「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第33回 『小津安二郎の世界』

小津映画における沈黙のルール

小津の戦後の映画にはこのように、快いリズムとともに進んでおいて、クライマックスになると「世の中そんなものだよ」式の建前/断念の人生観が開陳され、相手が諦めたように口を噤むと、それを合図にして終盤に入る場合が多い。法則に近いものがある。

セリフをサウンドとして聴くことにこだわった場合、相手が口を噤む点が重要だ。
もう一度、『晩春』の周吉と紀子の会話を聴き直すと、黙って周吉の話を聞いていた紀子がやっと口を開いて出した言葉、「我がまま言ってすみませんでした」には、幻滅が含まれて聴こえてくることに驚かされる。
この人には私の気持ちは分からない。これ以上話してもムダ……そんな時は「すみませんでした」としか言いようがない。誰でも実生活で経験していることだ。


噺家が上手・下手の交互に顔を向け、複数役を演じ分けながら話す落語は、原則、会話をする相手がいるシチュエーションを基に進行する。小津映画もそうで、典型的に言えば、
「そうよ」
「そうかい」
「あたりまえよ」
「いやあ」
という言葉のたびに律儀にカットを切り返すことで、〈小津調〉は成立している。
だから、相手が黙ってしまえば、たちどころに〈小津調〉は崩れ、どんなに意味のない言葉のキャッチボールですら軽快に耳を喜ばせてくれてきたリズムが死ぬ。

面白い映画、良い映画というのは大抵の場合、緩急を繰り返しながら葛藤を高め、激しい衝突のリズム(アクションやディスカッション)とともにクライマックスを迎える。他ならぬ野田高梧が『シナリオ構造論』(1952—1979改版 宝文館出版)に書いている分析だ。
ところが。戦後の小津映画の多くは、紋切り型のお説教に対して相手が黙るという、残酷なほど明快なディスコミュニケーションの図が露わになるのを合図に、関係の解体が促進される。

沈黙によって〈小津調〉が崩れ、リズムが死ぬ時がクライマックス。今回、レコードのみで〈小津映画を聴く〉作業をしたことで、僕自身、初めて気付いた。
そんな法則を持つ小津映画の構造は、映画のセオリーからするとかなり奇妙で異常だ。でも、生物学的には(リズムを心臓の鼓動と考えれば)、おそろしく理にかなっているとも言えるのだ。

小津安二郎の映画はフシギで、どんな映画作家よりも画面のスタイルを模倣しやすい。なのに未だに、誰も後継者になれていない。その謎のヒントはもしかしたら、画面のルールやセリフのテキスト上の意味以外の場所に眠っているのではないか。
だから僕は、本盤はとても良い内容だと思うし、実際よく聴いたけれど、”小津安二郎の世界”に迫れているかどうかに関しては、少し弱いという結論にならざるを得ない。
主人公の立派な人生観=小津の人生観と捉えて讃えることに疑いのない態度には、小津映画そのものがキュウクツでいるのを感じてしまうからだ。


一方で、当時の日本の映画批評の基本だったテーマ主義の限界について改めて考えることができたのは良かった。ありがとうございました。
テーマ主義によってオミットされる細部の豊かさ、両義的な情報量にもっと目を凝らせ、と挑発するように登場し、小津の評価に一大変化を与えたのが蓮實重彦の『監督 小津安二郎』(1983-1992 ちくま学芸文庫)なんだけど……ここからは、ちゃんと映画を見なければできない話になる。

盤情報

『小津安二郎の世界』
ビクター
1972


若木康輔(わかき・こうすけ)
1968年北海道生まれ。フリーランスの番組・ビデオの構成作家、ライター。
自分史上ほぼ初めて、小津安二郎について書きました。感想はまあ……1日体験教室に行ってきましたレベル、ですね。凝り出すと大変なことになる映画監督だと思います。
〈説教と沈黙〉については補足が必要で、世代が違う場合は逆に微笑ましくなることが多い。ポンポン叱る大人とブスッと黙る子どもの姿は、小津映画の陽性の特長だったりします。なぜ大人同士だとディスコミュニケーションのサインになってしまうのか、さらに吟味はしたくなります。
それにゴソッと割愛したのは、証言する俳優の豪華さ。凄い人達のエロキューションを次から次と楽しめる、〈ザッツ・エンタテインメントのサントラの小津版〉な側面も持つレコードです。
なにしろ、不定期連載にも程があるほど間が空きました。もうちょい、がんばります。