もらった試写の案内を眺めていて、「出演」の欄を思わず二度見する。いわく、「ニール・ショーン(本人)/ジョナサン・ケイン(本人)/ロス・ヴァロリー(本人)/ディーン・カストロノヴォ(本人)/アーネル・ピネダ(本人)」。「本人であること」がここまで強調されるのは、どこか普通ではない。ましてや、タイトル『ジャーニー/ドント・ストップ・ビリーヴィン』が示すように、これはその、ジャーニーのメンバー本人たちを記録したドキュメンタリーなのだ。
そもそも、誰かが、自己の血筋の正当性を主張するのはどんなときかと言えば、ニセモノが跳梁跋扈しているときか、あるいは自分の足元がぐらついているとき、とおよそ相場が決まっている。さて、この老舗バンドのアイデンティティは、どんなふうに揺らいでいるのだろう。
……と、最初はいささか斜に構えてスクリーンに向き合っていたものの、すぐに両目が画面に惹きつけられ、次第に姿勢が前のめりになり、最後には背筋がぴんと伸びる。それもひとえに、新加入したヴォーカリスト、アーネル・ピネダの語り口によるところが大きい。子供時代には路上生活を経験し、歌手になってからも紆余曲折がてんこ盛りの彼の人生は、それ自体、往年の「ドキュメント女ののど自慢」(男だけど)を思わせる起伏の激しさだ。
とはいえ、単にひとりの歌い手の波乱万丈の物語なら、そこらにありふれているとまでは言わないまでも、そうそう珍しいものでもない。しかし、アメリカのロック・バンドが迎えたこの新メンバー、フィリピンはマニラ生まれの、どこをどうひっくり返してもアジア人にしか見えない男なのだから、話は別。
友人がYouTubeにアップしていた映像がきっかけで、無名歌手がついにはジャーニーの正式メンバーになった顛末は、なるほど、にわかには信じがたい。むしろフェイク・ドキュメンタリーっぽいというか、ともかくフィクションとしてこのシナリオを書いたら、「リアリティなし。却下」と突き返されること必至だろう。
現代のアメリカン・ドリーム(いや、フィリピーノ・ドリームか)を語るピネダ、訛りの強い英語に、興が乗ってくるとお国の言葉(タガログ語だろうか)が混じる。陽性のキャラクター、表現力豊かなしゃべりについつい聞き入ってしまう。70年代の武田鉄矢を思わせる長髪、短躯の彼が、白人メンバーたちと一緒に撮ったアーティスト写真について「自分だけフォトショップであとから貼り付けたみたい」と形容する、あまりにも的確なユーモア。
そんなピネダだが、初ライヴの出番前には、緊張のあまり周りの事物が映画みたいにスローモーションになって見え、「いえーにー……かえって……いいかな……」と弱音を吐いていたというのも笑える。ところがいざ幕が上がると、「デイヴィッド・リー・ロスかブルース・リーかよと思った」とコメントされるほどの激しい動きを披露。歌っている最中や、ステージでのMCでは、ふだんの英語の訛りはほぼ消えていて、完全に歌手モードのスイッチがオンになっているのにも舌を巻く。才能も、それを見抜いた目も本物だったわけだ。
受け入れられたピネダのシンデレラ・ストーリーは、同時に、彼を迎え入れたバンドの紆余曲折の物語でもある。黄金期のバンドの顔であったスティーヴ・ペリー(ヴォーカル)の脱退後、幾人かがやって来ては去っていく。そのたび、自然と活動は停滞することになる。
もっとも、成功していた時期に払った代償の話にも相当きびしいものがある。権力と金を巡る、お決まりの争い。古い友人たちは去っていき、会えなくなり、ひさしぶりに連絡をとろうとすると死んでいたりする。こうした告白のあとにさりげなく聞かされる、「ピネダとカストロノヴォ(2000年に加入)の疲労はまだまだ肉体的なもの。次にやられるのは精神だ」との心情吐露は、重い。
そして、「自分たちの音楽はクラシック・ロックに分類されるから、客はオリジナルを求めるんだ」との冷静な自己分析。揶揄するのではまったくなく、バンドの経営論、セルフ・マネジメントの成功例としておおいに見ごたえがある。たとえば、ピネダが入って、アメリカのロック・バンドが国際的な存在になったって感じかな、とのコメントがあり、いくらなんでも言い過ぎでは? と小首をかしげていると、明かされるその発言の真意がまた興味深い。
つまり、ピネダの加入は、彼の母国フィリピンはもちろん、全米各地のフィリピン系住民たちをも大いに刺激した。場合によっては観客の2割程度がフィリピン系になることもあるのだそうで、コンサート会場の周辺で手作りのTシャツを売ったりと、親戚の子供を応援しに来たかのようなフィリピン系のおばちゃんたちの笑顔がまぶしい。
太く短く燃え尽きるのではなく、ショウビズ界を長いこと生き抜いていくために必要な、健全な異常さとでも呼ぶべきものがここにはあって、だからこそ、語られていない部分が気になりもする。ヴォーカリストを探すため、夜な夜なYouTubeで「ジャーニー トリビュート・バンド」や「ロック ヴォーカリスト」などのキーワードで検索をしていたというニール・ショーン本人の、そこまでしなくてはならなかった切迫感はいかほどのものだったのか。そして彼がピネダに送ったメールの文面がまた、「やあ、ジャーニーでギターを弾いているニール・ショーンだ。君のことをYouTubeで見つけてすごいと思ったんだ……これは冗談じゃないよ!」(超訳)といった調子の、おそろしくカジュアルなものなのだが、送信ボタンをクリックするときの彼の心持ちはどうだったのか。そして、結果的に異色の取り合わせが奇跡的にうまく機能しているとはいっても、アジア人を自分たちの顔として据えることにまったく葛藤はないのか。
原題が示すように、これはそれぞれが、ジャーニー本人になるための旅、ジャーニー本人であり続けるための旅の、まずは序章であると受け取った。ラモーナ・S・ディアス監督には、ぜひ今後もこの旅に同行して、彼らの5年後、10年後の姿を届けてもらいたい。
【映画情報】
『ジャーニー/ドント・ストップ・ビリーヴィン』
Don’t Stop Believin’: Everyman’s Journey
2012年/アメリカ/ 英語/ドキュメンタリー/ 105分
監督・脚本・プロデューサー:ラモーナ・S・ディアス
出演:ニール・ショーン(本人)/ジョナサン・ケイン(本人)/ロス・ヴァロリー(本人)/ディーン・カストロノヴォ(本人)/アーネル・ピネダ(本人)
提供:ファントム・フィルム/キングレコード 配給:ファントム・フィルム
3月16日より新宿ピカデリーほか 全国順次公開中
公式サイト:http://journey-movie.jp
【執筆者情報】
鈴木並木 すずき・なみき
1973年、栃木県生まれ。派遣社員。最近は『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社刊)にキム・テギュン論を寄稿。一般の観客が映画についてあれこれ語るトーク・イヴェント「映画のポケット」もゆるく開催しています。