんなにも自由な表現しちゃって良いんだ」とか「このポートレイトやランドスケープに魅力を感じる」とか、自分と深く共鳴できる部分をスクリーンの中に見つけられたということが私には重要だった。おそらくそれは他人の目を気にして、映画を作ったり文章を書いたりすることとは真逆にあって、様々な映画(という外の世界)を観ながら、結局は自分の内なるものを知っていこうとする、すごく孤独で個人的な作業だ。だが、それが楽しい。

例えば、期間中、批評家やセールス、プログラマーなどが映画の感想を様々な媒体でシェアしていたが、自分の感想と大きく違うこともあり正直ありたじろいだ。自分とは異なる意見に注意深く耳を傾けオープンでありつつも、自分が感じたことを安易に曲げちゃダメだと感じた。表現行為(観る行為も含め)というのは、誰かの顔色を伺いながら、模範解答をしようとする営みなんかじゃ全然ない。自分独自の方法で掴み取るものだ。受け手の反応も、それぞれ違って当然だ。「そんなの当たり前だ」と思われる方もいるだろうが、これを貫き続けることが実はとても難しく、故に尊いのだと改めて実感する良い機会になった。

映画を支え育むプラットフォームとしての映画祭

せっかく映画祭に来たので閉会式の空気を味わおうと思い、ジェネレーション部門の閉会式に参加。ジェネレーション部門は、物語と映像言語で若い観客を誘うような映画がセレクトされたセクションで、国際審査員とは別に若者たちも審査員を務め、賞を決める。そのため、多くの若いお客さんが会場の席を埋めていた。(詳しくは下記を参照ください)

https://www.berlinale.de/…/festival/sections/generation.html

閉会式の最初には、Berlinale Artistic DirectorのCarlo Chatrianさんが登壇し「私たちは映画を通し、世界を旅することができる。映画祭を通して、皆さんが良い旅をしてくれたなら嬉しい」と一言述べる。その後、ジェネレーション部門を支援する団体のトーマスさんが登壇し、「若者たちよ、映画館でみんな一緒に映画を観て意見を交わし、世界の多様性に触れることが大事なんだ。家でネットフリックスばかり見て、カウチポテトになるなよ。それから、映画祭で上映された『Berlin Alexanderplatz』と『First Cow』は間違いなく良いから観に行ってね、おすすめだよ」と熱く語る。どちらも移民をテーマに扱ったコンペ作品である。トーマスさん個人の想いを堂々と語っている点が素敵だった。形式ばったセレモニーではなく、血の通った大人が熱い想いを持ってやっているのだという感覚。

国際審査員によって受賞作品が発表され、日本からは諏訪監督の『風の電話』が審査員賞を受賞。その後、若い審査員が選定した受賞作品も発表される。若い審査員たちが交代交代で、受賞作品と講評を読み上げる光景は立派だと思った。

そしてふと思ったのだが、日本の国際映画祭には、なぜジェネレーション部門がないのだろう。若い世代があまり映画館に足を運ばなくなった時代だからこそ、ジェネレーション部門を通して、映画祭と観客が一緒になって考えるべきなのではないか。映画館で場を共有しながら映画を観ることの価値を。映画がなぜ社会に必要なのかを。これから社会を担う世代ともに。そういったコミュニティの担い手に映画祭はなり得るのだと、ジェネレーション部門の閉会式を通し感じた。

もちろん日本の映画祭でも、キンダーフィルムフェスト・きょうとやYIDFF、東京国際映画祭、東京フィルメックスなどで、子ども向けの映画上映やワークショップなど様々な活動がなされている。素晴らしい活動をなさっている諸先輩方を陰ながら応援しつつ、それらの活動が広がらずにいる障害は何だろうかと考えてみる。結局はどこもやりたいけど予算と人員が追いつかないというのが現状な気がするので、問題は公的資金が不十分であるという意味で文化行政ではないかと結論づけてみる。あと、ファンドレイジングも。しかし、それらも市民である私たちが論理的に訴えていかなければ何も変わらない。社会や政治を形作っているのは、本来私たち一般市民だから。いつから、その意識(当事者意識)がぶっ飛んで、上からの政治に言われるがままの国民性が出来上がってしまったのだろうと憂いてみる。しかし、現実的には、市民・行政・社会・映画コミュニティをブリッジできる有能なキュレーターや映画人がもっと増えていけかなければいけないのだろうか。とりあえず、私たちの世代は私たちの世代でやれるところから頑張ってゆこうと、ベルリン名物のソーセージを食べながら、強く心に刻んだ。

2つの映画祭を通して

今回の体験を通して、まさに映画祭とは予期せぬ出会いの場であるということを再認識した。それは、人との出会いだけではなく、自分の価値観を揺さぶってくれるような映画・言葉・体験も含む。今年のBerlinaleでは新たにエンカウンター部門が設立されたが、私の映画祭体験はまさにエンカウンター(出会い)の連続だった。もちろん、出会いは良い側面だけではない。初めての相手を理解しようと心を砕くと体力も削られるし、相手との距離の測り方がうまくいかずお互い傷ついてしまうこともあるだろう。それでも臆せず、自分の速度で少しずつ、様々な出会い(もちろん映画祭だけに限らず)を受け入れていくことが、映画と向き合い続ける為には必要なのだと改めて実感した。

とは言え、何度も海外の映画祭に足を運ぶのは、ジリ貧で頑張っている私たちインディペンデント監督には少々厳しい。そんな人の為に、IFFRのマスタークラスやBerlinaleタレンツの記録動画がネットにアップされており、様々な情報にアクセスできる。

▼IFFR Master Class

https://www.youtube.com/playlist?list=PLF_RT4GM9bEmrFZQZPpdfX0MOsACrkc6Y

▼Berlinale Talents

https://www.youtube.com/user/berlinaletalents/videos

日本で開催される国際映画祭でも、海外からやってくる多様な映画と映画関係者に出会うことが出来る。予期せぬ出会いを求め、日本で開催される映画祭にも時間の許す限り足を運ぼうと思う。

【執筆者プロフィール】

歌川 達人(うたがわ・たつひと)
1990年、北海道生まれ。映像作家。主にドキュメンタリーのフィールドで活動する。立命館大学映像学部卒業後、フリーランスとしてNHK番組やCM、映画の現場で働く。初監督ドキュメンタリー「カンボジアの染織物」がカンボジア、スペイン、ブラジルで上映され、ギリシャのBeyond The Borders International Documentary Festival 2018のCompetitionでは審査員特別賞を受賞。短編「時と場の彫刻 (英題:The sculpture of place & time)」がロッテルダム国際映画祭2020で上映。