【批評ワークショップReview】アレッポの香り、メイド・イン・ターキー 『故郷とせっけん』 text 井河澤智子

2021年12月に開催した第4回東京ドキュメンタリー映画祭では、連動企画として「批評ワークショップ」を行った。基礎講義ののち、長編コンペティション作品、中・短編コンペティション作品、人類学・民族映像部門コンペティション作品、特集、および特別上映作品の中から受講者が作品を選定してそれぞれ批評を執筆するという内容となる。その成果として完成された批評を順番にご紹介したい。
第1回は井河澤智子さんの『故郷とせっけん』(長編コンペティション作品)評。『故郷とせっけん』は、かつてシリア・アレッポでせっけん工場を経営し、「アラブの春」に端を発した内戦で故郷を離れたある一家が、異郷の地トルコでせっけんづくりに従事する姿を描く。井河澤さんは一家のせっけんづくりをアイデンティティの保持の場とみなすのみではなく、せっけんができるまでの過程の時間に着目する。一見冗長にも見えるその一つ一つの作業こそがせっけんづくり、ひいては映画の核となっていることを解き明かしていく過程は鮮やかで、またリズミカルな文体も心地よい、充実のレビューとなった。
(批評ワークショップ講師/neoneo編集室 若林良)


シリア、アレッポ。せっけんが特産品として知られた街。
内戦を逃れ、この地から隣国トルコ・カズィアンテップに移ったカダハ家。家業は、せっけん造り。一家でトルコに移り住み、苦労して再び工場を立ち上げた。
トルコ・カズィアンテップで、彼らは、「シリア・アレッポのせっけん」を造る。

トルコに冬が来る。せっけん職人たちの仕事がはじまる。オリーブオイルを鹸化し、床に作った枠の中に撒き、均し、乾燥させ、切り分け、積み重ね、熟成させる。「アレッポの職人がアレッポの製法で造った」として、せっけんには誇らしげに「アタ・カダハ アレッポ」と刻印される。
職人たちの身体に染み込んだ「アレッポ」のリズム。おそらく一つでも変えてしまったらもうそれは「アレッポ」のせっけんではなくなってしまうのであろう。
せっけんとともに暮らす場所は、たとえそこがどこであろうとも「アレッポ」である。

異郷にあってなお、何ひとつ変えることなくせっけんを造りつづけるその営みを、映すカメラの無作為にも思える長回し。
観る人によっては退屈さを覚えるかもしれない。しかし、その長い長いショットは、彼らの「時間」の流れを追体験させる、とも言えるだろう。
伝統的なせっけん造りの工程は、想像以上に時間がかかる。彼らの生活にも、特に変わったことが起きるわけでもない。せっけんを造り、食事をとり、礼拝する。その繰り返し。
なんの変哲もない暮らしとは、おおむね退屈なものである。
が、カメラが見つめるその退屈さは、不思議と心地よく感じられる。

釜の中でふつふつと沸る、深緑色のオイル。
職人たちの手により、枠の中に流し込まれる、せっけん素地の粘度。
慎重に引かれたガイド線に沿って、大きな櫛で切り分けられる工程は、その素朴さに微笑みを禁じ得ない。まるで童話「おおきなかぶ」である。おじいさんおばあさん孫犬猫ネズミ総出でかぶを引っこ抜く、絵本でよく見たあの場面にも似た、職人たちの姿。なんとも愛らしい。
切り分けられたせっけんには一個一個刻印が打たれる。リズミカルにカツンカツンと打ち付けられる印の「寸分違わぬ」とはちょっと言い難い微妙な凸凹さに、また頬がゆるむ。
せっけんたちは、まるで柔らかな城壁のように積み上げられ、完成し出荷される日を待つ。

せっけん造りは、職人たちの手によって淡々と進んでいく。カメラが見守るその作業は目に心地よく、いつまでも見ていられるようななめらかさだ。
毎年繰り返される、当たり前の光景なのかもしれない。
しかし、これはまったく「当たり前」のことではないのである。
彼らは、祖国の内戦により、故郷を離れ、異国で暮らす人々なのだ。

シリアの内戦を描いた作品は数多い。さまざまな利害が絡み合い、混迷を極めるシリア。国内からの発信が制限されている状況下でS N Sによって拡散された、直視を躊躇うような血と死と破壊。命を脅かされながらそれらを伝える人々、生きるために逃れた難民たち。彼らの苦難を扱った作品は、ドキュメンタリー劇映画共にいくつも観ることができる。
美しい街アレッポは破壊された。名物だったせっけんも、それらを造る工場主も職人たちも、生きる術を失った。彼らはアレッポをあとにし、せっけんを造れる場所を求め旅立った。穏やかに流れるような深緑色の時間の中で、彼らもまた情勢に翻弄されてきたのだ。
もしかしたらわれわれは、「難民」と「移民」を無意識に分けてイメージしているのではないだろうか。裕福な暮らしを送るカダハ家が、祖国の政情不安により国外に逃れた難民であることを、つい忘れがちになってしまいそうだ。
異国で家業を復活させた彼らに寄り添った『故郷とせっけん』も、「シリア内戦」をテーマとした作品のひとつであると言えよう。まったく直截的なイメージを用いることなく描かれた、シリア内戦。

この地でせっけん造りができるようになるまで、どれほどの苦難があったかは察するしかない。平穏な生活を取り戻した彼らだが、その言葉からは、滲み出るような望郷の念が伺える。
「アレッポのせっけん」はひとつのシンボルなのかもしれない。故郷への想いは、せっけん造りに携わる人々の生きるよすがである。あの街で、自分たちは特産品のせっけんを造っていた。彼らの心の中のふるさとは、街並みも人々も、いにしえの美しさそのままにあるのだろう。頑ななまでに伝統を守り続ける人々が造る「トルコ製のアレッポせっけん」は、カダハ家の—あるいは故郷を離れてせっけんを造り続ける人々の—「生きること」そのものである。
その作業は、祈りにも似ている。敬虔なイスラム教徒の彼らにこのような表現をすることが許されるのかどうかはわからないが。

繰り返される彼らの日常に想いを馳せる。
工場に積み上がったせっけんのように、時間は重なっていく。
いつの日か、戻れる日が来るその時を待ちながら。

【映画情報】
『故郷とせっけん』
(2021年/日本/ドキュメンタリー/131分)

監督:八島輝京
内容紹介:伝統産業のせっけん製造が有名な、シリア・アレッポでせっけん工場を経営していたカダハ家。しかし、アラブの春を端緒とする戦闘の拡大で、一家は国境を越えての移動を余儀なくされる。国境を越えてなおトルコで続けられる一家のせっけん作りの営みに、彼らの日々の想いが切実に、丁寧に織り交ぜられる渾身のドキュメンタリー。

【執筆者プロフィール】

井河澤 智子(いかざわ・ともこ)
映画を観て、単なる感想ではない「批評」を書くことは、とても難しいことだと実感しました。
拙い文章をお読みくださって、ありがとうございます。