【Interview】『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』 大宮浩一監督インタビュー

まず、完全に手前味噌な話から。『ただいま それぞれの居場所』のマスコミ試写が始まった2010年春。レギュラーで参加していた「映画芸術DIARY」の編集者と、「やんわりした介護福祉もののようで、なにかもうヒトクセあるよね」とピッタリ意見が合い、毛色が違う映画だったもののすぐレビュー掲載を決めた。ただし、51歳の遅い監督デビューを果たした大宮浩一の個性自体へはすぐに目は向かなかった。むしろ当時活況だったセルフ・ドキュメンタリーと好対照の、集団作業の良さを感じていた。作家というより温和な棟梁のイメージだった。大宮がそのイメージを保持したり時には壊したりしながら異例のスピードで作品発表を重ね、国内ドキュメンタリー映画に確固たる存在感を築くことになるとは、露ほども想像していなかった。「もうヒトクセ」の気配にそれ相当の蛮性が備わっていたことまでは、見抜けなかったわけだ。

監督作品は3月23日公開の『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』で早くも5作目になる。ここからまた違う展開が始まり、いよいよ大宮浩一本人が個性を顕しつつあると感じている。その点についてややこだわりながら、質問を投げた。
(取材・構成:若木康輔/2012年3月8日 上落合スタジオにて)

 


― これまで僕は大宮監督を、若いスタッフを前に出して動かす、プロデューサー寄りのタイプの監督だと認識していました。しかし『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』では、これまで以上に「大宮浩一監督作品」であることが打ち出されていると感じています。「(映画はあくまで)私を見て映すものであって、私自身じゃないかもよ」という長嶺さんとの会話を冒頭に掲げているのは、映画をどう取られても責任は自分だと背負おうとされている、ひとつの宣言と受け取れるのです。

大宮 今回は自分が、という意識は、作っている時はそんなにありませんでした。けど、そのせいもあるのかなあ、『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』は編集に時間をかけたし、かかりました。半分はプロデューサーでもあるので、まず編集者のつなぎを尊重しつつ、監督として意見を伝える作り方をしてきましたが、今回はその割合が多少逆転したかもしれません。キャッチボールをいつもよりした分の時間がかかった。今回の編集者は『無常素描』(11)の遠山(慎二)です。

あの冒頭のシーンには、長嶺さんと僕等との契約書の意味合いが強いんです。長嶺さんの踊りや絵と僕等の映画、お互いの表現を尊重し合って口は出さない。私は私、あなたはあなた。あなたが撮る私が私自身の思う私と違っても、そういうものよね、と。長嶺さんが直接言葉にしたわけではありませんが、そういう暗黙の約束がありました。期待した長嶺さんのイメージと違うと感じるファンの方はいるかと思いますが、その点は認めてほしいという思いも多少は込めつつ(笑)、ですね。長嶺さんの言葉を象徴的に借りて、これはフラメンコ映画ではありませんと最初にお伝えしているわけです。

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』より © 大宮映像製作所

― 映画の最初のシーンは、2011年4月、長嶺ヤス子さんが入院しているところです。撮影もあそこから始まったんですか。

大宮 そうです。大きな流れは撮影順になっていますね。

― では、冒頭の長嶺さんの言葉はいつ? 撮影のどの段階で出てきた言葉ですか。

大宮 あれは、中盤以降ですかねえ。

このインタビューは「neoneo」さんですよね? 読者はドキュメンタリーに意識の高い方々だと思うのでお話ししますと、僕自身が途中で、アレ、なんで長嶺さんを撮っているんだっけ、何をしたいんだったかな、と弱音を吐いたんですよ。

― え、それは長嶺さんに?

大宮 そう、本人に(笑)。その時の表情も撮っている(笑)。実際は、弱音を吐いた僕への励ましの言葉なんです。やり遂げなさいと。「わかんないなんて言ってないで、撮ってみたらわかるわよ」と。

東日本大震災の直後からグラグラしてしまいつつ、なんとか撮り続けようとして、また自分でも分からなくなった。そんな時期に、長嶺さんにああ言って頂いたことで完成まで漕ぎ着けられました。僕の中ではとても大きな、勇気をもらった言葉だったので映画に使いたかった。

あの言葉を途中で入れて、構成を撮影順にする案もあったんです。そこまでは迷っているようすをあえて見せるかたちにして、後半はトーンが変わるという。ただ、それだとあまりに作り手の手前味噌というか、楽屋落ちになりかねない。作り手の存在を画面内にハッキリさせ客体化させていくのも、ドキュメンタリーの誠実な作り方のひとつだとは思いますが、僕はそうしませんでした

― 撮影のスタートが2011年4月ということは、被災地にロケした『無常素描』撮影・制作と同時進行だった。

大宮 そうです。4月末にいったんカットインして『無常素描』を撮影しました。『無常素描』の編集はある程度、『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』の撮影と同時進行になりましたね。

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』を撮り始めた時は震災直後ですから、長嶺さんのことを消化できる状態にはなかった。ところが、病気になってメスを入れて、言ってみれば高齢な女性の身体のなかに大震災が起きたようなわけですよね。なのに、こんなにあっけらかんとカメラを受け入れるのは何なんだと。しかも最初の撮影が病室で。そんな長嶺さんに自分も落ち着かせてもらったというか。『無常素描』の後、(撮影の山内)大堂と、もう一回仕切り直してこの作品に向き合おうと。

― その時期は、すでに『季節、めぐり それぞれの居場所』(12)の撮影も始まっており、計3本のプロジェクトが立ち上がっていたわけですね。スピーディに作品を発表する大宮さんらしいのですが、その、作っている作品が次のテーマを呼ぶような連作的なありかたを、僕はとてもユニークな〈大宮映画〉の個性だと思っています。積極的に多作することでの作品相互の影響は?

大宮 それぞれ多少は食い込んできていますけど、自分は能天気な人間なので、良い影響しか受け付けませんねえ。大堂は、初めて病室の長嶺さんと会った時、『季節、めぐり それぞれの居場所』の一環のつもりで撮っていたそうです(笑)。僕もしばらく説明しなかった。そう言われると、要素として入らなくはないかな……と思ったりして(笑)。「この人だけで1本と考えている」と話したのは、3回目に撮影した時。でも、彼にしても別の作品だから撮り方が変わる、変えるわけではない。いずれにしても撮るのは、人ですから。

― その撮影する対象が長嶺さんに集中していることが、今までと違うと端的に感じました。ずっとある種の群像劇だったのに、長嶺さんの周囲に聞く周辺取材も無い。

大宮 それは撮影時から意識していたことですね。だから周囲の人の調査も撮影もしていません。僕が知らないことなんでね。僕が知らないことを第三者から言われても、それは言葉でしかない。聞いた言葉が事実だったとしても、僕には確認しようがないので。

長嶺さんの過去を振り返りたくなかったんですよ。さすがにこれじゃあ、というところもあって、プロフィールは序盤に4枚テロップで、駆け足で入れました。

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』より © 大宮映像製作所

― 言葉でしかない、と言われるとなかなかドキッとします。他の人から長嶺さんの歴史や人柄を聞いたとしても、コメント録りに過ぎないということですか。

大宮 決して立体化にならないと思うんですよ。証言構成に作り手の主観は薄い。あるとすれば人選ですよね。でも、あの人に聞こうという人選自体が、期待になる。この人にはこういう長嶺さんを語ってほしい。一方この人には、長嶺さんの別の側面を語ってほしい。インタビューによっていろんな長嶺さんの面を出そうという、故意がありますよね。

そういう作り方は、僕の思いとは少し違った。長嶺さんは生きていて目の前にいらっしゃるんだから、本人に聞けばいいんです。でも僕は、本人に若い頃の話を言わせるのは嫌なんですよね。本人の言葉なのにやはり振り返りでしかなくなってしまうし、本人が話すことで、どんな話だろうと事実になってしまう。

今その人が生きて、僕等が撮る、その時間のなかでのことを語ってくれていたほうが、振り返ってもらうよりもリアルではないかと思うんです

― 一方でオーラル・ヒストリーという考え方もあるでしょう。過去の話を丁寧に聞き撮りすることで、その人の人生や生きた時代の地層を掘っていく……。でも、今伺ってみると、大宮さんの映画にはこれまで沢山の高齢者が登場しているのに、昔話をしている姿がほとんど無いことに気づきます。

大宮 やっぱり、必要なのは、今じゃないのかなあ。

じゃあ具体的に、1960年にスペインに留学した当時の長嶺ヤス子を描こうとしたら、その渡航手続きだけで1本作れるわけですよ。1ドルが360円で、100ドルぐらいしか持ちだせない時代に女ひとりで……と語る要素だけで膨大です。でも、それは確認作業に過ぎないのではないか。いかに大変なことで波瀾万丈な生き方だったかは、序盤のテロップで察してもらえるだけでいいのではないかと思いました。

そう言いつつね、現在進めている次回作では、報道カメラマン・石川文洋さんの過去、ベトナム戦争に従軍した若い頃に思いっきり返します。現在から振り返ってもらうのではなく、石川さんが当時書いた文章を使って。具体的には1964年から68年に限定して。

僕がもともと長嶺さんの大ファンで、昔の話を聞きたい思いが強かったとしたら、また違うアクションになっていたかもしれませんけどね。「留学なんて大したことないわよ」ときっと言うだろう本人に、「そんなこと言わずに教えてくださいよ」と食い下がって(笑)。

大宮浩一監督

― では、どういう経緯で長嶺さんを撮ることに? 外から来た話なんですか。

大宮 そうなんです。ほとんど出会い頭。もともとは長嶺さんに対しては一般的な予備知識しかなかった。それが2011年の3月末に、たまたま長嶺さんと懇意の人から「長嶺さんが入院しちゃった」と話を聞いたんですね。震災直後でグラグラしている時だったから、フラフラ~と病院に行っちゃった。「あのう、撮っていいですか」「撮ればいいじゃん」みたいな。「その代わり本を買って。撮影に来るまでに読んできて」と言われて著書を5冊ぐらい渡されてね。「スイマセン、今手持ちが……」(笑)。

― 初めて会いにいったのと撮影交渉が一緒。しっかり構想を練ってから、じゃないところが〈大宮映画〉のスピードの秘訣でしょうか。

大宮 そこはどの場合でも共通していますね。

若木さんがさっき指摘してくださった通り、これまでの作品は一種の群像劇でした。群像劇の場合、誰に絞るかに悩むなど、撮影現場では苦労します。しかし編集は楽なんですよ。逃げ場があるのでね。例えば『ただいま それぞれの居場所』の場合なら、「元気な亀さん」のシークエンスで詰まったら、ポーンと「いしいさん家」に飛べる。

ところが今回は、長嶺さんだけ。編集で逃げ場がないから、撮影で対峙せざるを得ない。編集で時間がかかった理由のひとつには、それがあります。長嶺さんが映っていないカットなんて、数えるほどしかないんじゃないかな。ああいう人だから、雑景で心境風景をかたるというのもねえ(笑)。計り知れないですから。

― 『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』では撮影中にある程度、ストーリー、組み立ては考えましたか。それとも、撮るだけ撮ってから構成を練ったのか。

大宮 今回は長嶺さんひとりに絞るぶん、後で苦しくなると気付いたので、途中から流れを意識しつつ撮りました。(そろそろ踊りがいるよなあ)ぐらいですけどね。

― 『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』のパンフレットで僕は、この映画は大宮浩一の新境地である、と自分の考えを寄稿させてもらっています。介護の現場に社会的視線で入るところからスタートし、同じ場所で撮影しながらテーマを、老い、死と徐々に絞っていった。そして、この映画では遂に、命そのものを描こうとするに至ったのではないかと。たくさんの犬や猫の世話をする長嶺さん自身が、「命」という言葉をよく使ってお話をされるでしょう。〈大宮映画〉の新展開にとって必然的な、まるで引き寄せあったような出会いだったと感じるのです。

大宮 「命」という言葉が、前作の『季節、めぐり それぞれの居場所』までとつながってくるのは確かですけど……。それよりも、僕の中で大きかったのは〈3月11日以降の1年間〉のほうでした。3月11日以降の「命」。

ただ、これまでも介護スタッフの若者が、おとしよりから何かを吸収したり、メッセージを受け取ったりするさまを撮ってきました。今回も老犬ハチなど沢山のワンちゃんネコちゃんをフィーチャーしています。長嶺さんも世話をしながら動物たちから多くを受け止めている。踊りや絵などの具体的な表現にそれが発露として現れているかなというイメージはありました。そういう意味では、これまでの映画と続いている連作なんだと言えるかもしれません。

テーマは、最初はある程度は無理やり解釈しようという部分もありますけど、撮影するなかでその小さな無理やり感を、だんだん確信にしていったり、納得したり、裏切られたりしながら固めていきます。それを編集マンが素材として見た時に、僕の意図がなかなか伝わらない場合がある。それもよしとして、編集マンのつなぎを尊重してきたのが今までの作り方でしたが、最初にお話ししたように、今回は、いやいや監督としては……と。『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』では確かに、自分のこだわりは少し強かったかもしれません。

― また「命」ということに戻らせてもらいますが、僕の中にはどうも、〈大宮映画〉の連作には小川紳介の『三里塚』シリーズと同じ成熟の行程を経ている、という想念があるのです。鋭い社会意識・政治意識から三里塚に入った小川プロは、やがて村そのものに意識が向き、米、稲、微生物とどんどん対象が小さくなった末に、生命という大きなテーマに達している。大宮さんと山内さんらスタッフのこの数年のあゆみも、一脈通じているのではないかと。

大宮 僕の小川さんの映画に対するイメージも、今言われたのとまったく同じです。ああ、突き詰めた末に土の一粒にまでいっちゃうのかという。

重ね合わせてもらうのは大変光栄ではありますけど……。うーん、そういうものなのかなあ。いや、それよりも僕自身の中では、セルフ・ドキュメンタリー的なものに対するアンチテーゼのほうが強いかもしれない。世の中にはもっと他に撮ることがあるだろう、というね(笑)。

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』より © 大宮映像製作所

― 実は『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』が大宮さんの新作だと、マスコミ試写当日まで気付かなかったんです。試写状の文面もろくに確認せずにボンヤリ行って、試写室に着いてから驚いた。市井の人々を撮ってきた大宮さんと、いわゆる有名人の人物ドキュメンタリーを結びつけない、僕の中で予断がありました。

大宮 大堂と編集の遠山に伝えた企画書は1行、いや企画の言葉はひとこと、「時々フラメンコを踊るヘンなおばちゃん」(笑)。実際、フラメンコの世界的なダンサーを撮るといったって、ダンスの場面ばっかりになるはずがないんですよね。70数年も生きてきたのに、朝から晩までフラメンコのことだけ考えているわけがないですよ。

― ああ、その面白さはありますね。「時々踊る」。この映画の魅力のキモかもしれない。

大宮 もちろん、若い時は真逆だったと思います。生活=フラメンコ。固まりつつある時は朝から晩までひとつのことを狂おしいほど考え続ける。それぐらいでないと続けられないでしょうし、長嶺さんは誰よりもそういう人だったはずです。だからこそ、振り返りの作りにはしたくなかったんです。とことん燃焼し、やりたいことはやってきた人の、今を撮りたかった。

それでも、「踊りはもうイヤ。飽きちゃった」といつも言ってる人なのに、スイッチが入っちゃう。経済的にはお金のかかる公演はしないほうがいいのに、踊っちゃう。これはもう性としか言いようがない。その烈しさのほうが、病を上回るんでしょうね。

― 『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』は、インタビューがとても魅力的な映画でもあります。長嶺さんが話し出すまでの、大宮さんたちが一緒にいる時間まで伝わるような豊かさがあります。話が出てくるまでじっくり待ったのですか。

大宮 いえ、そうでもないんです。意外とね、人ってよくしゃべってくれるものですよ。特に長嶺さんはエンタテイナーでサービス精神がありますから、カメラがあれば、充分にそこを意識しながら話をしてくださる。逆に、リップサービスなのかなと思うぐらい過激なことをついついお話しするから、こっちが編集でセーブしたところもありました。絵と踊りの話については、僕の質問のONを残しています。これに関してはこちらから聞きたかった話であり、ひとりごとではない、と伝えたかった。

カメラと対象者の関係は確かに大事ですが、僕は、そんなに濃密じゃないほうがいいかな、という考え方です。プライベートで信頼関係を築いてから撮影って、なんかズルくないか? と。だから、話を聞くときには常にカメラも一緒です。聞き終わったらカメラと一緒においとまする。カメラを切った後で「ホントはどうなんですか?」なんて聞いたところで、どうなるものでもない。僕が作っているのは映画なので、カメラの無いところでの姿も、あまり知りたいと思わない。

例えばですよ、僕がある女性と恋をしたとします。その女性が実は人妻だったなんて、知りたくもないでしょ(笑)。なーんだと冷めるのか、もっとのめりこんじゃうのか、心乱されてしまう自分が悔しいというか。もしも完成した後で、自分が映画にしたところよりもっと魅力的な面が分かったりしたら、それはそれで、潔く受け止めますけど。

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』より ©大宮映像制作所

― 唐突なようですが、どんな宗教観をお持ちですか。『無常素描』以降は特に、〈大宮映画〉はいずれ仏教に近づくのではないかという予感があります。いや、従来の映画とは違う形で仏教にアプローチしてほしい、期待かもしれません。『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』にも、老犬ハチ、生れたばかりの仔猫、位牌と、輪廻を暗示させる編集のシークエンスが終盤にあります。

大宮 仏教思想への具体的な興味関心はそれほどありませんが、宗教的な死生観は、どんなテーマにおいても、誰を撮っていてもバックグラウンドとしてはあります。そのベースは、おそらく長嶺さんも持っていらっしゃると思います。特にあの世代は戦争も体験していますから。

……あの輪廻的なラストシーンは、最後の最後に復活したんですよねえ。実は「ありヴァージョン」と「なしヴァージョン」があったんですよ(笑)。「なしヴァージョン」にするつもりだったんですが、もう時間切れのところで復活。どうして「なしヴァージョン」で進めたかというと、僕が今回は、映画の中身よりも映画の構造のほうへのこだわりが強かったからなんです。シンメトリーにしたかったんですよ。アタマが夜の雪、猫、散歩となって、オシリは逆でしょう。映画の真ん中から、だんだん戻ってくるかたちにしたかった。あの輪廻のシーンがあると、それが壊れちゃうんですよね。そこだけにこだわって迷っていた。

遠山に相談したら、「ウーン、あってもいいんじゃないですかね」と控えめな返事でね。それで大堂に「なしヴァージョン」を見せたら、「あったほうがいいと思います」。そこで民主主義的作り方が復活して、戻すことにしたんです。

― そのシンメトリー構造の両端となる、夜の雪。長嶺さんとは直接関係ないのが謎だったのですが、あれは(事務所である)この上落合スタジオのすぐ近くなのだそうですね。

大宮 誰に聞いたんです?

― 大澤一生(映画プロデューサー『隣る人』など)さんですよ。

大宮 (階上に)オイ大澤、企業秘密だよ!(笑)。しかも僕はその場にいないんですよ。「雪だ、大堂、撮っといてくれッ」と電話で頼んだら、近場で済まされて(笑)。

― 僕はそれを教えてもらってますます、大宮さんは自分の監督作品であるとこれまで以上に打ち出している、セカンドステージに入ったと思ったんですよね。つまり、あの雪の夜の上落合スタジオは、画家でいう落款印なのではないかと。

大宮 去年の5月の編集ヴァージョンでは、途中で3回ぐらい入っていたんですよ(笑)。ホントに今回は、シンメトリーにこだわりましたね。長嶺さんは病室から登場するから、最後にまた病気になって病室に入ってくれないかなと思ったほど(笑)。そこまで緻密に構造を考えるのは初めてです。ですから若木さんの言う、今まで以上に自分の色を出そうとして見えるというのは、要するに、そろそろ自分も少しは編集に参加したいなと思った結果なんですよ。ボクも混ぜてよって(笑)。

― そこまで伺うと、ますますあの雪の意味はなんなのか、知りたくなります。

大宮 うーん……。僕にとってはあの雪はやはり、〈3月11日以降の1年間〉を表すものだったと思います。具体的にどんな意味かはそんなに大切ではなかったかもしれません。ちょっと乱暴な言い方ですが、理解しようとして見て頂きたいんですけど、捨てるところは捨ててもらって構わないというか。多分に感覚的なものですね。後で、雪から始まる映画ってなんだっけ、ああ長嶺ヤス子だ、と思い出してもらえるような。落款印という意味も多少はありますが、それも大堂が近場で撮ったからなんですよ(笑)。

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』より © 大宮映像製作所

― 山内大堂さんはずっと〈大宮映画〉のカメラマンですし、この上落合スタジオは、以前に大宮作品のスタッフだったプロデューサーの大澤一生さんや、編集の辻井潔さんらとの共同の仕事場ですね。年齢の近い同士でスタッフを組む例が多いし、またそのほうが良いと言われるなかで、50代の大宮さんと30代のスタッフという編成は、それ自体が異彩を放っています。

僕は半分ひやかし半分本気で、彼らを〈大宮チルドレン〉と呼んでいるのですが、去年はその〈大宮チルドレン〉がメインスタッフをつとめた『隣る人』『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』『ドコニモイケナイ』『サンタクロースをつかまえて』が立て続けに発表され、ドキュメンタリー映画のニューウェーブを印象づけた年でした。大宮さんは、後進を育てる教育者的意識というものを、積極的にお持ちですか?

大宮 それは、まったく無いですね。一緒に組んでいる彼らが活躍し始めているのは非常に嬉しいことですが、もしも誰かが映画をやめる日が来ても、それはお互い違う人生ですし。積極的に後進を育てようとすればするほど、やめられた時にこっちが痛いですよね。いい意味で、彼らの人生には踏み込みません。

それは今回、長嶺さんの自宅の部屋を撮らなかったこととも通じます。そこに入ったところで、と思ったし、むしろ暮らし振りは見たくなかったというのかな。人の生き様や人生に踏み込むのがドキュメンタリーだっていう風には、僕は思わないんですよ。所詮は上ッ面なんで。僕が伝えられるのは、対象者を介して作り手側がなんらかの表明を出来る、ぐらいかな。一緒にやって、なにがしかの影響を受けたり反発を持ったりも、その人が自分で決めることだと思いますね。

連作のなかで徐々に映画の雰囲気が変わっているとしたら、彼らがそれぞれ忙しくなってきているのと大きな関係があるでしょうね。編集に今まで以上に関わろうとした僕の変化と周囲の変化は、おそらくシンクロしています。上落合スタジオを開いて2年になりますが、ここにきてからは4人全員が関わった映画は無いんですよ。それで今、大堂がカメラ、大澤と僕がプロデュースで、辻井の初監督作品に取り組んでいます。これの完成が今、楽しみなんです。上落合発の映画の完成が。

― ifの質問です。これから、大宮さんにまた新しく撮りたいものがあるのに、大堂さんが自分の仕事で多忙だった場合。どうしますか?

大宮 大堂を待ちます。今までも、ひとりしか入れない現場の場合には迷うことなく大堂に行ってもらっていますから。大堂待ちが基本です。でも、待たれることが彼の負担となるようになった時には、別のカメラマンを探すんでしょうねえ。若い人の重荷にはなりたくないので。テレサ・テンでも唄いましょうか?

インタビュー直後、ちょうどのタイミングで上落合スタジオに現れた山内大堂氏(撮影、右)と

【作品情報】

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』
2013年/85分/HD/16:9/日本

出演:長嶺ヤス子
監督:大宮浩一
撮影:山内大堂 編集:遠山慎二 整音:石垣哲
助成:文化芸術振興費補助金 製作:大宮映像製作所
配給:東風

2013年3月23日(土)より 新宿K’s cinema にて 他全国順次公開
公式サイト:http://hadashinoflamenco.com/

【監督プロフィール】

大宮浩一(おおみや・こういち)

1958年生まれ。日本大学芸術学部映画学科在学中より映像制作に参加。『ゆきゆきて、神軍』(87/原一男監督)等で助監督を務める。93年、有限会社 大宮映像製作所を設立。『よいお年を』(96/宮崎政記監督)、『JUNK FOOD』(98/山本政志監督)、『DOGS』(99/長崎俊一監督)、『青葉のころ よいお年を2』(99/宮崎政記監督)、『踊る男 大蔵村』(99/鈴木敏明監督)等を企画・プロデュース。

2010年、介護保険制度導入から10年を経た介護の実状と若いスタッフの取り組みを描いた『ただいま それぞれの居場所』を企画・製作・監督。文化庁映画賞文化記録映画大賞を受賞する。同年には、彼らの日常とトークライブを追った『9月11日』も制作。2011年、東日本大震災の直後に被害を受けた土地の風景と人々の声を記録した『無常素描』は、震災後に制作されたドキュメンタリー映画としてもっとも早く、同年6月に劇場公開された。2012年、介護やケアの現場で最期の瞬間に立ち会うスタッフたちの葛藤や家族の想いを見つめた『季節、めぐり それぞれの居場所』を企画・製作・監督。第36回山路ふみ子映画賞〈山路ふみ子福祉賞〉を受賞する。