【Interview】 「言葉の映画」を撮る『れいわ一揆』原一男(監督)×島野千尋(プロデューサー)

『れいわ一揆』©︎風狂映画舎

「言葉を撮る」映画

 ――撮影方法や体制についても、お聞きしたいと思っています。選挙って短期決戦じゃないですか。『ニッポン国VS泉南石綿村』を8年、を『水俣曼荼羅』を16年かけて作ってきた中で、短期決戦をどう乗り切るかということに関して、不安や葛藤はありませんでしたか。

原 17日間しかない、というのは、自分の映画作りにかける時間としては、かつてない短さなんだよ。そんな短期間で鑑賞に耐えうる作品ができるのか。どう撮ろうか、いろいろと考えたよ。これまで作ってきた5本の映画は、長時間かけて人間の感情の変化を追うことでドラマチックに仕上げてきたから、そのやり方にはある程度自信があったけれども、短期間でやるのは初めてで、どうすりゃいいんだ、という悩みは大きかったんです。

ひとつ考えたのは、選挙というのは、候補者が有権者に向かって言葉、つまり公約を伝え、投票行動を促す言葉を発する場である、と。俺に与えられた条件は、その場を記録することだ、と。その条件を変化球ではなくて直球勝負でやる。いつだって俺たちは直球で作品を作ってきたから、今回も直球勝負でやるんだと自分自身を納得させたわけだよ。逃げずに「言葉を撮る」、それが勝負だ、と思った。その決心の裏側には、言葉に対する及び腰みたいなものが今まで自分の中にあったと思うんだよ。若い頃、小川プロ(注3)の作品をよく観にいったんだが、例えば『三里塚・辺田部落』(1973)なんかを観ると、青年行動隊が夜中に裸電球の下でぼそぼそ会話をしているシーンが延々と続くじゃない。そうすると、だいたい私は眠くなるんだよ。終わった後で、また寝ちゃった!と苦々しく思うわけ。しみじみ自分は知的じゃないんだなあと、ほんとにそう思っていたんだよ。

だから、いざ自分の映画を撮る時には、観客が眠くなるような映像は絶対に撮らない!と言い聞かせて「アクションドキュメンタリーを撮る」と言ったんだ。実際には1作目の『さようならCP』(1972)からそこそこセリフがあって、一本作るごとにだんだんセリフが多くなっていくのが、採録シナリオを見たらわかるわけ。なんだよ、「アクションドキュメンタリー」と言いながら言葉が延々と続くじゃん、って。そこを開き直るといいながら、開き直り切れないジレンマをずっと抱えていたんだ。

今回はもろに「言葉」だと。言葉を真正面から受け止めて、逃げちゃいけないと自分に叱咤激励する。そんな前提があって撮り始めていく。基本的には島野君と2カメで、大勢のところではCカメ、Dカメを出して、現場では欲を出して、可能な限りたくさんの材料を撮っておく。「れいわ祭り」のような有権者や候補者が集まる場も、安冨さん個人に密着する場も、丸ごと言葉を撮っていたら、ビデオが回った時間は700時間、延べでは1000時間を超えていたんだって。それは後半、手伝いにきてくれた人がiPhoneでも回してくれた素材も含めてなんだけど、水俣が15年間で800時間だから、同じぐらい回したわけ。もちろん、それぞれの候補者の生活に入り込んで、生活史や内面を掘り下げる方法論も可能ではあったんだが「選挙の現場で言葉を撮るんだ」と覚悟を決めたら、その方法論は自然に捨てていたんだよね。

――「言葉を撮る」と言いながら、選挙自体はアクションなので、安冨さんを始め、各候補の躍動が記録されていますね。もうひとつ、この映画の特徴は、安冨さんをメインに追いながらも「れいわ新選組」メンバーの群像劇になっているところです。立候補者のみなさんと出会ったのは、どのタイミングですか。

 原 冒頭で、山本太郎代表に電話で撮影のお願いをした時に、「安冨さんを撮るんでしょ?」と言うから、「いや、みなさんを撮りたいです。ある種群像劇みたいなものをイメージしていますんで、よろしくお願いしますね」と、とっさに口に出したシーンがあったよね。映画というのは、基本的に主役がいて脇役がいて敵役がいて、いろんな人が出てくる中で醸し出す人間ドラマこそ面白いと、頭に叩き込まれてきたからね。『ゆきゆきて、神軍』の奥崎さんみたいな、強烈な個人の映画を作っていても、対決する元兵士が次から次へと出てくる。あれだって、いってみれば群像なんだよ。「れいわ新選組」は立候補者が10人だったから、ごく自然に10人が10人を全部撮りたい気持ちになって、それで山本太郎に「みなさんも撮らせてもらいたい」と言ったんだ。

――10人の立候補者が面白くなりそうな予感は、出会った時からあったのですか。

島野 正直いうと、私はあまりなかった。皆さん普通の、市井の人だから。例えばもともと選挙に出るような二世議員だったら演技性が働くと思うけど、急に呼ばれた人が果たして変われるのか? と、そこは疑問でした。私個人は「れいわ新選組」に対しては否定も肯定の気持ちもなくて、政策や主張がどうこうと言うよりも、選挙戦の中で候補者が変わっていくことが映画としては重要かな、と思っていました。いちばん最初に安冨さんに会ったときに「選挙は人を変えるものだ」と思って、たった17日間で、特に安冨さんが変われるだろうかという不安の方が大きかったです。政治家としてガチではない人が選挙に出たら、どういう化学反応を起こすのか? 恐らくボロボロになるだろうとは思ったけど、そのボロボロが、文化祭的な青春活劇の方に転がったら面白くなるのかな、という予感はありました。実際、甲子園に行くとか文化祭をするようなノリの選挙戦になっていった感じは、途中から強くなりましたね。

 山本太郎が選んだ顔ぶれが絶妙だったんだよ。その後に辞めた人もいるから、オリジナルメンバーという言い方を今はしているんだけれども、大西恒樹(元金融為替ディーラー)さん、三井義文(元コンビニオーナー)さん、辻村ちひろ(環境活動家)さん…いろいろいるじゃんか。その選択が良かったんだと、素直にそう思うの。山本太郎という人の演出だよね。当事者を国会に送るというアイデアの持つセンスが抜群によかったんだろうなあって。カメラを回せば回すほどに、その人の主張が今後どうなるんだろうって興味をかき立てられて、回していて飽きなかったからねえ。

――当選した舩後靖彦さんや木村英子さんをはじめ、照ちゃん(渡辺照子さん)や創価学会員の野原(善正)さんなど、映画で観ていても本当に個性的なメンバーでした。

 率直にいえば、過剰な演技意識を持っていると知りながらカメラを回すのは、そんなに楽しいもんじゃないんだよ。奥崎さんはカメラを意識して、せきを切ったようにしゃべるけど、その言葉は自己PRの部分がかなりあって、むしろ苦痛な感じがしたわけ。だけど、安冨さんは言葉が非常に理知的で、聞いていて非常に理解しやすいし、ほかの人も言葉を聞きながら、カメラを回すのが心地よかったんだよ。そんな経験は50年間で初めてだった。それぐらい、彼らの言葉を聞いているのが楽しかったんだよね。
『れいわ一揆』©︎風狂映画舎

――
確かに「子供を守ろう!」など、安冨さんの言葉はキャッチーだし、彼女の魅力は、この取材で改めて言及するまでもなく映画に描かれていると思いました。原監督にとっては、彼女の言葉はどうして気持ち良く聞こえたのでしょうか。

 ひとつには、安冨さんが自分で自分を追い込んでいく役割を、自分自身に持たせていたからではないかな。はじめは17日ぐらいで人間は変わるはずがないだろうと思っていたけれども、安冨さんを撮影する、象徴的な意味で「カメラを向ける」という行為が、ある種のプレッシャーとなって彼女の内面を追い込んでいったと理解しているんだよ。それはドキュメンタリーの持つ本質的なエネルギーだと思うんだけど、へえ、そういうものなんだ、面白いなあって、改めて俺自身が驚いているんだよ。

私が意図的に強いたものじゃないから、安冨さんが自覚的に自分を追い込んだかどうかが問題だが、恐らくは無意識のうちに追い込んでいったというの? 安冨さんの表現行為には、絶えず原点となる母親との関係の問題がずっとあったと思うんだよ。人間って、原点へ原点へと何かを追い求めていく本能を持っていて、安冨さんもまたそういうものを持っていたんじゃないかな。お母さんとの関係なんて意図的に狙おうと思っていったわけじゃないし、安冨さん自身も、映画の中でそれを明らかにする意図は全くなかったのに、堺東という、安冨さんにとって故郷ともいえる場所に立った時に号泣したわけだから。表だっては描かれてはいないけど、あの涙の背後にあるのは母親との過酷な親子関係にあると俺は理解していて、彼女のトークに少しでも触れていればそれがわかるわけだから。やっぱり、無意識の衝動だったと俺は思うねえ。

――旭川、銀座、沖縄、由布院、京都、大阪…と、安冨さんが選挙戦で訪ねた場所は、彼のチョイスが色濃く反映された感じがありました。馬を連れているせいもあるんですが、撮影隊はそのままついていく感じだったんですか。

 選挙に出ることで、候補者自身がアクティブに動いていくわけだから、こちらが何かを提案する必要は全く無い。安冨さんが動いていった先々で何が起きたかを記録する映画だったと思う。

島野 立候補の時点では、安冨さんは比例全国区か、東京選挙区で出馬するのか分からなかったんです。その時点で安冨さんに「全国区になったらどこに行きたいですか?」と聞いたら「故郷に錦を飾るとか、ルーツを歩くという発想はあり得ません。それとは縁遠い生き方をしています」とハッキリ言われたんです。周りの選挙スタッフさんとも「そうだよね、愚問だよね」って会話をしていたから、京都大学や堺市に行って、ひとり安冨さんだけが出身地の大阪で最終日を迎える展開は、正直こちらの予想を超えていました。

――一方で、サクセスストーリーでは語れない部分もありますよね。政治の壁の現実という意味では、安冨さんにしても得票数でいったら8632票です。そこに対してはどう考えていますか。

 そうだよな、決して多くはないよな。実は、選挙の後半になって、候補者の人たちに「当選すると思いますか?」とわかりやすく質問したのよ。れいわ新選組に対して予想外に多くの支持が集まって、当選するかもしれない、ということは、世の中が変わることを意味するよね。そういう思いを込めて何人かの候補者に聞いたけど、そんな質問をすること自体が、我々が半信半疑な証拠だよね。中には「変わり始めている」と答えた人もいたけど、こちらはより客観的な立場だから、半信半疑の気持ちを持ったまま開票日に結果が明らかになった。そこには現実として、世の中そう簡単には変わらないと思える部分と、100万票近い票の数を集めたわけだから変わった、と思える部分の両面があるわけだから、候補者が真逆の総括をするように、作り手にも両方の気持ちがあるわけ。だからこそ「今後どうするのか」という課題につながっていくわけで。これはもう、その揺らぎ自体を、スリリングな要素として記録していくしかないと思ったな。

島野 昔、韓流雑誌の編集をやっていたとき、中にいる時は盛り上がっているけど、外に出たらまったく流行の風は吹いていない、というのを嫌になる程経験したから、ブームってそういうもので、れいわもブームかな、と覚めた気持ちは撮影中常にありました。実際にテレビで「れいわ新選組」の報道はほとんど無かったですし。その視線を持ちながら、映画を始める時に原さんと話したのは、日本にも香港のデモのような、市民革命の芽のようなものが現れるだろうかと。日本ではあんな大きなパワーを持つものは起こるはずが無いけど、変わるかもしれない、その萌芽の部分は撮れるかもしれないね、と。そこは撮り始めた大きな動機だったし、ブームの中でも少しでも変わるかもしれないものがあるなら、立ち会ったことをしっかり撮りたいねと。冷静さと、ブームの渦中に足を突っ込む熱狂と両方あったけど、やっぱり冷静にはなりきれなかったかな。

――選挙後の候補者たちに、ある種熱気から離れたところでしていたインタビューが印象に残りました。どのような意図で取材に行かれたのですか。

 現場の映像だけでは終われないと思ったからだよ。選挙に出てどうだったのか、もう一回、場所も時間も切り離されたところで、改めて総括をしてもらいたいと考えたからじゃない? あれは、本当は選挙が終わってすぐ行きたかった。でもおカネがなくて、2ヵ月経ってじゃあ行こう、という話になったんだよ。結果としてそのタイミングでよかった実感があるから、映画って面白いものだよね。
『れいわ一揆』©︎風狂映画舎

▼Page3  編集で込めたもの に続く


(注3)小川プロ 1960年代後半に結成された小川紳介監督(1935−92)を中心とする映画制作集団。成田空港建設に反対する三里塚の農民を、生活を共にしながら撮影し「三里塚シリーズ」7本を連作。日本やアジアのドキュメンタリーシーンに大きな影響を与えた。