【Interview】 「言葉の映画」を撮る『れいわ一揆』原一男(監督)×島野千尋(プロデューサー)

『れいわ一揆』©︎風狂映画舎

編集で込めたもの

――17日間の撮影体制について、もう少し具体的にお聞きしたいと思います。

 原 私としては、スタッフ体制が2班組めれば、もう一班は安冨さんではなく、ほかの候補のところに行きたかったのよ。だけど本体は私とこの人(島野プロデューサー)しかいなかったから、「れいわ祭り」とか、3回ぐらいあった候補者全員が集まる場で撮った。昼飯のお金を誰がどこで払うの?みたいなことで醜い争いをするぐらい、お金が無かったからな。

島野 「ぎょうざの満州」の入り口で喧嘩しましたよね(笑)。スタッフの話をすると、まず『水俣曼荼羅』が編集中だったから、いつもお願いをするメンバーには頼めない。私はほとんど撮影の経験が無かったから、そこも考えなくちゃいけない。とにかくカメラが大変でした。原さんがAカメ、私がBカメで、後ろで状況を撮っていたら、公安警察と間違えられたり、支持者に不審者として通報されたりしました(笑)。でもそれがSNSで話題になったりしたから、私は素人っぽさを逆手に取って、原さんのこれまでの作り方じゃない体制でやってみようと思って、いつものスタッフじゃない協力者をなるべく呼ぼうとしたんです。「きょう演説をスマホで撮れる人、集合!」といった感じで、日々LINEで募っていました。今回の選挙は、それぐらいのノリじゃないとダメだろうと思って。

――勝手連というか、ゲリラ的な撮影体制ですね。そこは原さんも了承して、腹をくくっていらしたんですか

 まあ、仕方ないよな。どうしようもないもんな。

島野 LINEで撮影者を募りながら、来られない人にはSNSの情報を探ってもらっていました。「れいわ新選組」の10人の候補者はよくも悪くもフリーダムで、期間中、誰がどこで何を言っているのかが全然把握できないんですよ。候補者のひとりで、元コンビニオーナーの三井さんがセブンイレブン本社の前で演説する日は、それこそ映画評論家の町山智浩さんがTwitterでつぶやいていたのをみて、北海道から帰ってきた直後に「原さん!近所だから行こう!」といって駆け付けました。こちらも誰がどこにいるかを探して、みんなの情報で次の撮影戦略を練ったぐらいドタバタだったんです。

――編集も、この映画の大きなポイントだったと思います。基本的には時系列で構成していますが、どのように設計したのですか。

原 とてもオーソドックスなやり方です。まずは頭から最後まで繋げて流れを作る。はじめは確か8時間か9時間にしたはずなんだよ。頭から最後までつなげば、いらない部分が、監督の俺にも、編集のデモ田中さんにもわかってくるわけ。何度か除去作業をしながら、細かい流れや生かせる部分を作っていき、5時間になったときに、ごく自然にデモ田中さんのほうから「できましたよね」「これ以上は落としたくないよなあ」って、お互い言い合って、大きな構成が決まってきた。漠然と3時間半ぐらいかな、と思っていたけど、4時間でいいじゃんって。例えば、ここからさらに2時間すると、より隙の無い構成になっていくでしょう? その理屈はわかるんだが、今回は私がいいなと思った言葉を一つでも多く聞いてほしかったので。4時間になった時に、これ以上落としたくない気持ちが一番強かった。必然性があって、4時間の長さになったと思っています。

島野 編集のデモ田中さんと原さんが組んだのは今回が初めてです。実は、今回は映画として完成させる以前に、開票日にダイジェスト版をWebで見せることが、出資者(ドワンゴ)の条件でした。撮影と編集の同時進行に対応できる、機動力のある編集マンじゃないと難しいと思ったときに、役者として自主映画にも出演されているデモ田中さんのことが思い浮かんだんです。デモさんも本格的なドキュメンタリーを編集されるのは初めてで、まさしく突貫工事だったのですが、丁寧に対応下さって、いざ映画版を作るとなった時に「消化不良なところがあるからやらせて欲しい」とデモさんの方から申し出てくれたんです。

――前作『ニッポン国VS泉南石綿村』でも思ったんですが、あるシーンに対して、キャッチーな言葉だけを拾わず、ある程度長さを持って見せる、凝縮を拒否する姿勢が明確になったのではないでしょうか。

 いやいや、凝縮しての4時間なんだよ。『ゆきゆきて、神軍』の奥崎さんようにカッーとして殴ったり蹴ったりおどかしたりするような、強いエネルギーを持ったシーンは、前後を切っても成り立つんだ。ところが今回の『れいわ一揆』も、『ニッポン国VS泉南石綿村』も『水俣曼荼羅』も、生活者というか普通の人の発言を描く時には、ピークとなる感情は奥崎さんのような人より低いから、その前後を描かないとわからないわけ。ましてや群像劇だから、必然的に長くなるじゃん。整理して、凝縮してこの長さになるんだよ。ディティールを描き込まないと、生活者の人たちの思いは分からない。緩く描かないと伝わらないからではなくて、緩いであろうことを凝縮して、この長さになるんです。

――編集中、監督と編集マンで、議論になったところとはあったんですか。

島野
 普段だったらデモさんがテンポ良く繋いでしまうところに対して、原さんが「聴衆の顔を入れて欲しい」と要求することが多かったです。ふつうなら候補者で見せていくところを、聞いている人の顔を見せて、話し手と観客の対峙を入れたいんだ、と。

 主人公としてのメインキャラクターは安冨さんであって、同時に群像劇的にする、というのもある。でも本当の隠れた主人公は、聴衆や有権者なんじゃないかな。現場でも島野君に、とにかく聞いている人の顔を大量に撮ることを、くどいぐらいに要求したわけ。選挙というのは、受け手がいて初めて成り立つものじゃない? 受け手を描くといっても、ただ黙って聞いている表情のアップ、ということになるわけだが、そこには安冨さんをはじめ話をする人と聞いている人の、言葉にならない気持ちの交流が成立しているはずであって、そこを見せる映画にしたいと、ずっと思っていたからね。

ところが、下手をすりゃ、聞いている人の顔は1回撮ったらもういいやって思うじゃん。表情がそんなに変化するものでも無いからさ。俺なんかは理屈としては、ジッと見つめているうちに、聞いている人の内的な心の動きが出てくるはずだから、そこを撮って欲しい、と思っていたけれど、残念ながら現場ではそういうカメラワークは共有されていなかった。だから編集段階で、聞いている人の面白い表情を何度も探そうと粘って選んだんです。

――編集方針を聞いていると、“原監督の映画”としてのこだわりがみられる一方で、見る人によっては、これは「れいわ新選組」メンバーのプロパガンダ映画だ、と思われるかもしれない、と思いました。そこに対してはどのようにお考えですか。

 「れいわ新選組」メンバーのプロパガンダ映画として捉えられても、俺は一向に構わないと思うんだ。ここまで描いてはじめて、安冨さんや「れいわ新選組」のPR映画に成りうるんだよと言えるから。『ゆきゆきて、神軍』だって奥崎さんのPR映画だ、という人が未だにいる。でも奥崎さんのPRというのは、奥崎さんの魅力を、俺が嫌だと思うネガティブな面も含めて人間の魅力を描いたからだと思うの。『れいわ一揆』は、私自身が全候補者をとても魅力的だと思って撮った映画だから。先日、作家の澤地久枝さんと対談した(注4)時に「今まで私は共産党に入れていたが、この映画を見て「れいわ」に入れようと思った」と言われたんです。それはまさしくPR映画の役割を果たしたってことじゃん。そこは肯定的に考えればいい、ということだよ。

――安冨さんご自身は、この映画をどう評価していらっしゃいましたか。

 安冨さんが音楽の片岡さんと二人で、この映画に対する批評をYouTube上で語っているから、それを見てみればよく分かるよ。安冨さんは選挙期間中、我々が何を撮っているのかを全く実感しないまま、SNSで流す用の映像を自分のスタッフと撮っていて、同じような映像だろうと思っていたわけだよ。ところが、できあがって観てみたら、映像の質がまるで違うと。プロという言い方を我々はあまりしないけど、プロが撮る映像を初めて知った、と。安冨さん自身は、選挙に出ることはパフォーマンスで、エンターテインメントという意識でやっているけど、映像もまたパフォーマンス、エンターテインメントでならなければならない、という考え方にこの映画は見事に答えてくれている、と評価してくれた。映画自体がエンターテインメントになり得ている、とね。

――安冨さんの“計算されたエンターテイント”を超えた部分が、映画には映っている、ということですね。

島野 東京国際映画祭で上映した時に、「安冨さんが片岡さんや馬のユーゴン君を連れてチンドン屋的に歩いているのがドンキホーテに見えた」と言った人がいるけど、それに対して「馬のユーゴン君は奥崎シズミさん(「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三の妻)みたいだ」と言った人もいて(笑)。その感想は面白かったですね。

『れいわ一揆』©︎風狂映画舎

――原監督は前作『ニッポン国VS泉南石綿村』の時から、ひどい政治に対して「日本人よ、もっと怒れ」と言われてきましたが、そのテーマは、この『れいわ一揆』にも通底していると思います。「れいわ新選組」は、そう思う人々の気分を掬っている団体でもあるわけで、メンバーや支持者の「怒り」に対しての評価を聞きたいと思います。「怒れる映画」ができたのか、「まだまだ日本人は甘い」と思っていらっしゃるのか。

 日本人が政治に対してなぜ怒らないかということに関しては、戦後民主主義の課題だろうと思っているわけ。俺は昭和20年の生まれで、戦後民主主義が日本に導入され根付いていくプロセスと共に成長しているわけだから、本当に根付いたんだろうか? と大きな疑問を呈するほど、民主主義がうまくいっていないと思わざるを得ない局面がいっぱいある。水俣も泉南もそうだけど、「民主主義って何だ」というテーマは、絶えず作品の背後に大きな底流としてあるんだよ。具体的な主題と共に、奥底にあるベースとして顔を出すのはごく自然なことじゃない?作り手としては、もっともっと手を変え品を変え、描き続けていかなくちゃいけない問題だと思っているよ。

島野 「れいわ新選組の続きを撮りますか?」と原さんも私も聞かれるけど、日本の民主主義の現実が露わになるのは「れいわ一揆」の先じゃないか、って気がするのね。「れいわ新選組」がこの先どう転ぶかは分からないけど、それは幸せな形ではない、少なくとも今回の選挙のような、祝祭的な形にはならないと思うんです。水俣の状況なんかをみると、日本の民主主義のお裁きの結果は、選挙じゃなくても現れてしまうものだから、政治では立憲民主党だったり「れいわ新選組」だったり、いろいろと出てきたけど、ブームの危うさというか、日本の民主主義のある種の限界のようなものは感じますね。

――その行方がこの先どういう形になるのかは、観る側に問われる気がします。      

原 それを投げかけるのが表現というか、アートの本質だと思うからね。観客もまた問いかけが欲しくて映画を観にくるだろうと理解しているし、こちらも問題提起、つまり一緒に考えてほしくて作品を作っているわけだから。

――最後に、映画を撮り終えて「選挙とは、こんなものだった」と、言葉にできることはありますか。

 今回は、現場でどこにカメラを置くか、ということに関しては、「れいわ新選組」のスタッフが相当便宜を図ってくれたわけ。そういうふうに「れいわ新選組」が受け入れてくれたからこそ撮れたんだと、感謝の気持ちはあるんだよ。本当はもっともっと政治の中枢に入って撮りたいのだけれども、制限がありすぎて、日本では思うようには撮れないだろう。

ひとつだけ、安冨さんの話を聞いて、これなら撮れるかもと思ったのは、東松山市長選挙のような地方の選挙だよね。地方であればあるほど、有権者と候補者の結びつきは泥臭く濃いものと思ったから。今回は全国区の参院選だったから、結びつきはそんなに濃くなかったけど、もっと深い結びつきがあり得るならば、もう一度撮ってみたい思いもある。ただ「れいわ新選組」の次の選挙でそれができるか、といったら難しいと思うので、今は続編を撮りたい気持ちはありません。

島野 よく「れいわ」の続きをとってください、と言われるんだけど、「れいわ新選組」の活動記録というよりは、2019年夏の参院選にあのような熱狂があって、映画をみてもらうことで、その熱狂を検証してもらいたい思いの方が、今は強くなっていますよね。

取材:2020年3月28日

『れいわ一揆』©︎風狂映画舎


(注4)キネマ旬報 2020年5月上・下旬合併号に掲載

【作品情報】

『れいわ一揆』
(2019年/248分/DCP/16:9/日本/ドキュメンタリー)

監督:原一男 製作:島野千尋
撮影:原一男 島野千尋 岸建太朗 堀井威久麿 長岡野亜 毛塚 傑 中井献人 田中健太 古谷里美 津留崎麻子 宋倫 武田倫和 江里口暁子 金村詩恩 
編集:デモ田中 小池美稀
製作・配給:風狂映画舎

【プロフィール】

監督:原一男(はら・かずお)
1945 年 6 月8日、山口県宇部市生まれ。72 年、小林佐智子と共に疾走プロダクションを設立、障害者と健常者の“関係性の変革”をテーマにした『さようならCP』で監督デビュー。74 年、沖縄に移住した元妻・武田美由紀の自力出産を記録した『極私的エロス・恋歌 1974』を発表。 セルフ・ドキュメンタリーの先駆的作品として高い評価を得る。87 年、元日本兵・奥崎謙三が上官の戦争責任を過激に追究する『ゆきゆきて、神軍』を発表。大ヒットし、ベルリン映画祭カリガリ賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプ リなどを受賞。94 年、小説家・井上光晴の虚実に迫る『全身小説家』を発表。キネマ旬報 ベストテン日本映画第1位を獲得。05 年、ひとりの人生を 4 人の女優が演じる初の劇映画 『またの日の知華』を発表。
2017年に23年ぶりとなるドキュメンタリー作品『ニッポン国VS泉南石綿村』を発表し、釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。後進の育成にも力を注ぎ、これまで日本映画学校(現・日本映画大学)、早稲田大学、大阪芸術大学などで教鞭を取ったほか、映画を学ぶ自らの私塾 「CINEMA 塾」を不定期に開催している。
2019年6月、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にて全作品が特集上映されるなど、アメリカ・カナダでの上映ツアーも行なわれ、帰国直後に『れいわ一揆』の撮影を開始し風狂映画舎を設立。同年、東京国際映画祭で特別上映され、ロッテルダム国際映画祭、ニューヨーク近代美術館(MoMA)などでも上映された。最新作は日本ドキュメンタリー界の巨人・土本典昭の遺志を継ぐ『水俣曼荼羅』(2021年公開予定)。
 
プロデューサー:島野千尋(しまの・ちひろ)
1979年12月23日、大阪府箕面市出身。明治学院大学文学部芸術学科映像芸術学系列卒業後、雑誌編集、映画宣伝を経て、原一男監督のスタッフに。書籍やイベントの企画を行ない、『ニッポン国VS泉南石綿村』(制作)、『れいわ一揆』(製作)を担当。
2019年、原一男監督とともに風狂映画舎を設立。