二人のプライベートな関係を晒す
――この映画の中は、寂聴さんの生誕100年を目指して日常の些細なことも記録する、とのコンセプトで始まったとうかがいましたが、プライベートを細かく撮るのは、映画を機に、という感じだったのでしょうか。
中村:2006年まではカメラマンが介在しているし、先生も正装して、インタビューで話を聞くのがほとんどだったんですが、僕が個人的に撮るようになってから、かなり変わっていきました。関係性が一段と深まって、こちらもプライベートなものの中から何が出てくるのか、という発想に変わってきた。そういう意味では、撮っている内容は『いのち 瀬戸内寂聴 密着500日』の頃から変わらないのですが、コロナ禍で先生を外に連れ出すことが難しくなって、基本的には、ダイニングキッチンの中でしか会話は行われていないですよね。それ以外のシーンも撮りたかったけど、撮れなかった、というのが正直なところです。
僕としては、映画を作ることになってから、先生と僕との関係が何だったのか、もう一度先生の口から言ってもらう意図の質問を結構しているんですよね。「何で僕を受け入れてくれたんですか」って。何も確認しないまま今まで来たから、僕自身が知りたかったんです。編集では結局、僕が「ラブレターをもらった」ということと、先生の「裕さんは何も求めなかったから受け入れた」という話しか残りませんでしたが。
――映画に2人の関係性をどこまで入れ込むか、編集ではどう考えておられたのですか。
中村:パブリックなインタビューとプライベートなシーンの使い分けはさほど難しくはなかったのですが、僕と先生のプライベートなやりとりが感じられるシーンをどこまで残すかについては、編集でも議論になったし、最後の最後まで悩みました。どんどん削って今の形になったんです。僕がしゃべっている音もかなり削りました。難しいですよね。分からないんじゃないかと思って、サービスみたいなことを意識しだすと、際限がつかなくなるし。ナレーションも、全く無しからはじめてはみたものの、テロップナレーションは最低限いるかとか、少しは声で語らないと、とかいう話になって、過剰にならないことを意識しながら徐々に練り上げていったんです。
――その意味では、裕さんが、自分の部屋を映すシーンには衝撃を受けました。
中村:「あそこまでやる必要があるの?」と取材を受けた時に言われたりもしましたが、僕の中では、コロナ禍があったおかげで、自分の部屋から先生に電話するシーンが自然と必要になったわけです。できることを全部やって、その時できる最善を尽くして記録をしていく、という意味では、あのシーンは必要だったんじゃないじゃないでしょうか。恥ずかしいですよ。還暦過ぎているのにあんな部屋に住んでいるのは。でも、それを出すのに抵抗は全然なかった。「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」では、一人称で語りながら、自分が何者であるかがほとんど語られておらず、それはやり残した仕事だなって思っていたんですよね。別に出たいわけではじゃないけど、それぐらい自分もしないとプライベートな記録としてはフェアじゃない感じがちょっとあってね。
余談ですが、僕はあの、電話のやりとりが結構好きなんです。「裕さん、今すぐでもいいから、彼女を作りなさいよ」「先生、僧侶がそういうこと言っていいんですか」「いいえ、今のは小説家が言っているんです」って。あれが自然のやり取りです。
――裕さんご自身は、2人の関係を晒すことに自体について、どのように思われていますか。
中村:こればかりは、僕からは何とも言いようがないのです。人々が知りたくない先生の姿を知らしめてしまうかもしれないリスクはあったと思うのですが、先生が僕に対していろいろ言っていることに関しては、そのまま映画を見ている人たちに対しても「人を思う」という、ある種の生きる力として通底している気がしているんです。そこから先は、本当に観る人に感じていただきたい、というか。
――そういう意味では、晩年の作家・瀬戸内寂聴という物書きに対して、裕さんの存在が大きく関わっていたんじゃないかと、映画を見て改めて思いました。
中村:こそばゆいけど、ネタを提供した自覚はありますよ。「求愛」(集英社)という掌編小説集があって、僕との間に起きたことって、ほぼそれに書かれているんですよ。編集者の上司にも「裕さんは、晩年の先生が執筆する大きな動機になっているはず」と言われてびっくりしましたが、そういう側面はある気がしますよね。
つまり、先生は、プライベートで親しく付き合ってどう、というところで終わらない人なんですよ。絶対に最後、書くところまでいく。恋の遍歴も全部そうなんです。最初に出奔した相手も、小田仁二郎さんも、井上光晴も、全部小説の題材になりテーマになっている。感情の発露が先か、作品が先かは分からないですけど、そこまでしないと成就しない人なんです。
――それはそっくり裕さんも、ドキュメンタリーといえども、撮りながらひとつの物語を創ったとも言えるのではないでしょうか。
中村:僕も今回、初めて映画としてこれを作って、先生に追随するというと変だけど、自分なりに物語を作った感じはします。単に撮ったものを並べたというよりは、僕と先生の間に起きたことを、物語として描くにはどうしたらよいか、この素材の中で色々考えたんじゃないかと思うんですよね。要素として足りない思いはあるけど、それで完成度が上がったかというと、決してそんなことはなくて。
最後にお会いした時に、先生が蛍のことを突然語りだして、翌日、新聞に載る原稿を書くくだりがあるんですが、映画では、この話をラストシーンに持ってこれると、最初に思ったんですよ。先生の書いた文章は、虚実がないまぜになって、時間・空間を自由に飛び越えているし、蛍の光は、先生の命の灯火みたいなものだと、淡いけど、確実に灯っている。でもいつ消えるか分からない。あの人が常に追い求めた自由な境地で文章が書かれていて、自分にも深く重なった。その意味では、本当は、昔一緒に蛍を見に行った清滝には、最後にもう一回行きたかったんですね。99歳の先生が、最後に行ってみたい場所、最後に会っておきたい人、最後に食べたい料理をきちんと記録しようと思ったけど、それができなかった後悔はありますね。
――映画には、プライベートをさらしながら、高度な創作をぶつけ合っていくクリエティブな部分もありますが、一方で先生に確実に忍び寄る「老い」を記録して行かざるを得ない、部分があったと思うのですが、そこに関してはどうお考えですか。
中村:何の痛痒もなかったですね。一番撮らなきゃいけないところだし、臨終の瞬間なんかよりも、そちらの方が大事ですよね。どこで先生の老いが表現されるのか。82歳で出会った時から死ぬ話ばっかりしているけど、何がよりリアルになっているのかというのは、その時々で違っているんです。今回の映画でいうと、最後の年越しの時に「もういよいよ長くない」話をした時は、今までとはフェーズが違うと思ったんですよね。「末期の眼」の話をした時も、僕はあれを聞きながら「そんなこと言ってもあと3年ぐらいは生きるでしょ」と思っていたんですよ。「裕さんは考えが甘い」と言われた時に、先生なりにシビアに受け止めている部分があるなと思いましたよね。でも面白いのは、結局、生前最後のインタビューになった6月の時は、すごい元気だったんですよ。普通に仕事をしているし、この人本当にまた復活したと思っていたから、その後の展開はちょっと意外でしたね。
”先生”に教えられたこと
――お話を聞いて、本当にある意味「演じながら」というか、最後まで撮られることを意識したやりとりをお二人の間で続けていたことに、改めて感銘を受けました。
中村:現実だけが記録されているかというと、そういうことでは絶対ないと思うんですね。虚構の部分もあったけど、虚構って何かというと、それは僕と先生がいろいろ現実を生きている中で「もっとこうだったらいいのに」とか、そういうことを含んでいたんじゃないかなと。だから楽しかったというか、亡くなっても終わっていない感じがするんですよ。気が付くと独り言を言っていたりして、先生とやりとりしている感じがまだ残っています。
――人によっては、それを作家の性とか、業だという人もいるかもしれない。
中村:あの人から作家の業は多分切っても切り離せないわけで。生き方そのものだったと思うし、深かったですね。そこにちょっと関わらせてもらったかもしれないと思うと、とても稀有な体験をさせてもらった感じがして、感謝しています。
――その関係を17年間続けられた裕さんはすごいなと。
中村:僕自身はしんどかったとか、特別に努力を要したことはないので。ただ、先生とやりとりをする中で、ひょっとすると自分が磨かれたものはあったかもしれないと思いますよね。それが何かははっきり分からないんですけど、人に対して何かを感じる力とか、一応先生には薫陶を受けているから、困った時に、わざわざ危険な方に行くのを面白がる、とかですかね。
――映画のなかの裕さんと寂聴さんは、特別な関係だとは思いますが、豊かだなとも思ったんです。孤独を感じる高齢者がたくさんいる中で、年を取ってもこれだけ仕事できるとか、夫婦だけでもない男女の形があるとか、気持ち的には自由で生きていけるんだとか。人生を前向きにとらえられる作品だと思います。
中村:年を重ねていくと、人間関係のしがらみもいろいろあるわけですよ。あっちこっちに気を使って、自分の意見が言えなくて悶々としたり。だからどこかでやっぱり、自分が自由でいるためにどうしたら良いかを考えることは、とても大切な事だと思うんですよね。先生は、終生それを実践していたと思うのです。
あともうひとつは、孤独をポジティブに受け止められるか、というか。孤独死って悲惨と言っているけど、本当に全てのケースがそうなのか。自分でそれを選んでいる人もいるわけじゃないですか。今回の映画で、最初、天ぷら屋で先生が言っている「孤独の時間」というのは、映画の中では突き詰めてはいないけど、自分の中ではちょっと引っかかったテーマではあるんです。これから自分もどういう死に方をするか全く分からないけど、孤独を感じる時間を、どう豊かにするかが大事になってくるんじゃないかな。先生の言う「孤独」がなぜ豊かだったかというと、一人で空想してものを作り上げるという時間ができたからですよね。それは先生が最も大事にしていた時間だったと思います。
【作品情報】
『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』
(2022年/95分/日本/ドキュメンタリー)
監督:中村裕
出演:瀬戸内寂聴
語り:中村裕 朗読:奥貫薫
音楽プロデュース:菊地成孔 演奏:菊地成孔 林正樹
プロデューサー:松浦 敬 阿部 毅 成瀬保則 伊豆田知子
製作:朝日新聞社、KADOKAWA、平成プロジェクト、スローハンド、
クイーンズカンパニー、徳島新聞社、京都新聞、朝日放送テレビ
配給:KADOKAWA 制作:スローハンド
協賛:地域創造研究所、松籟庵 協力:曼陀羅山 寂庵
写真はすべて©2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
シネマート新宿 テアトル梅田 ほか全国順次公開中
https://movies.kadokawa.co.jp/jakuchomovie/
【監督プロフィール】
中村裕(なかむら・ゆう)
1959年東京生まれ。早稲田大学卒業後の1982年、(株)ライオンに入社。85年、映像制作会社オンザロードに入社し、龍村仁監督に師事。2000年からフリーディレクターとして活動し、「情熱大陸」(毎日放送)や「金曜プレステージ」(フジテレビ系)など多数の番組を手掛ける。11年に『色を奏で、いのちを紡ぐ~染織家 志村ふくみ・洋子の世界~』(紀伊國屋書店DVD)で映像文化製作者連盟アワード文部科学大臣賞、15年にNHKスペシャル『いのち 瀬戸内寂聴 密着500日』でATP賞ドキュメンタリー部門最優秀賞受賞。本作が初の映画監督作品。