【Interview】「日々のできごと」として”魚市場の閉場”を撮る 『浦安魚市場のこと』歌川達人監督

映画『浦安魚市場のこと』より


イベントではなく「日々のできごと」を撮る

ーーー面白いですね。撮影スタイルや、現地との関わり方の模索から、撮られる人にどう還元できるかを考える、ということは。そもそも歌川監督は、撮影にあたって、浦安に移住したと聞いています。

歌川 そうです。市場は朝がめちゃめちゃ早いので、始発でも間に合わない、というのがあったのと、カンボジアの時も思いましたけど、こういうスタイルでやっているので、口だけにはなりたくないなっていうのがあって。

取材相手との信頼関係でいうと、閉場に伴い、テレビとかいろんなメディアの取材が入るのは予測できますが、僕はメディアとは違って自主映画だから、「こういう形で撮るんです」と口で言っても伝わらない。さっき話したような展示や映画のことも、普通なら魚市場の人に言ったところで「こいつ何言っているんだ?」じゃないですか。もっともらしい企画書を渡すよりも、この人一生懸命だなとか、こいつずっといるなとか、そういう部分でしか信頼されない。商いの人たちなので、そういうところはよく見ているんです。森田さんも、すべての人を受け入れているわけではないですからね。信頼されて撮るためにできることって、そういうことしか無いんですよ。お金も発信力もあるわけでもないから。

あと僕は「浦安魚市場の閉場」というイベントだけではなくて、ミニマムな場所の中で日々起きるできことを撮りたかったから、日常の中で起きる些細な会話などを撮ろうとすると「この日にこういうことがあるから撮影した方がいい」という感覚では撮れないんですよね。「何が起こるかわからないけど行った方がいい」という感覚で行って、何もなかったら普通に買い物をして帰ったりしながら、何かありそうだったらカメラを回す、という方針でやっていた。そういうのは近所に住んでいないとできない、というのがありますね。

ーーー確かに、森田竿魚さんがおうちの食卓で子どもに魚の名前を当てさせて、その後にご飯をこぼしちゃう、みたいなシーンは、「市場の閉場」というイベントだけを狙っていたら撮れませんよね。多くの時間を共有することが、映画にとってプラスに作用した感じがありましたか。スタイルというか、歌川監督の個性のようにも受け止められましたが。

歌川 ドキュメンタリーといって想起するものが、ジャーナリスティックなものを想像する人もいるし、もう少し映画やアートのアプローチを想像する人もいる。だから、「自分はドキュメンタリーを撮っていて、こういうものを撮りたい」というのを、浦安魚市場の人にご挨拶をして、紙を渡して許可をもらって撮ったとしても、私がこれからやることをどのくらい相手が想定できているのかと言うのは、意外と分からない。閉場ということで、市場を続けたかった人もいれば、やめたかった人もいるから、当時はとてもセンシティブな話でした。ジャーナリスティックに現象を切り取られることの恐怖や、横並びの場所で「余計な波風をたててはいけない」みたいな懸念もあって複雑なんです。そのような場所では、自分が安全な存在で、地域の人たちのことも考えているとか、何かをかき乱したくてやっているわけではないというのをきちんと伝えないと、信頼してもらえないし、そもそも撮影できない。映画の上映の時も苦しくなると思ったので、映像展示や写真集みたいなことは、ある種自分の発信するメッセージにもなるかなと思ってやっていました。他にも、昔の写真を市場にバーッと貼った写真展を、浦安新聞という地域紙の方々と一緒に実施したんです。そういうことをしてはじめて僕は、カメラ持った変な奴ではなかったと思ってもらえたのかなという気はします。

ーーーただ終わりの記録を撮りに行くんじゃなくて、この空間をまるごと記録したい、と自分でも表明していたってことですね。

歌川 それはあるのかもしれないですね。記録係だから、あの場所でカメラを回していても許されたのかも。

市場で開催した写真展

ーーーちょっと話題を変えてみたいのですが、それにしてもお魚をおいしそうに撮っている映画だと思いました。意識的に魚をどう撮るか、みたいなことは研究したり、試行錯誤したりはしましたか。

歌川 いや、全くしていないです。北海道出身で魚が好きというのはありますが(笑)。 テクニカルなことで言うと、途中まで50ミリのレンズ(*2)だけで撮っていたんですよ。それが対象と自分との距離だし、それで魚も撮っていました。食べ物を撮っている時も、このぐらいのサイズで、という発想はなくて、自分の自然な距離感で撮りました。

ーーー森田さん以外にも、焼きはまぐり屋のおばちゃんや、店の終わりを語るおばあちゃんなど、主役・脇役含めて出てくる人々が絶妙でしたよね。浦安魚市場に登場する人たちに関して、あらためて気付いたことや、印象に残ったことはありますか。

歌川 基本的に商いをしている方々ですから、政治的なものや社会に対する見方は自分とは違う部分も感じましたが、いろんな人に対して開いている自由さを持っていると思いました。それでいて、ちゃんと自分の意思とプライドを持っている。お客さんとのやりとりの中で、親しい関係性があると思えば、利益にはならないけどサービスをしようとか、対価を自分で決められるんです。企業のサラリーマンのように、お客様は神様で、クレームに対して平等じゃないといけない、ではなくて、そういう自由があった上で扉が開いてる感じがいいなと思いました。

映画『浦安魚市場のこと』

ーーーいま「自由だ」という言葉がでましたが、魚市場がなくなるっていうことは、自営業者の活力みたいなことがなくなる、という社会構造的な問題もあるわけで、この「浦安魚市場のこと」は、そういう問題も記録したとも言えます。歌川監督は、その問題に関してはどのように見ていましたか。

歌川 そのあたりの大きな問題は、撮っている最中はなかなか気づけないものですよ。のちにJFPで調べ物をしてる時に知ったことで言うと、80年代後半から個人事業主は全世界的に衰退しているんですが、衰退が顕著な日本はかなり特殊で、韓国ではそれほどでもないとか。その辺の因果関係は魚屋の話だけではないので、僕からは良いとも悪いとも言えませんが、「浦安魚市場のこと」で描いた世界というのは、気づかぬうちになくなっていくものだなとは思いました。閉場の瞬間はテレビでも取り上げられても、その後の日常は地続きなものだから。今(2023年)魚市場の跡地はサミットという大型スーパーになって。その上に高層マンションができて。あの場所は、都心で働いているアッパーな人たちのベットタウンとしては最良の場所ですよね。昔のことや魚市場を知っている人からすると、何故ここがそうなっちゃうんだ、虚しい、と僕なんかでも思ってしまいますが、こういう現象はいろんな場所で起きているのだろうなと思います。

ーーー映画でいえば、森田家のお母様が冗談めかして苦労を語ったり、それにつられて森田さんも「魚屋をやっていて良かったと思ったことは一回もない」と話をしますよね。あれはある種、自営業を成り立たせる難しさを緩やかに記録したシーンかなとも思いました。

歌川 森田さんや「池八」のおばあさんを撮っていて思ったのは、自営業者というのはある種の意地というか人生そのもので、経済効率でどうこう、という話ではない部分もあると思うんですよね。映画でも分かるように、森田さんもいま新たな魚屋を作って頑張ってらっしゃるけど、立ち上げた時は、色々言われたと伺ってます。閉場前にお店を作って、そのままスライドできるようにしたそうなんですけど、あんな場所にお店を作ったって初期投資もかかるし今どき流行らないよって。でも、だからやめようということはならない。今までの人生を一度リセットする類のものだから、やっちゃうんです。森田さんにとってはやるぞ、という結論ありきで、どうしていくかという話なんだろうなと思って見てました。

ーーーある意味、そういう決断を迫られた人たちの物語ですよね。

歌川 時代の大きな流れがあって、経済が変わる中で構造転換をすべきだ、という時に、自営業の人たちの思いが踏みにじられたり、追いやられたりする現象はありますよね。浦安魚市場の閉場も、そういう意味では潔く切り替える人と意地を持って続ける人が、いろいろ映っているっていうことかもしれないですよね。

映画『浦安魚市場のこと』より

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