【自作を語る】『さようならUR』 text 早川由美子

 『さようならUR』

今回書く機会を頂いたので、自作「さようならUR」が、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、新設された「スカパー!IDEHA賞」を頂いた後に起こった”できごと”について書きたい。

「さようならUR」はUR(旧住宅公団)の団地の取り壊し・住民の追い出しをめぐり、立ち退きを拒否して住み続ける住民とURの関係(現在裁判中)を追ったドキュメンタリーだ。頂いた賞は、スカパーJSAT株式会社(以下スカパー)が「ドキュメンタリー映画作家の育成を支援し、新作の制作を奨励し創設した賞で、日本の新進ドキュメンタリストで次回作に最も期待される監督に授与」(映画祭公式カタログより引用)とされ、山形で上映されるだけで快挙と思っていた私には、二重の喜びとなった。

 受賞後しばらくして、スカパーより「受賞作品なので放映したい」というお話を頂いた。受賞の時点では放映の話はなかったので驚いたが、本社で話を聞いた。スカパーが提示した放映の条件は:

 – 月1回の無料放送の日に放送(スカパー加入者だけでなく、BSが視聴可能な2,200万世帯が視聴可能)

– 最大で4回放送

– 放映料は賞金に含まれると考えてほしい

というものだった。賞金は確かに高額(150万円)ではあったが、賞の創設趣旨のどこをどう読んでも”放映料”の文字は見当たらない。これに対してはこちらが「賞金に放映料は含まれない」と主張し、賞金と放映料は別ということになった。

 提示された条件とは別に、私には懸念事項があった。それはテレビで放映される際、出演者の同意を得ていなければならないということ。映画をご覧になった方は分かるが、URへ映像取材の申込を何度しても断られた私は、URの広報担当者との電話のやりとりを録音した音声と、理事長に直撃取材した映像を、映画の中で使用している。

 なので、私はスカパー側に「UR以外の登場人物の承諾は得るが、URについては承諾を得られるとは思わないし、得ようとも思わないが問題ないか」と聞いた。それに対し、スカパーは私の映画を観た上で、「この映画は様々な立場・意見を取材し構成されているので、偏った内容ではない。報道の自由の範囲内と考える。何かクレームがあれば社として対応する」とのことだった。

『さようならUR』

ところが、放映するという方向で合意し、スカパー側が作成した契約書案をもらい、書かれている内容に驚いた。「保証」という項目で「本条の保証にもかかわらず、乙の本契約に基づく正当な利用に対し、第三者(本作品の著作者、実演家、出演者を含む)から異議の申し立て、差止め請求又は損害賠償請求その他の請求があった場合には、甲は自己の責任と費用負担をもって速やかにこれを解決し、乙に何らの迷惑や損害も与えないものとする。万一かかる請求が乙になされ乙が損害を被った場合には、当該損害(合理的な弁護士費用を含む)を補償する」(甲=私、乙=スカパー)と書いてあったのである。

 つまり、放送によって生ずる損害や訴訟は全て私が責任を持ち、スカパー側の裁判費用や損害賠償なども、私が負担することとなっているのだ。「何かクレームがあれば社として対応」と言われたが、同契約書案には「本契約は、締結日現在における両当事者の合意を規定したものであり、本契約以前に両当事者間でなされた協議内容、合意事項あるいは一方当事者から相手方に提供された各種資料、申し入れ等と本契約の内容が相違する場合には、本契約が優先するものとする」という規定もあるため、事前の約束が口頭・書面でなされたかに関わらず、この契約書が優先するということになる。

 契約書案を見て私は、作品に対する”責任”とは何だろう?と考えた。制作者としての作品・内容に関する責任。そして放映する側の責任。両者はどのように区別され、理解されているのか? 100%個人の自主制作で、地域の上映会や映画祭でしか上映経験のなかった私は、初めてこのような問題にぶつかった。

 ちなみに、私はこの映画を作ったとき、現在係争中の事案を追ったテーマで、しかも全編を通じて大組織であるURを批判しているので、私もURから「名誉毀損」や「業務妨害」などで訴えられるかもしれないと覚悟はしていた。いわゆるSLAPP(恫喝)訴訟だ。だからこそ、映画は”きちんと”作らなければと思い、綿密に取材し、構成にも神経を使い、訴訟を起こされても負けないような映画づくりを目指した。

 それでも訴訟を起こされたら、これはもう受けて立つしかない。社会問題を扱うドキュメンタリー制作者としては、訴えられてしまったら、せめて大騒ぎをして注目を集め、宣伝に利用し、こちらからも訴訟を起こす、そう覚悟をしていた。(しかし、実際に恫喝訴訟を経験したジャーナリストは、裁判を起こされることで多少の宣伝にはなっても、裁判で勝ったとしても、裁判にかかった費用・時間・労力を考えると割に合わないと言う)。

 放送される媒体が何であれ、どんな規模であれ、私は制作者としての責任からは逃れられないというのは理解している。一方で、放送する側はその作品を放映することに何の責任も負わない、放送事業者の裁判費用まで制作者が支払うというのは、私には理解しがたいことだった。作品(=商品)を放映することで、放送する側は利益を得ているのに。責任は一切負わない代わりに、全ては放映料で双方が折り合いを付ける(付けてきた)ということなのだろうか? では、放送事業者の責任とは何なのか?

 初めての問題に対し、私はあらゆる人に相談をした。映画祭の事務局、TV局のディレクターやプロデューサー、下請けの制作会社ディレクター、自主制作の映画監督、配給会社、ジャーナリストetc。「制作者、放送事業者の責任とは?」と。

『さようならUR』

思い出せるだけで20人以上に相談したが、意見は様々だった。また、何が最善策かはケースバイケースだとも思った。TV局では、制作現場と契約担当部署は分かれており、ディレクターやプロデューサーは「具体的な契約書や責任条項は読んだことがない」という人がほとんどだったが、その上で「放送する側に全く責任がないというのはおかしいと思う」という意見が多かった。

 下請けの制作会社の人からは、「制作は下請け会社だが、制作資金・著作権ともにTV局が持つので、TV局が責任を持つのでは? でも何か問題が生じれば、後でTV局から制作会社へ責任追及がされることはあるかもしれないけど」と言われた。中には「本当は契約書をちゃんと交わしたほうが良いのだろうけど、曖昧でやっている。何か起こった時に初めて、双方が相談して決めるのではないか?」という人もいた。

 自主制作の映画監督では、意見はふたつに分かれた。「訴訟のリスクを一方的に背負わされてでも、テレビ放送をチャンスと捉え、作品や作り手の知名度を上げたい」という人と、「裁判を起こされたら、数千万円の損害賠償を請求されることもある。この条件なら自分はやらない」という人。リスクとみるか、それともチャンスとみるか、どの程度のリスクなら許容とするのか…、この判断は本当に難しい。

 一方、配給会社で、これまでにスカパーを含むBS・CS局に海外のインディペンデント映画を多く提供してきたという人の意見は、まるで違った。「放送局に責任を持たせることで、放映を渋って欲しくないから、責任は持たせたくない」という意見だった。また、実際の契約書のコピーも見せてもらったが、スカパーに限らず他のBS・CS局でも「放送によって生じる損害は放送局は責任を負わない」旨の文言があり、これは特に(自社で番組を制作することが少ない)BS・CS局では一般的な契約条項として、今まで問題にされることもなく繰り返されてきたのだと推測した。

 しかし、”業界の慣習”が、必ずしも現代の状況に、そしてインディペンデントの作品にも合っているとは限らない。制作環境が大きく変化し、独立系プロダクションですらない、まったくの個人でも映画を作ることが、技術的には可能になった。テレビのドキュメンタリー枠が激減する一方、BSやCS局ではドキュメンタリーも含めコンテンツの拡大を図っている。現在進行形の社会問題を取り上げたドキュメンタリー、それも何のしがらみもない個人の自主映像作家が作った作品を放映するというのは、スポーツ番組や海外の恋愛ドラマを放送するのとは、放送する側の認識や態度も異なるのでは?と思うのは、私だけだろうか。

 

『さようならUR』

結局、スカパーに契約内容の変更を求めたが実現せず、私は放送を見送った。色んな人の意見を聞き、それらに基づいて総合的・戦略的に判断したというよりも、自分の中にある”違和感”を最後まで拭い去れなかったから契約書にサインをしなかった、という方が自分の心情に近い。最終的に自分の判断が正しかったのか、分からない。読者の中には、「せっかくのチャンスを逃してバカだな」と思う人もいるだろうし、そもそも私の”責任”に対する認識自体が間違っていると思う人もいるだろう。

 もしこの映画が別のテーマだったり、立ち退き裁判が終わった後だったならば、私はここまで神経質に悩まなかったかもしれない。しかし、私の映画が特殊なケースだったとは思わない。昨年の「スカパー!IDEHA賞」の対象作品の中には、日の丸君が代問題を扱った作品や、日雇い労働者の住民票削除問題を取り上げた作品(この問題をめぐっては、別のドキュメンタリー作家が不当逮捕・起訴された)もあり、TVで放送されることで行政や圧力団体などから訴訟を起こされる可能性もゼロではない。この賞が「日本のドキュメンタリー作家の育成・支援」を目的にしている以上、これは今後も起こりうることなのだ。

 いち制作者として、ドキュメンタリーが上映される場が広がるのは大歓迎だし、恫喝訴訟を恐れて表現活動が萎縮すべきではないと思う。しかし一方で、契約の条件やトラブルへの対応に関しても、業界の慣習だからと従わせるのではなく、実情に合った制作者・放送者双方のあり方を、今改めて考え直す局面に来ているのではないだろうか?

 自主制作の映像作家たちは、みな資金集めに苦労している。これは最大(永遠?)の問題であり、関心事といえるだろう。だが、この原稿で書いたように、自主制作をめぐっては制作資金だけでなく、インディペンデントにそぐわない(インディペンデントを想定していない)業界の慣習など、様々な課題がある。業界とインディペンデントの健康的な関係とは? 両者が対等な立場で契約を結ぶには? ・・・どれも一筋縄ではいかない問題だ。特に契約の場合、いわゆる”口止め条項”が契約書に盛り込まれている場合が多いので、裁判にでもならない限り内容が公にされる機会は少ない。こういった課題も広く共有され、意識されるようになって欲しいと願い、今回経緯を詳しく書いた次第である。

 『さようならUR』は、今年の6月に大阪のシネ・ヌーヴォXで劇場公開されたが、普段は団地の集会所や会議室、調理室、廃校になった小学校、長屋etcといった場所での自主上映会が多い。毎度、制作者、出演者、観客が入り乱れての熱いトークが繰り広げられ、それを楽しみに何度も映画を観に来てくれる人がいる一方、面識のない人にとっては敷居が高く感じる場所かもしれない。それがこの夏、『ドキュメンタリー・ドリーム・ショー2012』という機会を得て、”映画館”で2回上映されることになった。(オーディトリウム渋谷:8月26日(日)15:00~、ポレポレ東中野:9月14日(金)12:30~)。私は両日とも舞台挨拶のため会場に向かう。ぜひ映画をご覧いただきたい。

『さようならUR』

【作品情報】

 『さようならUR』
監督・撮影・編集・ナレーション:早川由美子
音楽:Sage、岡ゆう子、Hou
事業仕分け映像提供:株式会社ドワンゴ
2011年/日本/HDビデオ/カラー/73分

作品ウェブサイト: http://www.petiteadventurefilms.com/goodbye_ur.php

※『さようならUR』は『ドキュメンタリー・ドリームショー2012』のプログラム にて上映
ポレポレ東中野:9月14日(金)12:30~

執筆者プロフィール】

 早川由美子 はやかわ・ゆみこ

1975年東京都出身。成蹊大学法学部、London School of Journalism卒業。公務員、会社員を経て2007年に渡英。ロンドンでジャーナリズムを学ぶ傍ら、独学でドキュメンタリー映像制作を開始。イギリスの平和活動家Brian Hawを記録した初監督作品『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』は、2009年度日本ジャーナリスト会議・黒田清JCJ新人賞を受賞。日本各地、イギリス、トルコなどで80回以上上映を重ねた。公共住宅問題を取材した『さようならUR』は2作目。自身も、国内外で4年超の”居候生活”をしながら映像制作を続ける、居住の貧困問題当事者である。