【Review】ふたつの『異端の鳥』がもとめた普遍 text 菊井崇史

 映画『異端の鳥』が結実するまでの道のりはけわしいものだったと監督ヴァーツラフ・マルホウルはふりかえっている。十七ヴァージョンのシナリオを書き、困難な資金調達等を忍耐づよくのりこえ、撮影には二年を要し、ついに十年以上の歳月をかけて本作の完成にこぎつけることができたのは、原作への使命のごときおもいに支えられたからだ、彼は制作の過程をそのように告げる。一九六五年に刊行されたイェジー・コシンスキ著の小説『The Painted Bird』(邦訳は松籟社刊『ペインティッド・バード』西成彦訳、角川書店刊『異端の鳥』青木日出夫訳で読むことができる)を手にし、「これは私が撮影しなければ」と決した彼は、確固たる意志と丹念に練られた形式をもって本作を完成させた。彼が原作に突き動かされた理由をしるには、その小説の内容とともに同作品が出版後いかに受けとめられてきたのかを辿ることで明らかとなることがある。いわくつきともいわれる小説と作家が経験した一連の出来事は、本作を観るにあたり、事前のあるいは事後の情報として映画鑑賞経験を阻害するものではなく、映画の内実を考える契機にもなると思われるのだ。

 第二次大戦中、ナチスのホロコーストから逃れるため子の安全を願った両親によって東ヨーロッパの村に疎開させられた一人の少年が、髪や瞳の色の差異から行く先々の共同体に異者として狩りたてられ、打たれ、暴力をくわえられ、村から村へとうつろい、そのはかりがたい受難の経験を「ぼく」という一人称でつむいだ『The Painted Bird』は、おおきな讃辞と誹謗の双を浴びせられた小説だった。エリ・ヴィーゼルらに熱く受けいれられた一方、描写のありようがポルノグラフィーだとも非難され、賛否のふり幅をおおきく読まれた同作が、ある種のスキャンダラスな言説の俎上にあげられた理由のひとつは、小説にのこされた伝記性のいかんにかかわっていた。映画で言うならばドキュメンタリーかフィクションかというジャンル的な選別と同型の問いが、当時の政治体制の力学とからみあい、小説にたいして向けられたのだ。

 作家コシンスキは一九三三年生まれ、ポーランド出身である。戦争期を過ごした国に二度と足を踏みいれまいと決し、彼は一九五七年、二四歳でアメリカへ亡命をとげる。その後、彼は『The Painted Bird』を母語ではなく、英語で書きあげた。彼自身の作品の意図をおくとしても、ホロコースト文学にカテゴライズされもした同作が英語で書きおろされたという事実はそれ自体で、ちいさくはない波紋をひろげた。当時多くの場合、ホロコースト文学が英語圏に迎えいれられるときには翻訳のかたちをとり、その意味でもホロコーストの現実と英語圏との間には距離があったのだと、『ペインティッド・バード』の訳者西成彦は、同書の解題でおしえている。ポーランドのユダヤ人家庭に生まれ、第二次大戦がはじまるとポーランド人らしいイェジー・コシンスキと名乗るようになり、終戦を経て亡命したという出自、経歴とあいまって、小説上の「ぼく」にどれだけ作者の具体的な経験が反映されているのか、その自伝的要素の所在がもとめられ、そこに作品の意義を見出そうとするバイアスが働いていたとおもわれる。小説がもつ体裁、さらにそれが発表された状況下に、作品の、作家の位置が問われたのだ。『The Painted Bird』は東西冷戦の布置において、西側の反ソ連の立場をとるメディアは、作者がロシア兵を肯定的に描いており東ヨーロッパにおけるソ連の動向を正当化するプロパガンダと非難し、かたや東側では反東欧キャンペーンの急先鋒と反対キャンペーンを開始し、それぞれのコンテクストの都合にあわせるように位置づけられ、批判された。コシンスキの母国ではながらく禁書とされていたが、冷戦終結にともない翻訳がなされると、彼の一家をしるという証人が次々にあらわれ、小説と現実の差異を訴えた。戦時の暴力、すなわち、誰が誰にどのようになされてしまったのかの見直しが迫られた時期でもあった。結果、ポーランドに暮らしていたコシンスキの母にまで危害がおよぶまでに小説は攻撃の対象とされた。後年、コシンスキは『The Painted Bird』がこうむった出来事の数々が、まさに同書のタイトルにもつうずる主題と同じ運命にかたどられてしまったと悲しみをもって述懐している。

 作中、少年は鳥売りの男に出あう。男は捕まえた小鳥にペンキで色を塗り空に放つ。鳥の群れは色を塗られた小鳥を異質のものとして攻撃し、小鳥は傷つき、墜落する。コシンスキは、群れから異端と見なされ殺された鳥に、少年の厳しい経験をこめ、そして小説そのものが、鳥や少年のしいられた境遇にかさなるのだと吐露したのだ。作家の出自や亡命後のふるまいを作品に塗りこめるに似て、言うなれば『The Painted Bird』はペインティッド・ブックとなった。この出来事を踏まえ、ヴァーツラフ・マルホウル監督が渾身の決意に映画化を試みた『ペインティッド・バード』は、あらためて小説そのものとむきあうことで原作を救おうとしたのではないか、そう思わせられる。彼は本作を戦争映画やホロコースト映画ではなく、時代状況に限定されない普遍的な物語だと述べた。それは、ノンフィクションではなく小説という方法を選び、大戦中に東ヨーロッパで見られた残忍を残酷を誇張することなく、「小説の設定もまた、神話の領域におくことに決めた。特定の時間に限定されない、フィクション上の現在に設定し、地理的にも歴史的条件にも限定されないようにする」とも「この小説の生は、私自身の生とは独立したものとしてあるべきだ」とも告げた原作者の意図にもつうずるものだ。色眼鏡を外すという表現のごとく、人はさまざまなかたちでさまざまなものに先入観や価値観という色を塗りものごとを見ている。原作小説でも人々が象徴的に人に色づけするさまは、少年や鳥以外にも描かれている。人は他者に色を塗るだけでなく、自身に色を塗ることもあるだろう。ユダヤ人家庭に生まれた作者が、イェジー・コシンスキと名乗るようになったことも、身を護るために自身に色を塗ったのだということもできる。人は色をつけ、色わけし、色に同化し、色に乖離あるものを弾くことがある。コシンスキが戦時にかかわる見地から、小説に刻みつけようとした出来事のひとつは、人が人に色づけし暴力をふるう惨忍だ。悪意、敵意、欲望に憑かれた歯どめのきかない暴力の悲しみだ。確かに本作で描かれる少年の、鳥の経緯は個別の経験だ。小説が発表されることで受けた作品作者の経験も個別のものだ。しかし、それは特殊なものとは言い難い。かつても今もどこにでも、異端はつくられ排される。彼らは現実に渦まく惨忍と悲しみに物語を仮構し、出来事の内側から出来事に抵抗しているのだ。

 本作はモノクロ・フィルムで撮影され、配されたキャメラの位置、フレーミング、動き、テンポの機微等で丹念に物語をつむぐ。それらの方法は、少年が見て経験する暴力行為を重く反映する感情の余地を与えるための選択だったと監督は言う。人の世の営為にこもる悪やカタストロフを美的に描いているのではない。モノクロの光景は幾多の言説を塗りたぐられた原作にアンペインティッドな状態でむきあうまなざしであるかにもうつる。映画化が原作にほどこした方法的選択は、話法にもあらわれている。「ぼく」の語りにつむがれる原作にたいし、映画では内的な独白や説明的なナレーションをつかわず、ストーリーテーリングのスタイルは口語的ではないと監督は告げている。原作が書かれた英語で映画を撮ると信頼性がうしなわれるとし、さらに、この物語に東ヨーロッパの実在する国民的アイデンティティをもたせないため人工言語スラヴィック・エスペラント語を採用している。これら一つ一つの選択に映画の姿勢を見ることができる。その姿勢を耐えながら「普遍的な物語」をつかみだすべく、映画は原作に対峙している。

 映画のなかで、人が人を見るまなざしは、ときに情調を読みとれないほどにつめたく、ときに情調を逸脱するほどに烈しい。そのようなまなざしがゆきかう壮絶の極だけでなく、少年は人が人であること多方位なまなざしにふれながら、彼自身のまなざしを宿し、彼が生きるかぎりの世界を見つめる。ヴァーツラフ・マルホウルは小説という仮構と映画という仮構の差異を自覚しながら、原作に結晶された「フィクション上の現在」を凝視し、結晶をさらに結晶するごとく『ペインティッド・バード』をなしているのだ。

*本稿における原作者イェジー・コシンスキの発言は、『ペインティッド・バード』(松籟社、西成彦訳)、『異端の鳥』(角川書店、青木日出夫訳)、『異郷』(角川書店、青木日出夫訳)を主に参照した。

【映画情報】

『異端の鳥』
(2019年/チェコ、スロバキア、ウクライナ/モノクロ/5.1ch/169分) 

監督・脚本・製作:ヴァーツラフ・マルホウル
撮影:ウラジミール・スムットニー
音響:パヴェル・レイホレツ
衣裳:ヘレナ・ロヴナ
メイクアップ&ヘアーデザイナー:イヴォ・ストラングミュラーイヴォ・ストラングミュラー
出演:ペトル・コトラール/ウド・キアー/レフ・ディブリク/イトカ・チュヴァンチャロヴァー/ステラン・スカルスガルド/ハーヴェイ・カイテル/ジュリアン・サンズ/バリー・ペッパー
原題:The Painted Bird イェジー・コシンスキ著
字幕翻訳:岩辺いずみ
配給:トランスフォーマー

公式ホームページ:http://www.transformer.co.jp/m/itannotori/

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10月9日(金)より、TOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー!


【執筆者プロフィール】

菊井崇史(きくい・たかし)
大阪生まれ。2018年に『ゆきはての月日をわかつ伝書臨』『遙かなる光郷ヘノ黙示』(書肆子午線)の二冊の詩集を刊行。 neoneo誌のレイアウトにも参加する。