「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第33回 『小津安二郎の世界』

快いテンポの世間話と、長くなる大事な話

本盤の中で証言者が思い出す小津の姿は、どれも魅力的だ。早くから風格があり、スタッフ思いの優しさとユーモアを持つ人物だったとみなさん一様に語っている。
その上で、前半は映画の中からリズムのある会話の場面が選ばれ、だんだんと、登場人物が人生観を語る場面中心になっていく。

例えば『長屋紳士録』だと、なんてことないやりとりの子気味良さが小津映画の魅力のひとつとして紹介されている。

為吉(河村吉)「常会だぜ、カワヤスさんのところで今晩」
おたね(飯田蝶子)「ああ、そうだったね」
為吉「もうぼちぼちだ」
おたね「ああ」
為吉「今日はね、カワヤスさん大当たりだ」
おたね「なにが」
為吉「あそこの平ちゃんね、ちょろっと二千円当てちゃった。三角くじで」
おたね「へええ」
為吉「新円で二千円だぜ」
おたね「へええ。うまいことやったね。じゃあ今晩何か出るね」
為吉「まあ、出たいところだね」
おたね「じゃあ、芋置いてこよう」
為吉「うん」


いいなあ、このポンポンと言葉が転がる感じ。音だけで聴くとさらに快さが増す。落語をレコードで聴くと、言葉の響きから音楽的な要素が抽出されてくる、あの楽しさに近い。小津映画にある落語的素養を指摘しているのは、『生きてはみたけれど』での山田洋次だった。
言葉を足すとすれば、落語だけでなく、若い頃に耽溺したアメリカ映画の記憶も混ざって、このカラッとしたテンポが生まれている気がする。


その後、円熟期のスタート作と言われる『晩春』では一転して、父と娘がいずれ別れることを話し合う場面が抜き出されている。
縁談の決まった紀子(原節子)が、やはりこのままお父さんのそばにいたい、と言い、父の周吉(笠智衆)が諭すところ。

紀子「……お嫁に行ったって、これ以上の幸せがあるとは私思えないの」
周吉「だけどそれは違う。そんなもんじゃないさ」
紀子「……」
周吉「お父さんは、もう五十六だ。お父さんの人生はもう終わりに近いんだよ。だけどお前達はこれからだ。これからようやく新しい人生が始まるんだよ。つまり佐竹君と二人で作り上げていくんだよ。お父さんには関係のないことなんだ。それが人間生活の、歴史の順序というものなんだよ」
紀子「……」
周吉「そりゃあ結婚したって、初めから幸せじゃないかもしれないさ。結婚していきなり幸せになれるという考えかたが、むしろ間違っているんだよ。幸せは待っているものじゃなくて、やっぱり、自分達で作り出すものなんだよ。結婚することが幸せなんじゃないんだ。新しい夫婦が新しい一つの人生を作り上げていくことに、幸せがあるんだよ。一年かかるか二年かかるか、五年先か十年先か、つとめて初めて幸せが生まれるんだよ。それでこそ初めて、本当の夫婦になれるんだよ。お前のお母さんだって、初めから幸せじゃあなかったんだ。長い間にはいろんなことがあった。台所の隅っこで泣いているのを、お父さん幾度も見たことがある。でもお母さん、よく辛抱してくれたんだよ」
紀子「……」
周吉「お互いに信頼するんだ。お互いに愛情を持つんだ。お前が今までお父さんに持っててくれたようなあったかい心を、今度は佐竹君に持つんだよ。いいね?」
紀子「……」
周吉「そこにお前の、本当に新しい幸せが生まれてくるんだよ。分かってくれるね」
紀子「……」
周吉「分かってくれたね?」
紀子「ええ。我がまま言ってすみませんでした」
周吉「そうかい。分かってくれたかい」
紀子「本当に我がまま言って」
周吉「いやあ、分かってくれて良かったよ」


『晩春』の名場面がレコードで聴くと退屈になってしまう

本盤の解説は、この周吉の長いセリフについて、
「小津安二郎の人生観のエッセンスがこめられている、といっていいだろう」
と書いている。

ナルホド、といったんは思う。しかし、予想外の引っ掛かりもここで生まれる。
確かに結婚、人生について訥々と語る素晴らしい言葉ではあるのだが、レコードだけで聴く場合、明らかに弾まない。『長屋紳士録』の世間話には落語レコードに通じる快楽があるのに、『晩春』では政治家の演説レコードに近い、ちょっとがんばって聴かなきゃ感が出てくる。
端的に言って、『晩春』の周吉のセリフはサウンドとしても内容も退屈なのだ。

さあ僕は今、BFI(英国映画協会)の2012年選定〈批評家が選ぶ史上最高の映画〉で第15位に入った映画のクライマックスのセリフを、退屈と言ってしまいましたよ。ちゃんと説明しなきゃ。

まず、セリフの内実が紋切り型であること。
結婚=お嫁入り=女性が苦労するもの、という考え方がベースなのは今では通用しない。戦後まもなくの映画なので、その点の風化は否めない。
しかし一方で、周吉は「結婚は二人で作り上げていくもの」と強調し、今後は男女が同格の時代になっていくべきことを示唆してもいる。だから全体には、まるっきり古くなっているわけではない。

検討したいのは、小津・野田コンビがこのセリフを書いた時、
自分達の人生観・幸福感を、周吉の言葉に積極的に反映させたのか。
それとも、周吉という平均的な良識と常識を持つ日本人ならばこう説くだろうと醒めた眼で考えたのか。つまり、計算ずくで面白味のないセリフを書いたのか。
どっちの比重が大きかったか、だ。

僕は今のところ、後者だと考えている。
『晩春』の場合、周吉は男手一つで育ててきた美しい娘・紀子を手放したくはない。しかし、行き遅れになって後ろ指を指される存在にも決してさせたくはない。本心と社会通念との間に葛藤があり、それが上記のような、立派な、だが本音を隠した建前の結婚観になる。
紀子が嫁いだ後、一人きりになった寂しさを噛み締める周吉の姿で映画が終わることで、立派な建前が一種の断念であったと分かる。
(1949年公開の映画なのを考えると、娘の結婚がハッピーエンドにはならない場合もある、と遠回しにでも示しているのはおそろしく早くて鋭い。一時期、『晩春』の父娘の関係に近親相姦の影を汲み取る読み方が注目されたが、そこまで穿つまでもなく、愛の終わりを描いた映画なのは確かだ)

しかし、問題は『晩春』だけではない。
『東京物語』では、母の葬儀が終わるとすぐそれぞれの居場所に帰る兄や姉の冷淡さに怒りを覚える末娘の京子を、義姉の紀子がやんわりと諭す。

紀子「だけどねえ京子さん、あたしもあなたぐらいの時には、そう思ってたのよ。でも子供って、大きくなると、だんだん親から離れていくものじゃないかしら。……(中略)……誰だってみんな自分の生活が一番大事になってくるのよ」


『晩春』の紀子と『東京物語』の紀子は全く別の登場人物だが、同じ原節子が演じていることで、明らかに小津・野田コンビは両者を連環させている。
そして、父親・周吉の立派な結婚観/紋切り型の社会通念を黙って聞いた紀子が、今度は義妹に同じような、諦めをうながす話を授けることになり、同じように聴いていて退屈を誘う。
小津安二郎の人生感・輪廻感においては、退屈な話さえが家族の間でバトンタッチされていく。

▼PAGE4  小津映画における沈黙のルール につづく