【記録文学論②】『内部の人間の犯罪』 text 中里勇太


文学において、ことばにおいて、岩盤を蹴る、その瞬間の沈黙へ抵抗することばをわたしたちは持ち得ていないのか。あるいはそれを獲得することは、わたしたちにとってひとつの未来の身体、新たな身振りへとなるのだろうか。















昭和33年(1958年)、18歳の少年が女性2人を殺害した「小松川女高生殺し」と呼ばれる事件が起き、当時の新聞は「理由なき動機なき殺人」という見出しを濫用した。理由なき動機なき、それを本質的には社会的な枠組みであると看破し、当人にとって意味がない行為など存在しえないという視点で探った秋山駿は、この事件に内部の人間の犯罪を見いだした。内部とは、「自分自身にとっても、一つの秘密、一つの沈黙の存在であるような意識の自由」であり、そこでは各自の「私」は「分割を拒み、解明を拒み、指差されることを拒んで、私という意味だけに止まろうとする私、すなわちこの世の中でもっとも無用にして不確実な存在」である。内部の人間の犯罪の中心には「この不確実なあいまいな私」が外部の理解を拒むように居座る。学生生活を終えた後の3年間を歩行と思索のみに明け暮れた彼自身の経験にも照応し、事件を仔細に辿ることで、秋山は未成年の身体が「私」を自覚していく過程を、そして行為に至る果てに「或る新しい身振り」を確認する。
半生涯における推敲の果てに、近年の著作ではこのように簡潔に述べてもいる。

「わたしは、未成年の理由なき殺人、という犯行に興味を抱いた。若い犯行者は、自分とは何か、という、右手の生の上り線を掴んでの問いと、私とは何か、という、左手の死への下り線を掴んでの問いとを、重ね合わせているからだ。わたしは、若いときの自分のもがきをそこに見る」(『「生」の日ばかり』、2011)

文芸評論家・秋山駿が犯罪を論じた評論17篇を収録した本書『内部の人間の犯罪 秋山駿評論集』(2007)は、作品ごとの初出を辿れば1963年〜2003年と、約40年という時間の幅を有す。半生に渡って展開されている犯罪論のなかでは、度々、小松川女高生殺しの少年へ言及がある。言うまでもなく、秋山にとって小松川女高生殺しとは、或るひとつの原点、絶えずそこへ還ることを要請する原点であるが、同時に、決して少年の名を呼ぶことはない。少年の現実の背景へ言及することも稀である。少年の犯行を「自分の内部と地続きの、地図の裂け目から発したような行為」とする秋山は「内部の人間というモデルに彼の根拠を求めた」。それは「少年の犯行のリアリティを、私の内的現実の場所へと奪って」(「金嬉老の犯罪」)おく行為でもあった。

長年に渡り、秋山の「内的現実の場所」を占めたもの、つまり少年に根拠を求めた内部の人間とはなんであったのか。表題作であり、小松川女高生殺しを綿密に紐解いた「内部の人間の犯罪」の末尾に、その一端が示されている。「空想」とエクスキューズを置いたうえで、秋山は、犯行時の少年と、ドストエフスキーの『白痴』に登場する末期の肺病患者・イッポリートがともに18歳であることにひとつの暗示をみる。「独力ですべてを考えようとする性格を露骨に」もつ彼らの内部に、「私」という存在が自覚されたとき、彼らは「私という存在のありかた、その生存のありかたを考えることに没頭する」。そして彼らはひとつのパラドクスに陥る。内部をあまりにも純粋にみつめ「自己を無用の自己であると思うに至る」。そこにおいて、自分を拒否している世界では、「自分一人だけを無用の除けものと数えて成立する、歓びの合唱の世界」が展開されている。少年たちによるこの思考の過程を「未成年の思考」とした秋山は、次いでヴァレリイを引く。「ある種の知的クウデタは、18歳と23歳のあいだに起こる」。小松川女高生殺しの少年に固執し、犯罪を論じる際に幾度もそこへたち還る秋山の内部では、少年の内部で知的クウデタが起きた時の「未踏査の心的一地帯」が、つねに「われわれが開放するのを待っている」ものとして存在している。

少年を通し、秋山が自らの内的現実の場所へと奪還しようとした「未踏査の心的一地帯」、果たしてそれは「われわれが開放する」べきものなのだろうか。
犯罪の、犯行をおこなう手の、その行為の背後にあるはずのことばがない、ことばが追いついていかない。秋山は、明治以来の近代文学における知的な解釈の言葉の豊富さに比べ、「一つの現実を直視してそこにある形なきものを捉えようと努力する」ことに欠けると指摘する。犯罪や犯行の背後に声調や沈黙を見いだすことで応答する秋山にとって、犯行の行為とは「あたかも必死に一つの人間的行為を求めるように、その岩盤を蹴って宙に身を躍らせるようにしておこなう、或る新しい身振り」(「犯罪と文学」)だった。宙へと躍動する身体はまさに裸形である。わたしたちは、その原形的なところへ直接触れることばを保持していない。秋山はその「新しい身振り」を前に、ひとつの現実を前に、「何か一つの小さな一事の発見に徹する」。これは知的な解釈の言葉の横行へのひとつの抵抗をあらわすように思える。ことばが破船するなか、現実の根底から離れていくなか、「白紙の上に描かれた単純な最初の線」を発見するように、行為をみることに徹する。その眼は時に小松川女高生殺しの少年の身振りをこう評す。

「犯行は、私の眼には、この少年の生の周囲をびっしりと埋めている現実の微細なものが、彼の人間を背後から追い、逃れようもなく追いつめ、やがて人間を呑みつくし、彼の内部の最後の声を裂くようにして乗り超え、ついに微細なもの自体の動きと化して果てまで行くほかはない、そういう一種の過程に見える」。

ここでその声調が追いかけていく微細なもの、その微細なものが少年を追いつめていく過程を秋山は「犯行への傾斜」と呼んでいる。また、秋山は微細なものに現代的な生の新しい波、現代なりの現実のリアリティを見てとろうと考察し、「現実の微細なものの上を流れる異なった音調」を聴きとろうとする。そこで留保をつけてではあるが、カミュの『異邦人』を挙げる。ピストルを撃ちこんだ行為をなんとか理解しようとする判事に対して、ムルソーはこう答える。「レエモン、浜、海水浴、争い、また浜辺、小さな和泉、太陽」。あるいはそれは、わたしたちにとっては映画の無声シーンをイメージすることであるかもしれない。ことばが介入しないシーケンスが、微細なものを追っていく。ピストルを撃ちこむことを想像し、「レエモン、浜、海水浴、争い、また浜辺、小さな和泉、太陽」と辿るわたしたちの内部には精神の傾斜が生じていく。だが現代的なリアリティを見つめる秋山によれば、微細なものが人間を乗り超える瞬間、つまり犯行への傾斜がその底部、岩盤に突き当たるとき、岩盤を蹴りあげる「新しい身振り」への、その一歩を踏み切らせるものは、「太陽」という象徴性を帯びたイメージによらずとも、意外な微小なもので足りる。それは「足下にある一片の石塊でもいい、一本の藁しべでもよい」(「殺人考」)。

「未踏査の心的一地帯」を追って、「単純な最初の線」を執拗に辿りつづける秋山駿が見据えた「新しい身振り」、それはいまだことばが追随しえないものである。ここでわたしたちのまえに提示されている新たな身振りとは、形なき現実を直視し、そこで微細なものの音調の差異に内部の傾斜を読みとる、秋山のその身振りである。秋山文学を通して内部の傾斜を考察することで、わたしたちは新たな身振りに触れる。「犯罪」や「犯行」の枠に止まらず、むしろ些事において、この傾斜へことばを付与していくこと。それはある単語の羅列、声調、切り刻まれた文字群であるかもしれない。
その根底には遅々とした、微動だにしない眼差しの歩みがあるのみである。秋山は二十歳のころに、一握の石塊を道端で拾い、それを机の上に置いた。「そして、あたかも一冊の本のようにそれを読んだ。この本の中には、それは石塊であるという、単純な一行が記されているばかりだった。こういう読書は、つまり、己れ自身を読むという根気のいる経験である。正確にいえば、私は、一つの沈黙する物を前にして、自分が沈黙することを学んでいたのだ」(「石塊の思想」、『内部の人間』収)。沈黙と対峙し、その沈黙を聴きとること、まずはそれからであろう。



【執筆者プロフィール】 中里勇太 81年生。編集業・文筆業。発売中の『KAWADE道の手帖 深沢七郎』(河出書房新社)に作品解説を寄稿しました。他に評論「死後・1948」(文藝別冊「太宰治」)、「応答としての犯罪的想像力」(文藝別冊「寺山修司」)、「わたしたちは想像する」(祝祭4号)など。Zine「砂漠」クルー。