原一男監督と島野千尋プロデューサー
2019年夏の参議院選挙に立候補した安冨歩氏(東京大学教授)をはじめとする「れいわ新選組」のメンバーを追った原一男の新作ドキュメンタリー『れいわ一揆』が、全国で公開されている。コロナ禍で公開が延びたうえ、その間にもメンバーの離脱や党首・山本太郎の都知事選出馬など、何かと話題の「れいわ新選組」の動向とセットで語られる事の多い本作だが、ドキュメンタリーの鬼才として『極私的エロス・恋歌1974』(1974)や『ゆきゆきて、神軍』(1987)などの傑作を残してきた原一男の新作としてとらえると、わずか17日間での撮影や、これまでの「疾走プロダクション」とは異なる「風狂映画舎」からの配給など、様々な新たなチャレンジが見受けられるのだ。
撮影手法や、他の作品とも通底するテーマなど、“原一男作品”としての側面を中心に、原一男監督と、スタッフから今回初めてプロデューサーとなった島野千尋さんにも登場してもらい、お話をうかがった。
(採録・構成:佐藤寛朗)
安冨歩さんと出会うきっかけ
――そもそも、原監督6本目のドキュメンタリー映画に安冨歩さんを取りあげたきっかけは、どういうものだったのですか。
原 題材として選挙を撮ってみたい気持ちは、もともと持っていたんだよ。別に想田和弘の『選挙』に影響を受けたわけでは無いんだが…。最初は2018年に「ネットde CINEMA塾」(原一男監督が不定期で配信しているオンラインのトーク番組)に、いわゆる泡沫候補を追ったノンフィクション書籍「黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い」の著者・畠山理仁さんをゲストに呼んで「だれか面白い人はいませんか」と聞いたら、安冨歩さんを紹介してくれたんだ。
島野 「ネットde CINEMA塾」は、当初、映画監督をゲストに呼んでいたんですが、映画以外の人をやる手もあるのかな、と思った時に、畠山さんがTwitterで原さんの『ゆきゆきて、神軍』に触れて下さったこともあって、「黙殺」のいきさつを語りに来ていただいたんです、その時ちょうど畠山さん2018年7月の東松山市長選挙に出馬した安冨さんを追っていて。私は東松山市に住んでいたことがあったから、なぜ女性の恰好をした東大の先生があの場所で選挙に出るんだろう? と不思議に思っていました。同じ頃、期せずして原さんにも女装ブームがあって、末井昭さん原作の『素敵なダイナマイトスキャンダル』(2018)の取材で原さんが女装をするような流れの中で、安冨さんの話が出てきたんですよ。私の興味と原さんの興味の系譜が重なって、面白そうだ、ということで、安富さんに「ネットde CINEMA塾」に出演していただいたんですね。
原 「ネットde CINEMA塾」でいろいろ話を聞いた時に、俺のほうから「次の選挙に出るつもりはありますか」と言ったら、安冨さんは「無い」と答えたんだ。「じゃあもし、次に選挙をやることがあったら教えて下さい。全部撮りたいと思います」と言ったら「映画に出るために選挙に出るのもいいですねえ、ハハハ」とおっしゃった。その記憶が1年後に甦ったのか、安冨さんの方から「「れいわ新選組」から選挙に出ますんで、ぜひ撮ってください」という連絡が来たんだよ。
――では、撮影の依頼は、安冨さんの方からあったのですね。
原 ちょうど昨年(2019年)の6月に、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で原一男特集が組まれて『ゆきゆきて、神軍』を上映したとき、ゲストにマイケル・ムーア(注1)を呼んだんだよ。それが共同通信のニュースになったのを安冨さんが見たんだって。それまで彼女は俺の映画を観たことが無くて、原さんが何者かという情報は知らなかったんだが、世界的に有名なマイケル・ムーアが駆け付けるぐらいだから、原さんも有名な映画監督なんだ、と思ったそうな。それで1年前に「ネットde CINEMA塾」で話をしたことを思い出して、あまり時間を追わないタイミングで、山本太郎から出馬の要請があって、6月17日だったかな、まだニューヨークにいた私たちのところに連絡が来たと。
島野 最初に安冨さんから連絡を受けたのは私です。ロバート・フラハティ・セミナー(注2)に参加している時に、どの党からどの選挙に出馬するかもなく、ただ「選挙に出ます」と連絡が来ました。「れいわ新選組」の存在は、その時はまだ、名前をラジオで耳にしたぐらいの認識でした。
ロバート・フラハティー・セミナーでは、映画と政治に関する議論がたくさんありましたが、そのディスカッションの結論が、私の納得のいくものでは無かったんです。「政治へのアクションとは選挙やデモに行くことであって、映画で政治を描くことではない」と発言した監督がいて、「そうだよね」みたいな意見が多数を占めた。私はどんな生き方だって、どんな行動だって政治的な振る舞いになり得る、と思っていたから、だったら正面きって政治を描いた作品を作ってやろうという思いが沸々と涌いて、日本に帰ったら、原さんに「もっとストレートに政治を扱う作品を撮りましょうよ」と言おうと思っていたんです。そのタイミングで安富さんから連絡があったから、私の方がむしろやりたがったんです。
前作『ニッポン国VS泉南石綿村』(2017)が、観た人には面白いと言われても、今ひとつ観客が広がらなかった事のショックも大きくて、その理由を突き詰めずに『水俣曼荼羅』(2021年公開予定)に行くよりも、これから起きる“日本の民主主義”のありようを描くことを橋渡し的にやってみたい気持ちになりました。ただし『水俣曼荼羅』の編集が大詰めを迎えている段階で、ふだん疾走プロ(原一男のプロダクション)のプロデューサーである小林(佐智子)さんに頼ることはできない。それだけが大きなハードルでした。おカネのこともネックでしたが、原さんに撮ってもらうことが大事だと思って、苦労はしたけど忘れることにしました。
――なるほど、それで島野さんがプロデュースを担当されたのですね。原監督の中では、安冨さん撮ることは即断即決でしたか。
原 私の場合、撮り始める時に理詰めで考えることはあまり無くて、ほとんどがノリなんです。安冨さんと1年前に会って、やろうやろうと言い出して、向こうが「本当に撮ってくれますか?」というから、ハイ、と言わざるを得なかった。これが正直なところだよ。私が言いだしたことだし、ましてや「原さんが映画に撮ってくれるなら、選挙に立候補するのをOKします」という話だったからね。言い出しっぺが火をつけて、いざ言ってきたら断るなんてことはできないから、決断までは短いよね。よしわかった、やろうって。
――その時点で、山本太郎や「れいわ新選組」の主張は聞いていましたか。
原 いや、その時点では全く聞いていない。日本に帰った翌日、牧場にいた安冨さんに会いに行って、その夜、安冨さんの家に行ったところからカメラを回そうと思っていた。さあ、ここからが出番だという思いが俺の中であって、まずは(撮影の)仁義を切るところから始めましょうということで、山本太郎さんと電話で繋いでもらったんだよ。私が党首の山本太郎さんと話をしたのは、あの電話の会話が最初で最後なんです。
『れいわ一揆』©︎風狂映画舎
(注1)マイケル・ムーア (1954-)アメリカのドキュメンタリー映像作家。代表作に『ロジャー&ミー』(1989)『ボーリング・フォー・コロンバイン』(2002)など。アポなしの突撃取材をする事で日本でも有名。原一男の『ゆきゆきて、神軍』を「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と評価している。
(注2)ロバート・フラハティ・セミナー ドキュメンタリーの始祖、ロバート・フラハティの名を冠して1960年から毎年行われている、北米最大のドキュメンタリー映画セミナー。日本からはこれまで土本典昭、河瀬直美、原一男らが参加している。